friends again #3



「あ」


 廊下で設楽とすれ違った。
 1、2…。3歩進んでから僕は後ろを振り返った。
 信じられない。前からきてたことにさえ気づいてなかった。
 目が合う。向こうもこっちを振り返ってた。ゆっくり動く設楽の唇。まるでスローモーションを見てるみたいだった。
「橘」
 紡がれる自分の名前。
 チクチクする甘い疼きは健在だ。けれど。
 確実に前とは違う、色褪せてる響き。
 乾ききった布が濡れてる時の色鮮やかさを失うように。
 設楽の声はそれ以上でも以下でもなかった。
「2days、今日からだけどくる?」
「あ、そっか…」
 校内のあちこちに、小松原の汚い字で「LIVE」の四文字が散ってたのを思い出す。
 そこの壁にも剥がれかけてるB5のチラシが貼ってあった。
 出演者の名前と曲目だけが羅列されているチラシ。誰がいつ、どんな組み合わせでどの曲をやるかはその場のフィーリングに任せるのだと云う。リクエストも受けるとか受けないとか。行き当たりばったりな企画の割には毎回、成功をおさめているイベントだった。設楽の名前がある時のライブはいままで一度も見逃したことがない。
 一度たりとも。
「場所は?」
「今回からは多目的ンなった」
「行けたら、行くよ」
「サンキュ」
 設楽の笑顔。この世にこんなカッコイイ顔があっていいんだろうか、ってよく考えたりした。
 なんで誰もが設楽に夢中にならないのか、不思議でしょうがなかった。
 この世の誰もがいちごを好きとは限らない。そんな当たり前のことが見えてなかったんだ。偶像を降りた設楽は、僕と同じ履き古した上履きで地に足をつけたクラスメイトだった。
「じゃーな」
「うん、またね」
 無性に深草が憎たらしく思えた。
 布が乾くまでの、僅かな時間の色移りをあいつは僕から奪ったのだ。
 無理やり乾かされた布がヒラヒラと風にはためく。
 僕は深草のいる四組の教室に向かった。

 

 無人の教室。
 四組は放課後の人離れがいい。
 いっそ清々しいくらいに誰もいなくなる。
 黒板に書かれた文字だけが六限の名残をそこに留めていた。
 いまはどこのクラスも日本語の授業では「連句」をやっているらしい。
 発句から挙句まで決められたテーマに沿って四十八句並べてくだけの授業だ。でもやってみると意外に奥深かったりする。前の句に付かず離れずの世界観を次の句の中に持たせていくのだ。発句から始まった世界をそうして広げていき、挙句でまた最初の世界に戻す。四十八行の宇宙。
 右端に「恋」という字がでかでかと書いてあった。
 黒板に挙がった候補から選りすぐられた句が模造紙に並んでいる。

 

 

 

 

 


 ……Tシャツに 透けて見えてる 下心

 輪ゴムで狙った 靴下の線

 嘘ばかり ついた口よと 嘘をつき

 漏れた逃げ水 いまだ乾かず

 手折られて 足首に伝う 鮮血の色……

 

 

 

 

 

 

 

 いくつも並ぶ文字の中。見知った文字の一行が目に飛び込んできた。
 右あがりのクセの強い字。
 一発で誰だか解ってしまう。見慣れた筆跡。

 

 

 

 

 

 

 

 

 犯したくなる あのコの右手

 

 

 

 

 

 

 


 深草には末次ハルカという彼女がいる。
 気がつけばもう半年続いている。
 男にはきついが、女にはフェミニストを貫いてるヤツだ。女のコうけは妙によかった。
 彼女いるんだぜ、あいつ。
 授業抜け出して二人でどっかに消えてくのを、何度も目にしたことがある。
 深草の首筋にのぞく鬱血。見つけるたびにそれを揶揄った。
 あいつはただ、ニヤリと笑うだけだった。
 はたから見てても仲のいいカップルだった。少なくともそう見えてた。
 あの時。
 乗り継ぎを案内するアナウンスがひどく遠くに聞こえてた。
 冗談にしては行き過ぎてて。
 気まぐれにしては周到過ぎた、キス。
 輪郭だけを残してすべて吸い取られちゃったみたいな気がした。
 僕の中で大事だった何もかも。
 そして余計だった何もかも、すべてをあいつに。


「なんだよ、それ…」
 見たばかりのフレーズが纏わりついて離れない。
 黒板の中を縫うように進んでた文字列が、蛍光灯をかすめて僕の後頭部へと落っこちてきた。
 そのまま体をすり抜けた明朝体が、足元でバウンドして教室内を漂いはじめる。
 いくつにも分裂した文字列が踊るように宙を舞っていた。

 

 

 


犯 シ タ ク ナ ル ア ノ 子 ノ 右 手

 

お か し た く な る あ の こ の み ぎ て

 

犯 し た く な る あ の 子 の 右 手 ……

 

 

 

 

 

 指の間を文字がすり抜けていく。
 おまえ、僕の何を盗んだ?
 気がついたら四組の教室を飛び出していた。


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