mistletoe #2



 ゴメン、とはまたずいぶん殊勝な言葉だ。

 謝るからには何か後ろ暗い点があるということだろう。
「…ああ」
 読めたぞ。そういえば手帳に挟んどいただけだったのを思い出す。
 どちらかといえば、和泉というよりはこちら側の落ち度だろう。
 今朝方、満面笑顔で家族旅行に出かけていった管理人の後ろ姿を思い出す。久しぶりの家族水入らずだよ、と笑っていた横顔。確か二泊三日の予定じゃなかっただろうか。まあ最悪の事態になったとしても、今夜一晩を乗り切りさえすれば後はどうにでもなる。問題はこれからどうするかだ。
 ひとまずはアイツを迎えに行かなければならない。


 夜の公園は昼の喧騒からするとあまりに寂しく、物悲しい。
 木々にイルミネーションでも施されていればまた印象も違うのだろうが。
 住宅街にあるわりには意外に広い園内を歩いていると、一際目映い街灯が煌々と照らし出している箇所が目に入った。その丸く切り取られた光の輪の中で、ブランコに腰掛けた和泉が力なく首を垂れている。
 時折見せる目元を袖でこするような仕草。断続的に聞こえてくるブランコの軋み音が、それをよけいに果敢無げに見せていた。
 近づいていくと気配に気づいたのか、鼻をすするような音がピタリと止んだ。
「泣いてんのかよ」
「…ってねーよ」
 寒さのせいか、それとも別の理由でか。
 ひどく擦れた声が返ってくる。少し離れた位置に立ち止まったまま、吐く息で掌を暖めているとカシャン…と小さくブランコが鳴った。
「ゴメン…」
 これ以上ないくらいに首を垂れて、和泉がボソリと小さな声で呟く。
「落としたんだろ」
 努めて普通に声をかけると和泉の首がコクンと頷いた。
 街灯の膨張した光を受けて、赤味を帯びた髪が背景の闇に浮かび上がる。
 鎖をつかむ真っ白い手。前髪の隙間から微かに見える唇は、きつく色がなくなるほどに噛み締められていた。いまにも血が滲みそうだ。
「いいから顔、あげろよ」
 一瞬の間を置いて。
 ゆっくり上げられた視線が真っ直ぐに松下の両目を射抜く。
 その瞳が艶やかに濡れて見えるのはけして比喩ではないのだろう。
 会ったら云おうかと思ってた憎まれ口を飲み込む。軽い溜め息と共に視線を逸らすと、松下は広場の反対側にある街灯に目を留めた。
「俺の無精が祟ったんだろ。おまえが気にすることじゃない」
 一昨日キーホルダーがぶっ壊れた時点で、どうにかしとけば防がれた事態なのだ。
 云うなれば自業自得。誰に腹を立てる場面でもない。
「でもおまえ今日、家に帰れないじゃん」
「別にどうとでもなるよ。おまえはとっととコレ持って帰んな」
 ケーキの箱を差し出して、指先で帰るように指示する。だが和泉が立ち上がる気配はなかった。
「だって俺が落としさえしなけりゃ、こんなことにはならなかったわけじゃん」
「俺がキーホルダーにでもつけときゃこうはならなかったろ」
「でも俺が預かりさえしなければ…」
 云い募る唇が寒さの所為でますます色を失っていく。松下はズカズカと歩み寄ると和泉の片腕をつかみ、強引にその場に立ち上がらせた。冷たい服。コートの金具が触るのも躊躇うほどに冷え切っている。どれぐらい外にいるんだ、コイツ。
 首に緩く一巡してるだけで、まるで役目を果たしてない白いマフラー。店にきた時にはしてたはずの手袋を、いまはどこへやってしまったのだろうか。
 このバカ、寒いの苦手なくせに。
「…最近はバカでも風邪ひくらしいぞ」
 細い首筋に乱暴にマフラーを巻きつかせると、松下は血の気のひいた手にケーキの箱を握らせた。その指の冷たさが松下の眉根をさらに寄せさせる。
「いいから帰れ」
「ヤダ。松下が帰んないんなら俺も帰らない」
「だから、俺はどうとでもなんだよ。テメーは帰る家があんだからさっさと帰れ」
「イ・ヤ・だ」
「あのな…」
 一度云い出したら梃子でも利かないヤツだ。
 こうなったら押し問答だ。


「あーもう勝手にしろっ」
 けっきょく、「帰れ」「帰らない」を散々繰り返したのち、松下はついにその一言を吐き捨てることになった。
「ウン、勝手にする」
 我が意を得たりとばかりに、和泉が唇の両端をあげて見せる。笑みを湛えた口元にも心なしか色が戻ってきたようだ。
 ひとまず互いの軍資金を確認すると、どちらも恐ろしく軽い財布しか持っていないことが判明した。夜明かしの術としては、とりあえず閉店後の店内に朝まで留まらせてもらうことにして、それまでの時間をどこかで潰さなければいけない。
 時刻はまだ0時前だ。ファミレスに入れるほどの財布ではないし、最寄のコンビニなどで暖を取ろうにもそこまでの距離がだいぶある。まあ、コンビニに行ったとして缶コーヒーを買うぐらいの金しかないのだが。こんなことなら昼間カネを使わなければよかったな…。いまさら思ってもしょうがないことだが。
「松下もカラダ動かせばー?」
 妙にはしゃいだ素振りでブランコを漕いでいる和泉の姿を、松下は隣りのブランコから横目に眺めていた。さっき泣いたカラスが…とはよく云ったもんだ。
 上気した頬はすっかり赤く染まり、あんなに真っ白だった唇もいまは血のような赤に色づかせている。
 一方、松下はと云えば。
 さきほどから特に暑いとも寒いとも感じてはいなかった。昔から気温の変化にはなぜか滅法強いのだ。祖父譲りの体質だな、と家族は皆口を揃えて云うが、当の祖父はわりと寒がりだったような記憶が松下の中には残っている。祖父も連れ添った祖母も鬼籍に入ったいまでは確かめようのないことではあるが。
 そうか、あれからもう二年も経つんだな…。
「松下?」
 急に間近で名前を呼ばれて、松下は慌てて視界の焦点を合わせた。すぐ目の前で、不思議そうに首を傾げた和泉が唇を尖らせている。
「…なんだよ」
「だから、おまえもカラダ動かせぱってハナシだよ」
 ブランコで肩慣らしを済ましたつもりなのか、和泉がぐるぐると両腕を回す。
「じっとしたら寒いだろ?」
「別に寒くねーけど」
「おまえはどうでも俺が寒いんだよ、少しは付き合え」
「…って、オイ」
 半ば無理やり手を引かれて、松下は街灯の灯りの下からズルズルと広場の真ん中へと連れ出された。
「つーことで隠れんぼな。これ決定。俺オニだから、早く隠れろよ」
 は? なんだそりゃ。
 つーか、この状況でオトコ二人でか? 何の必要性があってだよ?
「百数えたら探し行くからなっ」
 だがまともに口を挟む間もなく、和泉は両手で顔を覆うとその場でいきなり数を数えはじめた。
「イーチっ」
 ……それって参加しなきゃいけないんだろうか。
 だいたい千歩譲ってオニごっこならまだ話が解るとしてだぜ。隠れんぼって何だ? どう考えても体を動かす遊戯じゃねーだろ。隠れてる間に風邪の一つや二つは確実に頂戴する。いくら和泉にしても、行動に一貫性がなさ過ぎやしないだろうか。
 さて、どうしたものか…。
 少し丸くなった和泉の背中を眺めていると、数を呼び上げる声がいきなりかすれて小さく震えた。すぐに持ち直すが、少し経つとまた語尾が震える。
「ナナジュハー…チ、ナナジュキュ…ッ」
 頼りなく途切れがちな声。それをどうにか誤魔化そうと声を張り上げるのが逆効果になっている。
 無理が見え見えだ。気にするな、って云ってんのにな。バカなヤツ…。
 白い息が闇に融けるたびに小刻みに震える背中。キン、と凍ったような空気の中でそれは頼りなく、果敢無げに揺れていた。
「キュージュサ…ン、キュー…ジュシ…」
 闇色に塗られた視界の中で。
 不意に、ひらり…と宙を舞うものがあった。
 空と同じ色、濃紺の闇の中を自在に舞う白い羽が次々に落ちてくる。
「もういーかいっ」
 ヤケクソのような和泉の声が広場に響く。
 シン、と静まり返った園内。
 今度は幾分、不安の入り混じった声が張り上げられた。
「もー、いーかーいッ」
 それでも返ってこない返事に待ち切れないように和泉が顔をあげる。
 刹那。


「もういいよ」
 視界に景色が映るよりも早く。
 後ろから伸びた手が和泉の両目を塞いでしまった。


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