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in everyday scenery



#3 Jyoichiro Sawaki


 夏目と共に店を出たところで俺は腕時計の文字盤に目を落とした。長針がちょうど11にピタリと重なったところ、約束の時間にはまだ早いけど先に店で待つとするか。連れ立って路地に入ったところで夏目が急に「よう」と片手を上げた。
「知り合い?」
「うん。ノラコさんっていうの」
 灰色のラインが背中に何筋か入ったシンプルな毛皮が「ンーナ」と俺のジーンズに頭をこすり付けてくる。それを見た途端、芝居がかった仕種で夏目がよよと路地の壁に手をつく。さっきといいいまといい、今日の夏目はいつになくオーバーアクションだな。見てて暑苦しいことこの上ない。
「ノラコさんの浮気者!」
 聞けばそう簡単には懐かないネコらしい。現に夏目が手を出すとヒラリと身を翻した肢体が明確な距離を取ってジッとこちらに目を凝らす。
「つれないオ・ヒ・ト」
 どうやら芝居はまだ続いてるらしい。付き合う義理もないのでその場に夏目を置き去りにすると「俺、ロンリー嫌いなんだけど」ちょうどさっきネコが頭をなすり付けてた辺りにナイキの的確な蹴りが入った。ああ、ついでだから帰りにナイキのバッシュ見て帰ろう。あんまりシカトすると後が面倒だから頃合いを見て譲歩しておくことにする。
「夏目って犬に好かれやすいだろ」
「あ、わりとそーかも。たまに、俺ムツゴロウさん? ってくらい歓迎されることある」
「俺は逆、ネコになぜか好かれるんだよ」
 別に、ノラコの浮気に対する弁明ってわけじゃないけど。昔からなぜか俺はネコに好かれるのだ。たぶん同じ性質の者が動物にはよく解るんだろう。気紛れで狡猾で、厭き易く冷め易く。食べもしないネズミを獲ってきては、死なない程度に甚振って遊んでた実家のネコを思い出す。そうして飽きれば事もなげに放置し忘れてしまう。けれど一度キョーミが沸いた獲物はここちらが飽きるまでは死んでも逃がさない。本当によく似てるって思うよ。その点、夏目は中身が犬的だから。なんだかんだ云っても義理堅いトコあんだよな。
「ところで夏目、足のサイズは?」
「あー? 27」
「ちっ。29ならそのナイキもらったのに」
「土下座されてもやんねーし」
「どこで買った?」
 適当なところで逸らした話題に乗ってきた夏目が「原宿のー」とか云うのを聞きながら、ふと踏み出した自分の足元を見つめる。一瞬の執着で自分を惹きつける典型がコレで、家に何足眠ってることやら。引越しの際も靴だけでダンボールが三箱埋まってる現状に「…まったく」溜め息をついたのは俺ではなく母親の方だった。これで家の中が少しは広くなるってもんね、まるでそのためだけに息子を追い出すかのようにあんまり晴れやかに笑うものだから。ああ、卒業しても俺はこの家に戻らない方がいいんだなってすぐに解った。こんなにも嬉しそうに母親が笑うのは数年ぶりの光景だったから。あれはきっと改心の笑顔だったんだろう。家を出てもうじき五ヶ月が過ぎるけれど、母親から連絡がきたことは一度もない。欲しいとも思わないし、戻る気もないけれど。
「沢木ん家ってほんと、クツ屋敷だよなー。いま何足くらいあんの?」
「6かける7は?」
「42。……なあ、足って二本しかないの知ってた?」
「オマエもな。頭って一つしかないんだぜ?」
 帽子フェチのオマエにだけはそんなこと云われたかねーんだよ。
「そーいうオマエはいくつ持ってるわけ?」
「48?」
 オマエのが重症じゃねーかよ…。なのにその重病人相手「で、今日のキャップは?」なんて話題振っちまったもんだから「コレはだな、カトリックの聖母として愛されるグアダルーペをモチーフにしただな…」などと始まってしまった講釈をBGMに、俺は待ち合わせ場所までの道程を歩んだ。ベルトもお揃いなんだなコレが、と見せてもらったバックルには確かに強烈な色使いの聖母が同じように微笑んでて。まあベルトはともかくとしてだ。その悪目立ちするキャップはどうにかなんないんですかね?
「それ云ったらオマエの身長こそどうにかしろよ」
「低いからって僻まれてもなぁ」
「うっわ、ムカツク! どうせ俺は年に二センチしか伸びてませんー」
 大して気にしてもいないくせにギャンギャン噛み付いてくるのを宥めながらカウンターでの注文を終えて二階席に上がる。春日と待ち合わせてる、と告げた途端「じゃー俺も待ち合わせる」夏目の今後の予定が決定したらしい。とどのつまりヒマなんだな、オマエ。
「三十四番でお待ちのお客さまー」
 店員の明るい声に笑顔で立ち上がった夏目がニコニコとトレーを受け取って返ってくる。
「超カワイくない、あの子!」
「そうか?」
 夏目の頭ってないつでも平和そうで羨ましいよ。まあ、ほとんどポーズだろうと俺は睨んでるんだけどね。コイツが意外に信念持ってて、ヒトを傷つけないための立ち回り方を知ってるのは、クラスメイトとして何度か目撃してきた。ただのオチャラケ野郎だったら俺もこんな付き合ってなんかないしね。鬱陶しいけどわりにイイヤツっていうか。
「やっべ、煙草忘れた。沢木さん恵んでやって?」
「俺、いちおうスポーツマンなんだけど」
「さっきカバンにセッタ入ってたじゃん」
 人のプライバシーなんだと思ってんだコイツ。鬱陶しい上に図々しいんだよ、オマエは…。仕方ないからカバンに入れっぱになってたセブンスターをトレーの横に転がしてやる。三日前、御門先輩とケンカした時に「煙草でも何でも勝手にしやがれ!」と云われたからアテツケに買ってみただけの代物だ。もともと執着のある嗜好品ではない。
「やるよ全部」
「ラッキ!」
 戦利品なのだというトリニティ・ブラックが早速目の前で大活躍している。戦利品じゃなくて物々交換だろ? ってのは覗き見がバレるから云わないでおくけど。俺もヒトのこと云えた義理じゃないってわけで。
 携帯の画面を開くとデジタル数字がちょうど22から23になるところだった。時間に律儀な春日のことだ。もうそろそろ現れてもおかしくない頃だろう。そう思って投げた視線の先、見知った顔ぶれが連れ立って下の通りを上ってくるのが見えた。招かれざる客を連れているのは何もこちらばかりではないらしい。むしろあっちの客のがアリガタイぐらいだ。
「なー、沢木って御門センパイのどこが好き?」
「全部」
 愚問に真顔で答えてやるとハハっと夏目が白い煙を吐き出した。強力な冷房の所為で早くも冷え始めてたナゲットを口に放り込みながら「あ、ヤベ。夏目のなのに四個も食っちった…」とかちょっとだけ思ったけど、コイツ気付いてなさそうだからまあイイヤってことで咀嚼したそれをアイス烏龍茶で押し流す。
「オトコがオトコを好きになんのってさー」
「んー?」
 お調子者の、いつもの仮面が少しだけずれて。その向こう側に夏目の素顔が見えかけてたところで。
「何だ、早ェーじゃん。つーか夏目?」
 階段を上ってきた春日の頓狂な声が話を中断して。結局この日以来、俺はその話の続きを聞くことはなかった。


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