アンチテーゼ #7



Finale eternal to the chest pain set free.
解き放つ胸の痛みに永遠のフィナーレ。


「倉貫がくるって」
「えっ」
準備期間中すっかり切敷の根城と化してる第四会議室内で、南は下級生から差し入れにもらったピーチチョコをつまみながら週刊誌のグラビアを広げていた。相変わらず仕事していないのは一目瞭然。指先からポロリと落ちたチョコの欠片をナイスキャッチした切敷が自身の口にそれを放り込む。
「甘いな…茶でも買ってくるか」
「ヨシ。俺が買ってこよう」
「オマエ戻ってくる気ないだろ」
「当たり前じゃん!」
靴下のままペタペタとタイルを踏みながらそこらに脱ぎっ放しだった上履きに爪先を入れる。銀紙でグルグル巻きにしたチョコは抜かりなくポケットの中へ。すでに逃げる気満々の体勢で南が所持品の指差し確認を始めた。
「チョコよーし、ハンカチよーし」
「携帯は?」
「あ」
長テーブルの端に転がってる二つ折りを視線で促すと、切敷はエンターでこれまで打ち込んだデータを本部に送った。機材で自分ができることはこれで終了。あとはあの倣岸不遜オトコに任せて本来のポジションである会計の方に目を光らせなくてはならない。昨日までは兼任で全うするつもりだったんだけどな。清が剣道部企画で動けない以上、南のフォローはあからさまに切敷の役割分担だったが、会計の方で起きたトラブルが予想外にこじれているらしい。観月にヘルプの打診をしたのが昨日の夜中。今朝になってパソコンを立ち上げたら、二つの選択肢が届いていた。「瀬戸内と倉貫、どっち回す?」カードをセレクトしたのは切敷自身。話をするにはちょうどいい機会だと思ったから。
「これから引き継ぎやっから」
「俺、しばらくこの辺には近づかないからね」
「はいはい。ステージの機材でも見てくれば。設営班の班長って宮島だろ?」
「そうなの?」
「オマエなぁ、もうちょっと関心持ってやれよ。明日には彼氏になんだろ?」
「あ、そっか」
まるでいま思い出したかのように南がポンと掌を打ち合わせる。まるでヒトゴトのような感慨。
最終的に誰を選ぶのも切り捨てるのもそれは南の自由だ。けれど、思い悩んで日々少しずつ痩せていく姿を傍らでただ見ているのは辛い。何事にもリミットというものが定められているハズ。どうやら自分のそれは今日、限界を迎えたらしい。せめてセレクトの膳立てをするぐらいは自分に許された権利だと思いたいんだけどな。越権行為だと罵られようとも友達なら当然の気遣いなんだぜ?
「俺はさ。オマエのこと、いい友人だと思ってるよ」
「は? 何、トツゼン?」
南の顔に大きなクエスチョンマークが浮かぶ。あと数瞬後、コレはいったいどんなマークに切り替わるだろう? 甘やかすのはもう終わり。胸の奥にずっと仕舞い込んでた疑問を引っ張り出してくると、切敷はその埃を叩いた。
「オマエ、あいつのコトどう思ってんの?」
「…………」
南の表情がすうっと消えていく。瞳の奥に沈殿してた感情が投石によって僅かに波立ち始める。時間をかけてゆっくりと浮き上がったソレがやがて南の双眸を覆い尽くす。微かに震える唇から返ってくる答えはないだろう。だが切敷が待っていたのは言葉ではなく、まさにその表情だった。
「このまま宮島と付き合っちまってイイのか? アイツのことは放っといていいのかよ?」
「倉貫なんか…ッ、まったくゼンゼン関係ないよ!」
「お。アイツの名前なんか一言も出してないんだけどね」
「こ…っのウスラトンカチッ!」
幼稚園児並みの捨て台詞を残して南が飛び出していく。それとほぼ入れ違いに観月が第四会議室にオレンジ色の頭を覗かせた。
「あーらら。泣いてる南チャンとぶつかるのはこれで二度目なんだけど。切敷、何云ったの?」
「ちょっとイジワルをな」
「ハハ。従者がそんなコトじゃダメだろー?」
「おまえんトコの馬鹿キングはどうしたよ。こない気か」
「くるよすぐに。わりと焚き付けたんでヨロシクね」
「世話の掛かるヤツら」
「ホントになー」
さーて見回り見回りー、とぼやきながらオレンジ頭が出て行くのを「お互い様だな」切敷は肩を竦めて見送った。蛍光灯の白い明かりが窓からの自然光を上回り室内を満たす。傾いた陽が沈むまでにはまだもう少し間がある。ヒトの気配に扉口を窺うといつのまにか開いていた扉が今更ながらトントンと乾いた音を立てた。
「ノックが必要だったか?」
「それが最低限の常識なんじゃないのか」
「悪いな、王様育ちなもんでね」
口振りに負けない不遜な笑みが薄い唇を彩る。片手をポケットに入れたまま爪先で軽く扉を蹴ると、倉貫は会議室の戸を閉めた。少しよれたシャツに緩んだタイ。仮眠でも取ったのか黒髪の先が少し跳ねている。それをグシャグシャと掻き回す姿には疲労が色濃く纏わりついていた。だがそのどれにも貶められることなく、王者の風格は損なわれない。カテゴライズするなら倉貫は間違いなく南と同じ種類の人間なんだろう。滲む品格の持つ説得力が否応なしに対峙した者を圧倒しようとする。だが本人にその自覚はまるでないのだ。だから恐ろしい。全ては無意識の賜物。
「南は?」
「オマエがくるって云ったら逃げた」
「あ、そ」
隣りの椅子を引いてドカリと座り込む。ただそれだけの動作がひどく偉そうに見えるから不思議だ。恐らく「偉そうだな」と云えば即座に「偉いんだよ」と返ってくるだろう。予測できる範囲の応答パターンはどっかの誰かとよく似ている。
「とりあえず機材の経過はこっちに纏めた。プリントしたから後で目を通しておいてくれ」
「ああ」
「で、こっちが各クラス・有志団体の発注リストだ。発注された機材はほとんど納入されてるよ」
「機材の管理は?」
「二年の真田がやってる。各班長の携帯リストはこっちな」
キーボードに指を滑らせながらファイルとリストの説明に従事する。一回で覚えてくれるヤツは楽でいいよな。南には覚える気がなかったから一度も説明はしていない。ただ毎年下らないクレームの矢面に立ちがちな機材係が、今年は一度もその被害に遭っていなかった。これはたぶん南効果だろう。「やっぱり俺ってば愛されてる?」という南の口癖も満更ではない。これで倉貫がつけばもはや誰も口出しできなくなるだろう。
「ま、だいたいこんなもんか」
上はともかく下がシッカリしてるから多少のトラブルには対応できるだろう。機材はほとんど二年が中心になって動いているから、監視とフォローさえ怠らなければ問題はない。
「おまえ、クラスの方は?」
「ノータッチ。オマエもそうなんじゃねーの?」
椅子に踏ん反り返ったまま、プリント上を素早くなぞってた視線が一瞬こちらを向く。委員会に入った時点でクラス企画は諦めたも同然だ。
「ならこっちに精出してくれや」
「それなりに頑張るサ」
引継ぎはこれで全部だ。倉貫がプリントを読み終わるのを待つ。細長い部屋の一番端の窓にオレンジ色の太陽が引っ掛かっていた。誰そ彼時。イヤミなぐらい整った横顔の陰影がさらに濃くなる。十枚綴りの七枚目をめくったところで唐突に倉貫が口を開いた。
「南、どこ行った?」
視線は変わらず紙の上を滑っている。
「俺が云うと思うか?」
「云えよ」
「断る」
「なぜだ?」
「オマエが本心を云わないからだ」
「フウン。云えば教えるのか?」
「答え次第」
「なら云ってやるよ。俺はオマエを殺してやりたい」
プリントを滑る視線が十枚目に移る。
「何でだ?」
「アイツとヤッてるからな。誰にも触らせたくないんだよ。俺だけのモノにしたい。これが本音」
「へえ、熱いじゃねーか」
「青春してるだろ?」
読み終えたプリントをばさっと机の上に放る。俯いた唇がニヤリと歪んだ。だがそこに不遜な気配はない。まさかこんな傷ついた倉貫を見ることになるとはな。覇気のない声。色褪せた風格。意志の沈んだ瞳。予想してた以上の返答にしばし口を噤む。
「ナミには伝えたのか」
「ほぼ毎回云ってら」
「そりゃ熱烈だな」
「でもアイツは俺の言葉を信じない。アイツに俺の言葉は届かないんだよ」
「ふぅん」
南にしろ倉貫にしろ、コイツら二人して派手にこんがらがった毛糸玉抱えてやがんな。解くにはまず毛糸の先端を見つけることが重要だ。
「アイツ、明日には宮島とオツキアイ始める気だぞ」
「知ってるよ」
「あーそう?」
南を泣かせるまでイジメたのは久しぶりだ。たぶんもうじき設営班の班長に泣きつくだろう。そういうシナリオで話を進めてしまったから。これで南の気持ちさえハッキリすればこの後の結末を考えられるんだけどな。さすがにそこまでは切敷にも解らない。
「…サクラ」
ぼそりとした呟きが机の下に落っこちていった。
頭の中でカチっと歯車の噛み合う音。気の所為でなければコイツ、いま呼び捨てにしたよな? カチカチっと続けていくつもの歯車が回り始める。それは盲点だったかもナ。
「オマエ、あいつのこと名前で呼んでんだ?」
「不都合でもあったか」
「いや、別に。つーか呼ばせてんだな、オマエには」
「何の話だよ?」
南を名前で呼ぶ。それがどれだけの特権か、倉貫には解らないだろう。中学の時に一度だけ、ふざけて「サクラ」と呼び捨てにしたことがある。その直後、真顔で食らわされた往復ビンタの威力はいまでも忘れられない。反射神経ってなスバラシイと思ったもんだよ。切敷はその後五日間、南に一言も口を利いてもらえなかった。
「話が見えねんだけど」
「それよりおまえ、ナミに会ってどうする気だ?」
倉貫の詮索にはわざと取り合わず、切敷は話を核心に持っていくと書きかけだったシナリオの該当ページを頭の中に広げた。答え次第ではエンドロールの表示も変わってくる。オレンジ色に染まった壁をじっと見つめる瞳。その内側で対流してた感情が、切敷にはそのまま言葉になったように聞こえた。
「アイツの気持ちを確かめたいんだよ。俺が心底キライならそれでいい。すっぱりフラれて終わりにする」
「へえ、そうじゃなかった場合は?」
「二度と誰にも触らせねえ」
射殺すような視線が切敷を貫く。うわーすげェ殺気。切敷は内心苦笑を浮かべると、広げてたシナリオをぱたんと閉じた。ラストシーンは考えるまでもない。
「アイツならステージの設営班にいる。行けよ」
云い終わらないうちに立ち上がった体がズカズカと扉口に向かう。捨て台詞よろしく「礼は云わねーぞ」とヒトコト吐き捨てると倉貫は振り返りもせずに会議室を出て行った。パタンと閉まった扉を眺めながら。
「…つーか、アホだろおまえら」
正直な心情を吐露せずにはいられない。主席と次席がアレなんだから、勉強のできるヤツってのはやっぱどこか偏ってるんだろう。使ってる物差しからしてまず大幅に違う。中でも南の物差しはオートクチュールの特殊品だ。
天然が勝手に作り出したアホくさいローカルルールは数限りないが、そのうちの一つに「名前」があった。あれは確か中一の前期だったろう。国語の授業で「名前」という言葉の定義をクラス全員が考えさせられたことがあった。切敷はそれを「記号」と見なし、南はそれを「存在の証明」だと定義した。自分という個を表す特別なシルシ、だからそれを呼んでいい人間も当然限られてくるという独自理論。中・高通して南を名前で呼んでいる人間がいないことに倉貫はいつ気がつくだろう。
「俺でさえナミ止まりなんだぜ」
無論こちらから教えてやる気は毛頭ない。そこまで親切にしてやる義理は欠片もないワケだし。頭の中でそうキッパリと云い切ってから、切敷は胸中にわだかまる感慨に「オヤ?」と首を傾げた。これではまるで娘を嫁に出す父親の心境ではないか。
「やれやれ…」
知れず重く深い溜め息をつきながら、切敷は両頬のエクボを掌で隠すとこの先にあるだろうハッピーエンドを思った。


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