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in everyday scenery



#4 Tetsu Shitara


 駅前で春日に声をかけられた時は「コイツ背中に羽でも生えてんじゃないか?」と思わず真面目に考えてしまったものだ。友人と駅前で待ち合わせてる、などと浅墓にも告げてしまった手前「アラ、じゃあお友達の方にもご挨拶したいわ」などと返されたこの局面、さてどう次の手を打つべきか多少考えあぐねていたのは確かだったから。いや多少でなく相当かもしれない。
 母親が世話になっている以上無碍にも扱えず、だからと云って下手に隙を見せれば食いついてくるのは目に見えてたから。この親子の扱いはいつでも本当に神経を磨り減らしてくれる。自分がいつからそんな対象として扱われるようになったのかは定かではないが、中学に上がった頃にはもう立派に「娘の結婚相手候補」として母親の方の頭にインプットされていたように思う。似た年頃の娘を持つ母親というのは考えることも似たり寄ったりらしく、こんな風な眼差しで射られるコト自体はそう珍しくもない。ただこの五十嵐親子の場合は少々話が異なる。娘が乗り気な上、母子共にツラの皮が厚いという稀に見る困ったセット内容を前に、自分が打てる手はそうたくさんはない。母親はもちろん、相手方の顔を潰すことなく、やんわりとした拒絶をこの二人を前に何度繰り返してきたことだろう。
「よう、設楽」
 ポンと肩を叩いてきた春日に「ああ、早かったね」二の句を与えぬよう素早く相対した淑女と令嬢の二人に頭を下げる。
「それでは友人が参りましたので」
 キョトンと目を見開いた春日にさり気なく目配せを送ってから「失礼します」四十五度に曲げた体を元に戻す。炎天下の下、二十分も立ち話に付き合わされた結果、額に浮き出ていた汗が頬を伝って首筋に流れた。春日の顔が親子好みだったのが幸いしたな。二人の視線が吸い寄せられるように春日の涼しげな顔立ちに向けられているのを確認してから踵を返す。
「あ…」
 と背後から零れた台詞を断ち切るように「母には宜しく伝えておきます」ゆっくりと振り返らせた顔を笑みで彩って二人を黙らせる。危ない。下手すれば春日まで巻き込んで高いお茶に付き合わされるところだった。並んで歩きながら「悪い」緑色のサンバイザーに小声で謝罪する。
「…なんか、タイミング良かったみたいだな」
「まじ助かったワ」
 あそこで春日が声をかけてくれなければ、サイアクあの親子と共に昼食を取るような事態に陥っていたことだろう。出来ればああいう手合いの人間には無駄な期待を抱かせたくない。
「母親の仕事関係でね」
「下手にあしらえないってか」
「ま、そーゆこと」
 偶然のもたらした幸運というものは時によく練られたシナリオのように安泰に事を進めてくれることがある。アイツを連れてなくて心底ヨカッタ…。今日がこんな真夏日にならなければきっと同行していただろうから、その上で五十嵐親子になんて遭遇していたらさすがの俺もアイツの行動をフォローし切れてはいなかっただろう。俺に近づく人間には昔から容赦ないのがあの幼馴染みの身上だ。
 三時半に沢木と待ち合わせているのだという春日に、しばらく同行させてもらうことにする。迂闊に一人歩きしてまたあの親子に捕まっては事が面倒だ。どうせ夕方まではこの街で時間を潰さなくてはならないのだからコチラとしても好都合な事態だった。ロゴスで何冊か本を買い外に出たところでまたあまりの暑さにすぐさま近くのカフェに涼を求める。
「うわ、またきたよ…」
 パルコにいた時からコンスタントに入り続けているメールが、また春日の携帯を震わせた。
「今度は何だって?」
「三十九夜、…って何?」
「ヒッチコックだね」
 早乙女からくる「コレ借りてきて」指令をブツクサ云いながらも律儀にリストアップしてる姿は、なんとも可愛らしい。成り行きで今夜の予定が決まったことをメールで告げると「あっそ」というメールを最後に、こちらからのアクションを全て拒否指定にした誰かサンとは大違いの可愛らしさだ。ある意味その解り易い拗ね方も、可愛いと云えば云えなくもないんだけど。
「後は、デッドコースターと十七歳のカルテとesとアバウトアボーイ、四十七人の刺客…」
「どれもあるとは思うけど」
 果たして早乙女は何本の映画を観るつもりなんだろう。今夜がオールナイトってのは逃れられない確定事項みたいだけど。ま、たまには賑やかな夜も悪くない。「オマエもくれば?」と試しにメールを打ってみると、いつのまにやら指定は解除されていたらしい。返ってきたのは「なんで?」という素気無い一言だったけれど。
「21グラム?」
「それまだロードショー中」
「悪魔のいけにえ」
「それ十八禁。貸してくんねーよ」
 やれやれ。どっかの誰かサンが映画好きなおかげで、仕入れた知識はいつの間にか立派なデータベースになってるよ。
「は? 24時間4万回の奇跡?」
「それコメディじゃなくてホームドラマ」
 おかげでこんなマイナーな映画にすら注釈が入れられるようになってる自分が我ながら笑える。
「つーか、設楽って何者?」
「幼馴染みが映画バカなもんでね」
「えっ、吉永ってそうなんだ?」
 初耳とばかりに春日が目を丸くするのに苦笑しながら、通りの向こうを歩いていく五十嵐親子の背中を見送る。やっぱりまだこの辺をウロついてたか。誰かサンがあそこまで強固に嫌がらなければ昼食を共にするぐらいは母親の仕事の手助けになる、と割り切れなくもないんだけどね。アイツが嫌がり続ける限り、俺は何度でも誘いを断るし、アイツが望むのであれば一生縁を切ることぐらいワケもない芸当。
 アイツが本気で望むのなら俺は何を投げうってでもそれを叶えてみせる。その覚悟を知ってるからこそ、アイツは俺にどうしろとは絶対に云わない。…云えないでいるのも知ってるけどな。でもそれが俺の望みなんだからしょーがないだろ。繋いだ手をオマエはどうしたい? その答えを俺はもう何年も待ち続けている。
 早乙女リストの項目が二十六を超えたところで俺たちは店を出ると沢木と合流した。イレギュラーだったのは何も自分ばかりではなかったようだ。なぜかその場にいた夏目も含めて四人で中古CD屋を回り、ツタヤ入りした時には六時を回っていただろうか。戦利品を抱えてビルを出ると辺りはすでに薄暗くなっていた。
 今日、春日に会えた偶然の幸運はまだ終わらない。本当によく出来たシナリオだと思う。何も口から出まかせで「友人と待ち合わせている」などとあの親子に告げたわけではない。ロゴスで見た春日の横顔。ポケットで携帯が震えるたびに、睫毛を震わせながら携帯を開く姿を今日何度見かけただろう。恋人にあんな溜め息つかせてる責任は重いんじゃねーのか?
「あ、寄りたいトコあんだけど」
 瞬間、ステレオ放送になった台詞に思わず横を見ると「設楽も?」そこには同じように目を丸くしている夏目の顔があった。


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