classmates no delicacy

but nice people #3



扉の開いた気配に首を傾ける。
緩やかな風とともに遠くの歓声や廊下のざわめきが、部屋の真ん中を通り過ぎていった。波のように引いていくノイズ。扉の閉まる音。ややして硬い靴音が床を叩きはじめ真っ白いカーテンの下にヒールが片方、現れた。
「ヒメ?」
「なんで解るの」
左右に開かれたカーテンの間から見知った顔がひょいと覗く。
「足音、かな」
「イヤな耳」
吐き捨てられた台詞とともにシーツの上に茶封筒が投げられた。
中でディスクが乾いた音を立てる。
「お望みのモノよ」
「サンキュ。さすがの手際だな、感謝してるよ。ところで…」
「さっき春日が出てくるのを見たのよ、ココからね」
台詞を云うよりも前に聡い唇が答えを返す。この機敏さが何より好きだったのを覚えている。
「なるほど」
「少しは気をつけるよう云ったら?」
「べつに隠してるわけじゃない」
ウソばっかり、とツヤのある唇がカタチだけ呟く。昔からヒメには嘘がつけたためしがない。英嗣が自嘲を浮かべると大きな丸い目がスッと眇められた。
「どのみち注意が足りないのよ。さっきキングに拉致られてたわよ、春日」
「委員長に?」
「ううん、倉貫先輩に」
封筒を開けかけていた英嗣の手が一瞬だけ止まる。
「へえ、倉貫先輩が」
云いながら封筒を傾け滑らせたフロッピーをシーツの上に落とす。表情に出したつもりはなかったが、ヒメの唇が動くよりも先に英嗣はアクションを起こさなければいけなかった。迷いの隙を縫って、アルトに核心を突かれるよりも早く。
「お」
タイミングよく鳴ったメール着信音に沈黙が破られる。
受信履歴の一番上、脅迫状の三文字。こんな子供じみたことをわざわざ演出する真意はいったいどこにあるのか。現時点では知りようもないが、とかく思考回路の読めないヒトだからな…。だからこそ危険でもあり、安全でもあるのだが。
正直云って手持ちのカードがどれだけ役立つのか、英嗣自身も百パーセント解っているわけではない。とんだクズの可能性もある。
どちらにしろ、こちらから出向かないことには始まらない話だ。人質まで、いや匡平を取られて黙っているわけにはいかない。
あの時、無理にでもココに足止めさせておけばよかったな。可能性を失念していたわけではないが、己のツメの甘さに思わず苦い感情を飲み込む。
「リミットは?」
「二時間よ。それまでには必ず、アタシに返してね」
「了解」
「オーバーしたら自力でどうにかしてよ?」
腕時計に落ちたカラコンの視線を追いかけるように、薄い色の髪が細い手首に降りかかる。ずいぶん伸びたもんだな…。それだけの歳月があれからすでに流れているということだ。姫城と自分との間に。そして匡平との間にも。
如実にそれを物語るスモーキーな色合いのシャギー。
さらさらと目の前で揺れるそれに手を伸ばすと、間髪入れずに撥ねつけられた。
「気安く触んないで」
アタシはもうあんたのモンじゃないのよ、瞳の奥が台詞の続きを語る。
「ああ悪い、ついな」
「治らないわね。その悪癖も」
「云うだろ? 三つ子の魂、百までってさ」
「サイテイ」
付き合ってた頃と寸分違わない口調でお決まりの台詞を吐き捨てられて、英嗣も決まりきった答えを返した。
「そんな誉めるなって」
眇められた視線に笑みを返す。
対する薄い唇に浮かんだのは嘲笑? いや憐憫か。
「春日に同情したいくらいよ」
「俺はウツギに嫉妬してるけどな」
「ジョーダン」
吐き捨てた台詞を最後に、踵を返したネコのような肢体を視線で送り出す。カーテンでさえぎられた視界の向こうでタイルがカツカツと規則的な音を立てる。
既視感のように沸いた騒音が部屋を満たして、今度はすぐに静寂が訪れた。
「さて、と」
取り急ぎ受信メールに目を通すと、英嗣は続いてリダイヤルボタンを押した。
そろそろ動きはじめるとしよう。みすみす恋人を女王のオモチャになどさせておく気はない。
「あー小松原? 例のヤツが届いたからプロテクト解除頼むワ。…おう。んじゃ、三分後に部室で」
携帯を右肩で支えながら器用に靴ヒモを結び終えると、英嗣はヒラリと窓の外に身を翻した。プラタナスの木がガサリと揺れた。



「カスガ、火」
どうやら今日はそういう宿命にあるらしい。
匡平は早々に悟りを開くとテーブルに転がっていたライターを手にした。
「念のため云っとくとココ、いちおう学校」
「だから何?」
「…別に云ってみただけです」
片手を添えて点した火に、如月が咥え煙草を近づける。葉の芯に吸い込まれた炎が赤々とした息衝きを先端に留める。間近で見るとなんだかそれ自体が何かの生き物のように見える。
「慣れない手付きね」
「そりゃ、女王の煙草に火をつけるなんて恐れ多くて」
「ま、口の減らない王子だこと」
堂に入った仕草で煙を吐き出しながら、如月が唇の片端をめくり上げる。
先ほど倉貫に拉致られてからすぐに連れてこられたのがこの部屋、俗に云う女王の司令室だった。

「副委員長、人質預かっといてくれよ」
「あら、召使いの補給?」
「解釈はお好きに。ただし、ナイトがくるまでは絶対に逃がすなよ」
「アンタ、誰に向かってモノ云ってんのよ」
「そりゃーもちろん女王陛下様にさ」

つい数分前に行われた笑顔の応酬に、匡平は少なからず背筋を寒くしたものだ。
王子に始まり、キング、クィーンと今日は大当たりだな。それというのも蓮科の野郎が朝っぱらからバックレてやがるのが悪い。今日は純粋に自分が被害者だという自信が大いにある。
「俺、まだクラスの準備、残ってんスけど…」
「アンタんとこ接待カフェでしょ? ホストは当日働いてなんぼよ」
いちおう口にしてみた申し立ては、先ほどピシャリと叩き付けられて終わった。とりあえずこれで早乙女からのメールと携帯をシカトする理由には困らない。いい加減、オネエの使いっぱにも嫌気が差してたとこだしな。
「眼鏡」
手近にあった眼鏡ケースを伸ばされた指先につかませる。長く揃った爪に施された紫のグラデーション。その間に挟まった煙草の炎とあいまりなんともいえない色気を醸し出している。
異色と云えば、これ以上異色な人物もいないだろう。
実父がSMクラブを経営しているとかで昔からお遊び半分、小遣い稼ぎに鞭を振るっていたのだという。高校に入ってからしばらくは指名の絶えないナンバーワンに君臨していたが、結婚を機に店にはほとんど足を運ばなくなったらしい。結婚相手は有名な縄師だとかなんとか。
以上、早乙女情報なので真偽の程は怪しいものだが「如月」がこの姓を名乗り始めたのが今年の一月。薬指の指輪とも合わせて考えると、少なくとも人妻であることだけは厳然たる事実のようだ。
それにしても人妻ってのはインパクトある響きだよな…。黒板を背にボンヤリそんなことを考えていると、急にハスキーボイスに名前を呼ばれた。
「ねえ」
「はい?」
「アンタ、潮吹いたことある?」
「……はい?」
眼鏡の視線は変わらず、デスクのディスプレイに注がれている。
キーボードを操る指先もそのまま、他愛ない世間話でも思い出したかのように振られた爆弾に匡平は思わずリアクションを失った。
「前立腺刺激で男も吹いたりするでしょ。アンタ経験ないの?」
「…な、ないけど」
「イキっぱなしになってスゴイらしいわね、あれって」
はあ、そうなんですか…と間抜けな相槌を打ちながら、匡平はどうしたものかと頭を悩ませた。はっきり云ってこのテの話は得意分野じゃない。どうにか穏便に切り上げたいのだが、回避案も打開策も、そうそうタイミングよくは思い浮かばない。
「前に知り合いで試したコトあんだけど、泣いてヨガって可愛かったわよー」
「あー、それはまた…」
「アンタも吹いてみたくない?」
「いや別に…」
「なんなら蓮科にレクチャーしといてあげようか」
「うっわ、えーと…謹んで遠慮しま…」
匡平がいよいよ返事に窮していると、コンコンと乾いたノックの音が「他愛ない世間話」に終止符を打ってくれた。
「失礼します」
音もなく開いた扉から、諸悪の根源が飄々と顔を覗かせる。
「あらあら、思ったより早いお迎えじゃない?」
「人質の解放を願えますかね、女王陛下」
午前中に比べればだいぶ顔色のよくなったオトコマエに、対・先輩用の食えない笑顔が浮かぶ。あれから少しは寝たんだろうか。手招きに呼ばれて部屋の扉を潜る。入れ替わるように蓮科が如月のデスクに近づいていった。Tシャツの背中にシワが寄っている。寝てた時まんまの格好じゃねーか。朝着てたパーカーはどこやったんだ?
「云っとくけど、遊軍がクモ隠れなんかしてんじゃないわよ」
「俺はあくまでもリベロですよ。それをお忘れなく」
「まったく口の減らないガキ共よねー」
ケラケラと笑いながら如月が眼鏡を外す。廊下からその様子を見守っていると、急に蓮科が真っ直ぐな黒髪に息が触れるほど唇を近づけた。
「……っ」
途端、心臓が痛いほど鳴る。
匡平は慌てて二人から目を背けた。小声のやり取りは小さすぎて聞き取れない。
なんだよ、チクショウ…。ふいに涙腺が緩みそうになって匡平は窓ガラスの向こう、晴れ渡った秋空に目を凝らした。
蓮科にしてみればどうってことない日常なんだろうけど、自分にとってはいまだ相容れない世界だ。慣れない日常。でも、やがていつかこんな風景にも慣れてしまう日がくるのだろうか。この胸の痛みにも? どうしようもないこの苦々しさにも…。
「じゃ、あとは本部でやってね」
「はいはい了解。で、肝心の倉貫先輩は?」
「現在、ロスト中」
「…なるほど」
それは同時に王子のロストをも表していると考えていいだろう。
そーゆことか。アンタら二人のカバーをまとめてリベロに任せちまおうって魂胆だな。面倒くせえ…。ま、しゃーない、引き受けてやるよ倉貫先輩。だがその前に。
重厚な扉を閉め廊下を振り向くと、すぐそこに憂いを含んだ横顔があった。
「春日」
窓の外に揺れていた視線が自分の上で焦点を結ぶ。…眩暈がした。
充電が足りてない。ほとほとそれを思い知らされた気分だ。
「わ、バカ、こんなとこで…っ」
「静かにしてればバレねーよ」
つかまえた体を壁に押し付けて半ば強引に唇を合わせる。午前中から点ってるあの炎がチロチロと舌先で理性を弄る。
「ン…っん」
甘い桃の香りが舌先に沁みた。
流されそうになる意識を無理やり押し留めて、英嗣は腕の中の匡平を解放した。
悪癖ってヤツはなかなか治りそうにねーもんだな…。
「四時に第三練習室にいろよ。必ず行くから」
匡平の耳元に囁きを残すと、英嗣はかろうじて残っていた理性を総動員してその場を離れた。
その姿が完全に見えなくなってから。
「な…んなんだよ…っ」
ズルズルと壁に沿うようにして、匡平は冷たい廊下にうずくまった。
口移しされた熱が血管を通って全身に回っているようだ。こんなキス一つでどうにでもされてしまう自分が悔しい。これが惚れた弱味というもんだろうか…。
ポケットの中でコール音が鳴りはじめる。それが留守電に切り替わる直前、匡平は通話ボタンを押した。途端、通話口から早乙女の金切り声が溢れてくる。
「あー解ってるって、…ウン、いま事務局棟にいる、いまからそっち向かうから…」



「蓮科?」
春日からターゲット発見のメールを受けてまだ間もない。
逃がしてなるものかと、南は慎重に退路を塞いだまま前に進んだ。
旧棟の半地下になった物置。いまでは滅多に近寄るような輩もいないところだ。まさかこんなところまで遠出してるとはね。
「いんなら出てこいよ」
云いたいことは山ほどあるのだ。こちとら二日も家に帰ってないってのに、リベロのおまえが先に音を上げてんじゃねーよ。…と云っても南自身は研究室のソファーでしっかり十時間睡眠を取っているのだが、この際それは聞かなかったことで。
「ハチスカ?」
けして狭くはない物置内をじりじりと進みながら、南は前方に人の気配を感じた。なんだそんな所に隠れてやがるのか。往生際の悪いヤツめ。
だが、呼びかけた名前を遮るように。
「よう」
棚の向こうから現れた人物に、南は一気に全身を硬直させた。
鼓動がこれ以上ないぐらいに速まる。剣呑な光を目元に宿らせて南は声を低めた。
「…おまえ謀ったな」
「そういう察しだけはイイよな、相変わらず」
見下ろす視線で不遜な笑みを投げかけながら、倉貫がスイと片手を差し伸べる。
「イイコだから、こっちにおいで」
「ふざけんなよ!」
搾り出すような南の怒声が室内に響いた。だが倉貫に怯む様子はない。むしろ楽しそうに唇を歪ませている。
憤慨の所為なのか、南の白い頬が目に見えて紅潮していった。
「なんだかんだと先週は逃げ回りやがって」
「ウルサイ!」
「今日は逃がさねーぞ」
だが口ではそう云いつつも、倉貫にその場を動く気配はなかった。
南の後ろには開け放たれたドア。反転してダッシュすれば容易にこの場を逃げ出すことができる。けれども。

「こいよ、櫻」

薄い唇から紡がれた名前。それを聞いた途端、南はその場を動けなくなった。
泣きたくなる。
なんでオマエが…。オマエなんかが…。
「そう、イイコだな」
静かに部屋の扉を閉ざすと、南は自らの意志で倉貫の前まで歩を進めた。
見上げると存外に優しい視線が自分を見下ろしている。
「よくできました」
小バカにしたような台詞とともに力強い腕が南を抱きすくめる。
落ちてきた唇を受け入れながら南はシャツのボタンを外した。露わになった鎖骨に倉貫が熱い舌を這わせる。次第に甘みを帯びていく吐息。
「やんならさっさと終わらせようぜ…」
「そうもいかねーよ。二週間分、ヤんなきゃだろ?」
耳元で囁かれて、ただそれだけのコトなのに腰が抜けそうになる。
こんな風になるのは、自分をこんな風にさせるのは…。
世界中でただ一人コイツだけなのだ。
理由は自分でも解らない。いや、解りたくもない。
だってそんなハズない。どうして自分を強姦したヤツを好きになれる?そんなこと有り得ない。絶対に起き得ない。
じゃなきゃ自分が惨め過ぎるじゃないか…。

「ン、も…早く…っ」
「そんな焦んなよ、時間はまだまだたっぷりあるんだ」
立ったまま片足を担がれて、不安定な体勢のまま倉貫を呑み込まされる。その感触に思わず仰け反ると、濡れた雁首を指先が焦らすように弄りはじめた。
「あ…んンッ」
スパークにはほど遠い、だが性器が爛れるような快感が先端から生まれる。
南の睫毛から滴った涙が、倉貫の白いシャツに吸い込まれていった。


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