アンチテーゼ #5



Beneath our faults we'll live and die.
俺たちは自らの過ちの下に生き、そして死ぬだろう。


アレは確か、中三の終わり。一、二組合同の体育にとりあえず顔は出したものの、朝からヒドイ偏頭痛に見舞われていた倉貫は瀬戸内に分けてもらった常備薬をミネラルウォーターで流し込むと、ジャージのまま倉庫内のマットに横になっていた。気を失うように落ちたノンレム睡眠から次に目が覚めた時、有り難いことにガンガンと打ち鳴らすようだった痛みは完全に消えていたが、しかし。
「…あー?」
シンと静まり返った空気。薄く開いた視界の端、ピッタリと閉じ合わさった倉庫の鉄扉が見えた。ちょっと待て? 立て付けが異様に悪いことで有名な体育館倉庫の扉。一度閉まると中からは絶対に開けられないという不吉な扉。それがいまはまるで貝のようにきっちりと閉じ合わされていた。軽く、監禁状態だよなコレ?
「冗談じゃねーよ」
腕時計の文字盤に目を走らせる。四限目が始まってまだ間もない。なのにこの静寂ぶりということは。…ついてねーな。水曜の四限に体育館を使用するクラスは全学年を通じていなかったということだ。救助は昼休みを迎えるまで望めないだろう。
つーか、起こせよな誰か。友達甲斐のないヤツらめ…。口の中で毒づきながら勢いよく上体を起こすと、右手の袖口から書き殴られた油性ペンの文字がチラリと覗いた。
「アイツら…」
袖を捲くって明らかになった全文に軽く溜め息をつく。起こしても起きないから置いてくよーん、は観月だろう。昼休みには迎えにくるからね、が瀬戸内。明らかに二人分と解る筆致が、友情の果敢無さと薄情さとを雄弁に物語っていた。
しょうがねえな、また一眠りするか。そう思ってマットにもう一度転がってみるが、さっきまで熟睡していたせいかやけに冴え切った目と頭が倉貫の試みを強固に阻んでくれた。とてもじゃないが眠りになんて入れそうにない。どうしたもんかな…。寝転がったまま無為に天窓を眺めていると、ふいに間近から衣擦れの音が聞こえてきた。上げた視線の先に捉えた人影。
「あれ?」
声変わり前としか思えない柔らかなソプラノ。
「もしかして閉じ込められてる?」
ひどく眠そうに目を擦りながら、少し離れた高飛び用のマットの影から南の小作りな顔が覗いた。茶色い猫っ毛が短時間の睡眠によるものとは思えないぐらい派手にあちこち跳ね返っている。確か三、四組と入れ違いに自分たちの合同体育のセッティングがされていたように思うが。水色のルコックのジャージに刻まれた深いシワ。寝惚けきった顔。
「オマエ、まさか一限からいる?」
「うん、HRの後すぐに…ここで寝始めたから…」
台詞を中断した欠伸を片手で隠しながら南がチョコンと高飛びマットの上に座り直す。ややしてパッチリと開かれた丸い瞳がようやく倉貫の姿をきちんと関知したようだ。小首を傾げながらまた「あれ?」と小さく呟く。
「エート、倉貫?」
「だったら何だよ」
「あ。俺ね、三組のミナミ」
知ってるよそれぐらい。腹立ち紛れ小声で吐き捨てる。だが少し離れた南にまでソレは聞こえなかったのだろう。続いて披露されかけた下らないプロフィールを「聞いてねーよ」の一言で切り伏せる。
王子とか呼ばれてチヤホヤされてる同級生。しかもそう呼ばれて当然のように返事するんだぜコイツ。頭の神経、どっか切れてるとしか思えない。にも関わらず、こんなのが学年主席だというのだから世も末だ。
年下から年上まで、周囲にぐるりキレイどころ侍らせてイイ気んなってんじゃねーよ。ハーレムに加えて従者まで二人引き連れているのだからホントに大した王子サマだよ。
その存在を知った時から、倉貫は南が気に食わなかった。べつにハーレムなんてその気になればいつでも作れるし、それだけの容姿と頭脳、風格には恵まれている。おかげさまでオンナには不自由してないし、この三年間次席を譲ったこともない。揶揄や嫉妬も含めて暗に「キング」などと呼ばれているのも知っている。呼びたいヤツはいくらでもそう呼べばいい。持って生まれたものを羨まれるのは物心ついた時から変わらない現状だから。むしろ日常。
だから下らない羨望でもなく、愚にもつかないヤッカミでもなく。南の何がこんなにも自分を苛立たせるのか、その要因が思い当たらないところが何よりも倉貫の神経に障った。こんなにも胸クソ悪い気分を味わわせる南という人間は自分の人生にとって最も不要なファクターの一つなんだろう。排斥するべき要素。絶大なる確信。この三年間、倉貫は意識してかかわりを持たないよう過ごしてきた。
「倉貫?」
だからこんなにも間近で接触するのも、口を利くのも今日が初めて。カタチのいい濡れた唇が自分の名前を呼ぶ。気付くと間近まできていた水色ジャージが、倉貫の寝そべったマットの端に腰かけていた。フラフラと天窓辺りで揺れていた視線がスルリと自分の上で焦点を結ぶ。なぜか背筋がゾクっとした。悪寒じゃねーのか、コレ。
「いつもの従者はどーしたんだよ。それともついに見捨てられたのか?」
「キリシキたちは昼休みに迎えにきてくれるって」
「あ、そ」
泣いても笑っても。このクソガキにいくらムカっ腹を立てたところで、倉庫に二人きり、監禁された状況は変わらない。チャイムが四限目終了を告げない限り、ここから脱出することは叶わないのだ。
あと残り三十八分間、さてどうしよう。
またうすらボンヤリと天窓を眺めている天然を横目に、倉貫はジャージのポケットに片手を突っ込んだ。けれどその先で触れるはずのセロファンの感触がない。代わりに薄っぺらいビニールの手触り。恐らく煙草を持っていったのは観月、そしてゴムを突っ込んでいったのは瀬戸内だ。今日の放課後シヨウという合図。大したキッカケもなく始まった関係は、夏を過ぎ秋を超え冬を迎えた今でも健在だった。持て余した性欲を処理するにはオトコの方が割に都合がイイらしい。互いのニーズを埋め合うだけの関係。けれど、そこらの下手なオンナを抱くよりはよほど安全で合理的なセックスだった。
カンタンだよな、オトコの性なんて。性欲とけして切り離すことのできない征服欲。そこを少し刺激してやるだけでオトコ相手にも勃つということを倉貫は去年の夏休みに学んだ。
残り三十五分。倉貫は水色ジャージの手首をつかむと、器用に華奢な体を組み敷いた。容易に押し倒された南が倉貫の下で目を丸くする。
「何?」
「ヒマ潰し」
云いながらルコックのファスナーを空いた手で開く。身じろいだ手首をきつくマットに押し付けるとキレイな柳眉が見事に歪んだ。イビツな爽快感が倉貫を支配する。
「イタイ…」
そりゃ痛くしてるからな、アタリマエだろ?
開いたジャージの中、滑り込ませた手でTシャツを撫で回してやる。その手順を淡々と目で追いながら「あっ」と急に思いついたように南が声を上げた。
「なに? もしかしてセックスしようとしてる?」
「そう。俺がオマエに突っ込むの」
「倉貫って俺のこと好きなの?」
「バーカ、んなわけねーだろ」
「え? じゃあ、なんでこんなコトするの?」
「嫌いだからだよ」
「え?」
「嫌いだからこうするんだよ」
踏み躙って、蹴散らして、粉々にしてやるよ。オマエに味わわされたこの苛立ち、せめて少しでも解消させてくれよ。他でもないオマエがもたらした不快感なんだからさ。
言い掛かりでも何でもいい。一度ついた火を消すのはそう簡単じゃない。ブレーキのある性欲なんていまだ嘗て聞いたこともないしな。
「え、でもサ。こういうのってフツウ好き合ってる同士がヤるモンなんじゃないの?」
「怖いのか?」
「だって俺ってばチェリーボーイだし」
「嘘つけ」
あんだけオンナ侍らせといてよく云うぜ。廊下だろうとバスん中だろうと、所かまわずキスシーン演出してるくせに。
「世の中にはな、二種類のセックスがあんだよ」
「そうなの?」
「一つが愛情、そんでもう一つがコレ」
無理やり脱がせたジャージを床に放って反転させた体に上から圧し掛かる。倉貫は慣れた手付きで下着ごとズボンを下に摺り下げた。所要時間たったの五秒。
「暴力だ」
「ワ、初めてだから優しくしてほしいんだけど」
「少し黙ってな」
開くと碌なことを云わない口を唇で塞ぐ。慣れた舌。けど体の方はぜんぜん慣れてなかった。初めてという言葉もあながち嘘じゃないのかもしれない。
云われるがまま服を脱ぎ、腕を絡め、足を開く体。抵抗の色がないのをイイコトに倉貫はそれを好きに貪った。
「あ…っ、あッ…ン」
時折もれる高い声がことのほか自分を煽る。快感に素直な体を倉貫は少しずつ慎重に開いていった。首筋、胸の尖り、白い下腹、あちこちに育てたあえかな蕾をゆっくりと咲かせて指先で愛でる。最後に思うさま大輪の花を散らすため。
「アァ…っ」
尾を引くような南の悲鳴。実際は一秒にも満たない喘ぎだったろう。ストロボを焚いたようだった視界に徐々に色が戻ってくる。一瞬、ここがドコだか解らなかった。荒い息遣い。ややしてそれが自分のものであることに気付く。腕の下で白い体が快感の余韻にヒクヒクと震えていた。内部と連動したその動きに思わず眉を寄せる。いまにも引き摺り込まれそうな快感からゆっくり身を引くと、倉貫はドサリとマットに転がった。根底から覆された快楽の定義に言葉が出てこない。
じきにチャイムが鳴り、救援隊も駆けつけてくるだろう。それすら忘れかけてた自分に思わず苦笑する。
「服、着ろよ」
白い体にルコックを投げつけて自身も元通りナイキを身につける。救援隊がくるということはあの近衛兵たちもやってくるということ。それまでにはせめて服を着といてくれよ、王子サマ。のろのろと覚束ない手付きに仕方なく手を出す。
「なあ、倉貫…」
「アー?」
「さっきの体位ってサ、何てやつ?」
「何って正常位だろ」
「フウン、そっか正常位…。じゃー今度は俺、松葉崩しってのがイイや。仏壇返しとか」
「なんでいきなり四十八手なんだよ」
「え、ダメなの?」
少なくともついさっきロストバージンしたやつが云う台詞じゃねーな。もっとこうフツウにバックとか騎乗位とか…つーか、それ以前にコイツ状況、解ってるんだろうか?
「なあ」
云いながら起き上がろうとした体がグラリと傾ぐ。体に力が入らないんだろう。無理もない。柔らかい茶髪がまたマットに散った。チャイムが鳴る。そろそろ間抜け面の迎えが雁首揃えてやってくる頃だろう。
立ち上がろうとした体をキュッと下から引っ張られる。ナイキの裾をつかみ締めてる細い指。
「何だよ」
「このまま第二ラウンド突入ってわけにはいかないよね?」
「…………」
バカだコイツ。本当にバカなんだ。手のつけられないバカ。生粋バカ、真性バカめ。オマエ、仮にも強姦されたんだぞ? 解ってんのかその辺? 再発しそうな偏頭痛に思わずこめかみを押えたところでガンガンガンと鉄扉が鳴った。
「倉貫ー?」
場違いに能天気な観月の声。ああ、ようやく日常が戻ってきたって気がするよ…。怠惰に寝そべったままジャージを離さない手を振り切って立ち上がると倉貫は唇の片端を上げた。
「そんなにヤってほしきゃ来週の水曜、またココにいろよ」
同じ時間にな、そう云い置いて開いた扉の向こう側に出る。中を覗いた観月が「あれ、南チャンじゃん?」と入れ違いに入ってくのを尻目に倉貫は更衣室に向かった。後ろから追いついてきた瀬戸内が隣りに並んで「ねえ」と声を潜める。
「南とヤッたんだ?」
こういうことには恐ろしく敏いよなコイツ。
「使っちまったよ、ゴム」
「ヨカッタ?」
「ああ、死ぬかと思った」
正直な感想を述べたところで瀬戸内には冗談にしか聞こえないだろう。「それ、スゴイね」と笑った瀬戸内が倉貫のポケットにまたゴムを滑り込ませる。放課後に抱いた瀬戸内の体はいつもと同じ、しなやかで柔らかかったけれど。だがボルテージを振り切ることは一度もなかった。
まさかいるわけないだろう。次の週、そう思って覗いた倉庫の中に南の姿を見つけたあの日から。
「遅い!」
「懲りねぇな、オマエも」
「あのね、今日はバックからガンガン突いちゃって」
「ハっ、ビギナーがいきがってんじゃねーぞ?」
気付いたら水曜が慣習に、そしてすっかり身についた悪習になっていた。


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