friends again #2
――ぐつぐつぐつ。
煮えたぎる赤。
生地によった襞がまるで、内臓のそれのように見える。
ぐつぐつぐつ。
溶け切れなかった染料の塊が、小さな黒いシミになってへばりついている表面。
濃すぎるシミ。小虫みたいだ。
ぐつぐつぐつ。
あれはいつだったろうか。
叔母がキッチンでいちごジャムを作るのを横で見ていたことがある。
丸く愛らしい形だったいちごたちが、ぶよぶよになって最期にグチャリと潰れてしまうまで。煮詰めて煮詰めて。
ぐつぐつぐつぐつ。
やがて透明でサラリとしてた液体が、ドロリとした澱みに溺れていって。
ようやく、いちごジャムの完成。
甘くてオイシイいちごジャム。
原型を留めない、いちごたちの死体がゼリー状の羊水にヒタヒタと浮かんでて。
その想像は僕の胸に甘美な穴を開けた。
針の先ほどの極小の穴。その向こうに、見てはいけないものを見た気がして。
僕は襲いくる眩暈を堪能した。
ぐつぐつ、ぐつぐつ――…。
いちごジャムの心酔。
「それ以上、煮詰めたら焦げ付くぜ」
「え」
云われてはじめて、僕は自分のボールの状態を顧みた。
まるで引き潮に取り残された魚みたいに、ぐるぐる巻きになった布がボールの中で途方に暮れていた。
「うわ、危な…」
あわてて火を止めると、煮立っていた泡が急に静かになった。
ぐつぐつ、という鼓動のような音からようやく鼓膜が解放される。
「考え事か?」
「うん。ちょっとね…」
「今日はいつにも増してポヤっとしてるもんな」
「……いつにも増してって何」
「ハハっ」
読んでたジャンプを机に放り出すと、春日は両手を挙げて猫背気味の背中をピンと伸ばすと立ち上がった。
「さーて、と。何回やりゃー欲しい色が出るのかね。俺が求めてんのはさ、こうグッと深みのある渋い緑で、こんな抹茶みたいな粉っぽい緑じゃねーんだよなぁ」
「迷彩みたいな?」
「うーん近い、そんな感じ。…ったく、ココに何を足せばそうなるんだろ」
春日は唇を尖らせてしばし考え込んだあと、ハァと深いため息をついた。
まあね。欲しい色が簡単に出れば、誰も苦労なんかしないって。
それが染織の面白いとこでもあるわけだし。
なんだかんだ云いながらも毎週きちんと出てるとこを見ると、春日は選択美術の時間は気に入っているのだろう。
「もういいや、来週考えよう」
「また? それ先週も云ってなかったっけ?」
「細かいことは気にするなって。ところで橘のそれ、何使ってる? すごい赤じゃん」
「コチニールだけだよ」
「まじで? すげー色、血みたい」
「ウン。……ほんとだね」
ステンレスのボールの中で摘出されたばかりの内臓が、たこ糸でぐるぐる巻きにされて血に浸っている。僕はなべつかみでボールをつかむと、外の流しでシンクにその内臓をビチャリとぶちまけた。
蛇口をひねる。冷たい水に晒されて凍りつくように赤味が冴えていく。
あの日、鮮血に染まったハンカチ。
なあ、アレもわざとだったって云うのかよ?
「俺が下心なしで誰かに近づくと思うかよ」
終点の一つ手前の駅。
深草はじゃあな、と云って振り返りもせずにホームに下り立った。
あいつの不敵な声が聞こえて数秒後、その余韻を断ち切るかのように不恰好な音をたてて扉が閉まった。
少しずつ離れていく背中。思わず目で追う。
あいつは背中を向けたまま、こちらを振り返る素振りも見せないのに。
勢いのある水流に圧されて、じわじわとシンクの中に胃が広がっていく。
ちょうどこんな色だったよ。あの日、鮮血に染まったハンカチも。
血でずっしりと重くなってた。そこら中を鉄臭くしながら。僕を庇って深手を負った腕。
アレもわざとだったって云うの?
大丈夫だったか、って心配そうに云ってくれたセリフ。あれも嘘かよ…。
始まったばかりの学校。右も左も、誰と話していいかも解ってなかった。クラス中の誰もがそう。そんな時にそんな種を植え付けられれば、それは無条件に「信用」という樹木に成長するだろう。
僕はあの日、深草申児という親友を得たんだと思ってた。
そうじゃないんだ?
たこ糸を解いたTシャツをよーくすすいで脱水機に放り込む。
ポンコツな音をたてて回る洗濯機。
ぐるぐる、ぐるぐる。
さっきから渦巻いてるこの感情を何と呼ぶのか。
名付けられないその感情に、次第にカラダが侵されていく。
針の穴の向こうの世界。
見てはいけない世界がそこで、僕を待っているのかもしれない。
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