HATE #2



 オレが高倉儀央と初めて会ったのは、かれこれ5年前のことになる。


 小五の春、その頃誕生日が近かったオレは「塾の月末テストで平均90点以上取ったら何でも好きなもの買ってあげる」という母親の甘言にたぶらかされて、猛烈に試験勉強に励んでいた。結果、見事にそれをクリアして上位者表に堂々と名を連ねたオレは、あの日満面笑顔で友達らとそのリストを眺めていた。だが、オレの幸福感を通りすがりにたった一言で、ぶち壊していったヤツがいたのだ。

「同じ五位でも最初に名前がくるのと、後にくるのとじゃ大違いだよな」

 その通り、オレは92点で堂々五位なのだが同じ92点で五位のヤツがオレの前にもう一人いたのだ。
 いくら高い点を取っても「綿貫」という名字のおかげで、同点のヤツがいた場合どうしても後に記載されてしまうという事実にオレはその時初めて気がついた。オレの前に表記された「高倉儀央」というヤツはフフンと鼻で笑うと、廊下の角を曲がっていった。
「べつに五位に変わりはねーんだし、ぜんぜん気にすることねーって」
「充分、すげーじゃん」
「匠だってやればできんだな、見直したぜ」
 口々に褒め称える友達をよそにオレはハラワタを煮えくりかえしていた。
 よくよく考えれば友達の云う通り、表記順が成績に関係してくるわけでなし、オレが憤慨するような理由は何もないのだ。だがしかしである。
あの態度は何なのだッ!
 あんな風に云われてムカつかないわけがないだろうッ。
 それ以来アイツを抜きたい一心で再び猛烈勉強に励んだオレは、そのたび少しずつ成績を上げていった。だが敵もさることながらなかなかに手強く、結果的には常々同点かアイツの方がちょっと上。しかもそのたびにちょっかいをかけてくるアイツの態度というのがこのうえなくムカつくものばかりで、俺も負けじと勝負をかけるのだが…騒ぎを起こすたびに怒られるのは要領の悪いオレ一人という始末。
 そしてすべてが不本意な結果のまま、二年の塾生活が過ぎていった。
 だが中学受験が近づいたある日のこと。アイツは突然、塾をやめてしまった。会うたびにケンカという日々を繰り返していたオレたちだったが、よく考えてみるとオレはアイツの通っていた小学校の名前も知らなかったのだ。
 アイツの顔を見ないまま志望校を選び「超難関」と云われていた桐領に塾でただ一人、オレは合格した。なのにそんなに嬉しく思っていない自分が、自分でも信じられなかった。アイツがいなくなって清々したはずなのに、なんでこんなにスッキリしないんだろう? もしかしたらオレ、口で云うほどにはアイツのこと嫌いじゃなかったのかもしれない…。そんな気の迷いを信じはじめていた矢先のことだった。
 オレは入学初日のクラス割で愕然と模造紙を凝視するハメに陥った。そしてその一年目の不幸は三度続き、俺とアイツは不本意ながら三年間もクラスメイトという間柄を余儀なくされたのだった。ちょっとでも「寂しいかな…」などと思っていた自分が当時、どれだけ錯乱していたか、イヤというほど思い知らされたのは云うまでもない。よりによって同じ学校を志望しているとはな。
 アイツはオレが何かしているといつのまにかやってきては、オレの神経をこれでもかと逆撫でしていくのを何よりも得意としていた。
 加えて何かにつけオレの身長を引き合いに出してくるのも心から気に入らない。どうせオレは一年に二センチしか伸びてねーよ!


「綿貫ーィ、今日プリン出てっけどいる?」
「いるいるッ、ついでに牛乳も二本頼むな!」
 とにかく乳製品は積極的に摂ることにしているオレの嗜好をよーく理解してくれている忍野が飲み物とデザートを取りにいってくれている間、オレは広い食堂の一角に陣取ってA定食に手を合わせていた。
「ほらよ」
「やた、サンキュー!」
 目の前にプリンを置かれて思わず箸からスプーンに持ちかえる。それに呆れた忍野が口をはさんできた。
「ふつう、ゴハンより先にデザート食べないんじゃない?」
「そんなの人の勝手だろ。冷たいうちに食うのがオレは好きなの」
 スプーンを突き立てると、ふんわりとカラメルの匂いが広がる。食堂のプリンはモロゾフのヤツに似ててなかなか味がいいのだ。オレのお気に入りデザートの一つだ。
 一口食べてその余韻を楽しんでいると、唐突に悪魔の声が降ってきた。
「相変わらずのオコサマ嗜好だな。プリン食っても背は伸びないんじゃないか?」
「ウルセー、あっち行ってろ。せっかくのプリンがまずくなんだろが」
 挑発には乗らずシッシと退場を促すオレを完全に無視すると、高倉はちゃっかり忍野の横に腰掛けてしまった。食事は終わったのか、デザートだけを手に持っている。
「よかったら俺のプリンもやろうか?」
「……なんの魂胆があるんだ」
 疑心暗鬼の俺の前にいつになく機嫌よさげにプリンを置くと、高倉は両手を組んでその上に顎を乗せた。失礼にも人の顔を覗き込んでくる。
「そう警戒すんなっての。恵まれないコドモには愛の手を、だろ?」
 台詞は気に食わなかったが、オレはとりあえずプリンを手に取ると慎重に匂いをかいだ。それを見て忍野と高倉が同時に吹き出す。
 とりあえずは一口…。口中に広がるカスタードとカラメルの味。なんだ、普通のプリンじゃないか。高倉から貰った分を早々に食べ終わると、オレは高速で定食を平らげてまたすぐに自分の食べかけだったプリンに手を伸ばした。それを楽しげに高倉が見ている。だが最愛のプリンの前にあっては、アイツの存在なんてのはゴビ砂漠の砂、一粒にも満たない。
 カスタードとほろ苦いカラメルの風味とが合わさって醸し出す絶妙のハーモニー。焦げ茶色のカラメルソースと暖かみのあるカスタードの黄色、そして舌でとろけるこの柔らかい食感…。
 プリンを最初に考えた人ってなんて偉いんだろうッ。

「いいこと教えてやろうか。人間の脂肪ってな、色といい感触といいプリンにそっくりなんだってよ。相撲取りなんか体中にプリンが詰まってるようなもんだよな」
「……ッ!」
「吐き出すなよ、綿貫」
 口に残っていた塊を皿に吐き出すと、高倉が実に愉快そうに笑った。
 んなこと云われて食ってられっかよ…。
 食べかけのプリンを前にすっかり意気消沈したオレの向かいで、忍野が遠慮会釈なく爆笑してくれる。コイツら…。そして得意のシニカルスマイルを浮かべると、高倉はさらに嫌がらせの追及をはじめた。
「そういえばこいつ昔さ、"背が伸びる"とかいうメイシン信じて薔薇の刺、丸呑みしようとしたことあんだよ。んでその薔薇を丹精してたバーチャンに見つかってさ、素っ裸にされて庭に放り出されたんだよな。近所でも有名人だったらしいじゃん」
「まじかよ、綿貫…っ」
 ひーひーと腹を抱えながら、苦しげな息で忍野が問いかけてくる。
「デマ流した張本人はおまえだろーがッ」
「あんなの小学生の他愛ない冗談に決まってるだろ? 普通そんなの間に受けないんだよ。幼稚園児じゃあるまいし」


 あれは何年経っても葬り去りたい過去の一つである。
 あの日、裸に剥かれて放り出されたオレは昼寝してしまったばーちゃんにすっかり忘れられて、夕方学校から帰ってきた美人の従姉ちゃんに保護されたのだ。極度の羞恥で口も利けなかったのを覚えている。ひそかに憧れていた従姉ちゃんだったのに…。


「そういえば小五と小六ン時、カルシウム摂るって牛乳飲み過ぎて二年連続、健康測定に出られなかったってのも聞いたな。トイレに篭もりっきりで」
 オレは食い終わった定食の皿を悶絶死しかけている忍野に押しつけると、あわてて席を立った。べらべらとオレの恥ずかしい過去を喋り募る高倉を背に部屋まで全力ダッシュする。明日にはオレの恥も知れ渡っちまうだろうが、その場にいるよりはぜんぜんマシだってんだ!


 こんな数々の理由で、オレはアイツのことが大嫌いなのだ。


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