mistletoe #1



 クリスマスの夜だというのに。

 なぜか和泉と二人きり、公園で空を見上げていたりする。
 目映い街灯の下、光の輪をいくつも帯びては闇に浮かび上がる遊具たち。
 白い息が心許なく宙に昇っていく。
 そもそも、なんでこんなコトになってるのかというと…。
 それには多少の説明が必要だろう。


「あれ飾ったの、誰ですか」
 自動ドアの真上に取りつけられた、宿り木の束。
 遠目にそれを見つけた松下は、呆れた視線をレジカウンターに流した。
「俺しかいないだろ、あんなセンスいいことするヤツは」
「…魂胆見え見えですね」
「して欲しいんならあの下で待ってろよ。昔みたいにしてやっから」
「寝言は布団の中でどうぞ」
 中澤の悪趣味な提案を切り伏せると、松下は椅子にかけておいたピーコートを手に取った。長めのマフラーを首に巻きつける。
 横目で確認した時計の針は、23時15分過ぎを指し示していた。
 思わず溜め息が漏れる。1時間以上もただ働きをしていた計算になる。
 入れ替わりの22時を過ぎても、予測していたほどには客足が減らず逆に徐々に増えはじめたため、松下はタイムカードを押したにも関わらず再び制服を着るはめになった。同じシフトで入っていた和泉はと云えば、上がるなり珠枝の働くケーキ屋にすっ飛んでいったのでこの難を逃れている。
 とはいえ、考えようによっては難を逃れたのはこちらの方だろう。和泉がいたところで恐らく足手纏いにしかならなかっただろうから。
案の定、22時台は時間帯でニマンハッセンという輝かしい記録を樹立し、系列店ナンバー1を狙っている店長にとっては喜ばしい結果となった。働いてる身にとっては迷惑千万だ。
 ピークを超えて、ようやく落ち着きを見せはじめた店内にジャズ調のクリスマスキャロルが流れる。デューク・エリントンのジングルベルが店内に賑やかな趣きを演出している。いつのまにチャンネルを切り替えたのか、これはもう一人のマネージャー志水の趣味だろう。余談だが「ジングルベル」はもとからクリスマスナンバーだったわけではないのだという。1857年にボストンの音楽家、J・S・ピアポントが作詞作曲したこの曲は、もともとはボストンの冬の風物詩、一頭立ての馬そりレースをヒントに生まれた曲なのだそうだ。去年、志水がそう云っていたのを覚えている。考えてみればそんな詩だよな。手早くチキンを揚げていた志水が、松下に向かってニッと片頬を歪めてみせた。
「松下、閉店後にこいよ。ただ働きの褒美に好きなだけチキン揚げてやるから」
「もう食傷気味ですって」
「胃薬持参でくりゃいいだろ。和泉と一緒にな」
 カップにホットコーヒーを落としながら、中澤が人の悪い笑みで横槍を入れる。
「気をつけろよ? あの下に和泉を立ち止まらせないようにな」
 コーヒーをトレイに乗せた中澤が、すれ違いざま松下の耳に捨て台詞を残していった。まだ諦めてないのか、この人は…。客観的に考えればたんに自分がからかわれてるだけという気もするが、そうして油断すると…据え膳はしっかり食うオトコだ。やることはやるだろう。
「それじゃお先、失礼します」
 松下は憂慮を笑顔で隠すと、志水にだけ労いの言葉をかけて出口に向かった。カウンターでにやにやと笑う中澤には目もくれず。
 と、急にその足を自動ドアの真下でピタリと止めた。
「ボランティア報酬にこれ、いただいてきますよ」
 その場で軽くジャンプして宿り木の束を手中にする。
「ちょっと待て、おまえ…」
「メリークリスマス」
 ちょうど開いた自動ドアを足早に潜り抜ける。中澤が云いかけていたセリフは、入れ違いに入ってきた客によって阻まれた。愛想のいい声が店内に響く。この切り替えの速さは、さすがはマネージャーというべきか。
 松下は自動ドアのガラス越しにもう一度中澤に微笑みかけると、宿り木の束を掲げあげた。レジカウンターに乗せられた中澤の右手が、ほんの一瞬中指を突き立てる。
 それを目の端で確認すると、松下はマフラーに首を埋めながら家路についた。
 だがその前に、ピックアップしなければならないものが一つある。


 クリスマス限定販売の「souvenir」を手に入れるため、和泉はタイムカードを押すなり驚くほどの早さで店を飛び出していった。珠枝が取り置いてくれてるはずだから何も急ぐことはないのだが、一月向け商品の試食ができるかもしれない、という一言がよっぽどきいたのだろう。甘いもの好きじゃない松下には、果たして何がそこまで和泉をかき立てるのか、皆目見当もつかなかった。
 別に食べられないことはないが、市販のケーキ類はもとより甘いタマゴ焼きなどもおよそ松下の嗜好の範囲外である。
 だが珠枝のせっかくの好意を無にすることはできなかった。
 ケーキはどうやら、松下の分も取り置かれているらしいのだ。
 自分の分も貰ってこい、とは云ったがどうせ試食とやらでまだ店にいるのだろう。
 ついうっかり鍵を預けてしまったので、和泉を拾わないことには家に入ることもできないのだ。時計はすでに23時半を指し示している。だがシネマカフェのイルミネーションはいまだ賑やかに明滅していた。今夜はオールナイトでクリスマス映画を上映しているのだという。二階のテラスにチラチラとした青白い光が漏れ出している。タイムテーブルによると、いまは「ユー・ガット・メール」を上映しているらしい。
シンプルに白と銀でまとめられた前庭のクリスマスツリーを眺めていると、中からウェイトレス姿の珠枝が現れた。
「松下くん、これケーキ」
「あ、わざわざスミマセン…」
 表面に水色と白がサイケに踊った箱を渡される。予想していたよりもずいぶん大きな箱だ。持ってみるとズッシリ重い。
 箱いっぱいに詰められた甘いもの。
 これ全部食えって云われたら拷問だな…。それにしても、だ。
「和泉が取りにきたんじゃないんですか?」
「ウン、きたんだけどね……なんか突然、飛び出してっちゃったから」
「飛び出して?」
「うん、すごく慌ててたよ。どうしたんだろう」
「…さあ」
 首を傾げる珠枝に、松下もそんな間抜けな相槌しか打つことができなかった。
 和泉の行動は、松下の常識範疇を軽く超えることが少なくない。行動パターンが読めそうで意外に読めないのだ。これはもう、使っている物差しの相違点としか云いようがない。和泉の物差しが一般的だとはとても思えないが。
 和泉がいない、イコール家に帰れないということだ。
 オイオイ、どうしてくれんだよ。
 急に北風の冷たさが身に沁みてきたような気がしてくる。
「試食分のケーキも一緒に入ってるから、和泉くんにあとで感想聞かせてねって云っといてね」
「解りました」
「メリークリスマス」
 ひとまず珠枝に礼を云うと、松下は重い箱を片手にきた道を戻りはじめた。
 さて、どうしたものか。
 とりあえず連絡を入れてみようとポケットから携帯を取り出したところで、急にメール着信音が鳴りはじめた。手早く内容を確認する。送信先は和泉のアドレスだ。

『坂下公園にいる。ゴメン』

 無題のメールには、ただそれだけしか書かれていなかった。


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