HATE #1



 オレがこの世でもっとも嫌いなもの、それは虫とカミナリと高倉儀央である。


「マジかよ」
 昇降口前の掲示板に張り出されたC棟部屋割り表の前で、オレは開きっぱなしの口を塞げないでいた。
 目の錯覚か? そういえば最近、黒板の文字がかすんで見える時があるんだよな。
 ウン、きっとそうだ。オレもそろそろ眼鏡のお世話にならなければならないお年頃になったんだ。痛いほどに両目をこすりつつ一旦、掲示板に背を向ける。
 一呼吸おいてから。
 ゆっくりと振り返りもう一度、掲示板を見やる。
「…………」
 まるで変わらない表示。
 ああ、もしかして今日ってばエイプリルフール?


「読み上げてやろうか。"213号室・高倉儀央/綿貫匠"。ちなみに今日は四月の六日だからエイプリルフールでもなんでもねーよ。それにこれは公正に最終テストの成績で決められたものだ。よってここには何の作為も働いちゃいない。納得したか?」
 頭上から降ってきた声に、オレは反射的に耳を塞いでいた。
 いつのまにきたのか、オレの隣りで高倉が腕を組んでいた。並ぶと見上げなければ顔が見えないところが何より頭にくる。小学校まではオレと大差なかったくせに中学入った途端、ニョキニョキ、ウドの大木化しやがって。
「あーあー、何にも聞こえないー」
「なんだ現実逃避か。オコサマの常套手段だな。まあ綿貫の場合は現実を見ようとしないというよりも、見たくても見えないってのが正しい見解だと思うけど。視野は狭いし、想像力貧困で判断力に欠けてて…ああ、そうかその身長に比例しているのか。じゃあ、しょうがねーよな」
「てめー、ケンカ売ってんのかよ」
「なんだ、聞こえないんじゃなかったのか? ずいぶん都合のいい耳だな」
「放っとけ!」
 とにかく、これが紛いようもなく現実であるというのならば、オレは学校側に異議を申したてる気でいた。こんな状態で一年も保つワケあるか!
「ま、勝手にしろよ。俺はわざわざ自分から事を大きくして、学校に悪印象を与えるつもりはないから。それでなくてもトラブルメーカーの誰かさんは、教師にマークされてるワケだし。きっと内申のことなんて、なんにも考えちゃいないんだろうな。なにしろ単純バカだから」
「ぅ、グ…ッ」
 云い返す言葉が見つからず、オレは悔しさのあまりギリリと奥歯を鳴らした。
 だが、そんなオレに一瞥をくれただけで高倉はまた何事もなかったように平然と模造紙を眺めている。それがまたオレの癇に障った。
 なんだなんだ、コラ。
 これじゃオレ一人、勝手にエキサイトしてるみてーじゃねーか!
 闘志を胸に拳を振りかぶる。
「…しかし、嫌だな」
 だが右フックがくり出されるより数瞬早く。
 高倉が呟きがオレの耳にするりと入ってきた。
「こんなのと一年も同室だなんて、よく考えてみたらやってらんねーよな…。現実を見据えるならば、これはけっこう死活問題かも」
 眉間に深くシワを寄せると、高倉は心底不機嫌そうに前髪をかき上げた。
 フーム、これは本気で嫌がってる時のコイツの顔だな。冗談じゃねーのはこっちも同じだが…。でも、なんかこんなに嫌がってるコイツ見んのって案外、楽しかったりして。
 そうだ、それでコイツのコンディションを日々崩していって、今度の試験でガタガタにしてやるってのもいい作戦かもしれないな。お、これは立派な嫌がらせじゃねーか。"高倉に報復する会"会長としてこれを放っておく手はない。
 うーん、ナイスアイディア! オレ最高。
「ハっ、ざまーみろ」
 さっきとは打って変わって満面笑顔になったオレを、超不機嫌面で見下ろすと高倉はすっと両目を細めた。
 バーカ、今更そんなツラしたって怖くもなんともねーんだよ。
 校内の者に云わせると、元から墨で引いたように切れ長の目をしている高倉がこういう表情になるとかなり怖いものがあるんだそうだが、5年も張り合ってるオレにとってはこんなの見慣れた顔の一つに過ぎない。
 鼻でせせら笑うと、オレはそれこそハナウタ気分で正面階段に向かった。背後で小さく舌打ちする音が聞こえる。
 ざまーみろってんだ! もう一度心の中で大きく叫ぶとオレは足取りも軽く階上へとあがった。

「ホント、単純なやつ」

 そう、だから高倉のこの呟きは。
 オレの耳に入ることはなかったのだ…。



 オレが通っている私立・桐領学園は半寮生の進学校である。
 ここは都内でも有数の進学校らしく、寮の部屋割りにも傍若無人に成績がものを云う。各学年ともに最終テストで3番までに入った者には快適至極な一人部屋が与えられ、それぞれ9番までに入った者にはバストイレつきの二人部屋が与えられる。つまりはあからさまなカースト制になっているのだ。それ以外の人間は風呂もトイレも共同の、二人ないしは四人部屋に押し込められるというわけ。
 名付けて「快適生活が欲しければ勉強しろ」システム。まんまだ。
 オレは中学の時は通学生だったおかげで、こういう意味での試験戦争に巻き込まれることはなかったのだが、高校からは親の都合で寮に入ることになり中学の最終テストではかなり勉強に励んだつもりだった。
 もともと憎ったらしいライバルのおかげで平均よりはかなり上だったオレだが、部屋割りで優待つきの二人部屋に入れたということは一桁台の順位に食い込んだということだ。これはこれで手放しで嬉しい。問題はその順位がアイツより上だったのか、下だったのかということなのだが。
「よう、一桁台おめでとう」
 高倉がこないうちにと二つあるベッドのうち一つを占領して荷物を広げていると、開けっぱなしの扉をノックする者が現れた。
振り向くと学年寮長の森高英理が帳簿を片手に扉口に立っていた。
 学年寮長とは、各寮の同学年寮生の纏め役を担う成績優秀者のことである。森高は中一の時から学年寮長を務めている優秀生だ。しかも入学以来一度も主席を譲ったことがないという、化け物じみた肩書きの持ち主でもある。
「余裕で一人部屋のヤツに云われても嬉しかねーよ」
 そう云いつつも改めて室内を見渡すと自然、笑顔がこぼれてきてしまう。
 十畳のスペースにそれぞれ机とベッドが一つずつ。入り口を入って右側にはユニットバスがついていて、左手にはクローゼット、部屋の正面には大きな出窓が一つついてる。なかなか快適な造りではないか。
「ちなみに俺のところは一人で八畳だよ。バストイレに加えてキッチンつき」
「それ自慢かよ?」
「ハ、まさか」
 横目でジトリと睨むと、森高は笑いながら部屋に踏み入ってきた。
 これはまためずらしい光景である。森高は鋼鉄のポーカーフェイスとも渾名されるほど、感情を表に出さないことで有名だ。少し冷たい印象を与える美貌が校内でも人気で"クールビューティ"などと呼ばれ親しまれているとかいないとか…。目を丸くしたオレを見て森高が苦笑した。
「俺が笑うとそんなにめずらしい?」
「ウン、初めて見たもん」
 素直に認めると森高は唇の端をすっとあげて笑った。
 確かに冷たさを感じさせる顔だちだが、瞳の奥に親しみが見えた気がしてオレもつられて笑顔になっていた。
「そうだな、綿貫は順応性あって人懐こいから大丈夫だとは思ったんだけど……高倉とはあんまり、仲良くないんだよな?」
「良くねーどころか憎しみ合ってる仲だよッ」
 先刻のあんチクショウの顔を思い浮かべると、いまでもフツフツとたぎるような怒りが込み上げてくる。
「なるほど。じゃあ今回の部屋割りについてはどう思ってるわけ?」
「あ、部屋割り? それは全然OK!」
 先程とは一転して躊躇もなく云い切るオレに、森高がわずかに片眉をあげた。
「それはまた、なぜ」
「いやオレってさ、そんなことで目クジラたてるほどガキじゃないかなーなんて」
 そう云い繕いつつも、俺の内心はよからぬ思惑でいっぱいである。
 だって考えてもみろよ、アイツに日頃の恨みを晴らす絶好のチャンスかもしれないんだぜ? この際、文句なんかいってらんないって。
報復作戦、決行あるのみ!
「ふうん」
 オレの如何わしい思惑を知る由もなく、すっかりポーカーフェイスに戻った森高は帳簿に何事か書きつけると「解った」とだけ云って踵を返した。
「じゃ、変更はもう利かないからな」
「お、おう。男に二言はねーよ」
 威勢よく云い放ちながらも、実はホンの少しだけ後悔が過らないこともなかったのだが…、イヤしかしここまできて弱気でどうする!
 オトコは強気ッ、とでかい口叩くオレに森高はまた薄く、だが今度はちょっとだけ意味ありげに笑うと扉に手をかけて云った。
「じゃ、四時にホールでミーティングあるから。忘れないように」
「了解っ」
 森高の背中を見送り完全に扉が閉まったのを確認すると、オレは少量残っていた不安を吹き飛ばすように片手でガッツポーズをつくった。
「打倒、高倉!」
 見てろよ、高倉め。すぐに形勢逆転してやるっ。
 最後に高笑いするのは、絶対にこのオレなんだからな!


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