山崎統和の場合。 #4



 目を覚ますと隣りで照れくさそうに白石が笑っていた。
 ふと見ると、自分の手が白石の手をしっかりとつかんでいる。離そうかと思ったが、案外それが心地よかったので統和は寝惚けてる振りをしてそのままにしておいた。
「夢、みなかったよ」
「…そっか。よかったな」
「ウン」
 そう云って笑う顔色もだいぶよくなったようだ。
 ひとまずはこれで安心だろう。ぼんやり天井を眺めているとゴソゴソとした気配が近づいてきた。白石が手を繋いだまま間の距離を縮めてくる。
「あの、さ。ちょっとだけ甘えてもいい?」
「なんだよ」
「オレさ、あんま人に甘えた経験とかなくて…」
 肯定も否定もせずにいると、白石が猫のように傍らに細身をおさめてきた。
 鼻をくすぐる日溜りの匂い。
 心地いい温もり。
 考えてみれば自分もこうして誰かに甘えた記憶というものはなかった。誰かの温もりをこんなにそばに感じるなんて、はじめてのことだ。けっこう気持ちいいもんなんだな。
 本当に猫のように身を丸くして、白石は目を瞑っている。この体の細さを腕が覚えている…。傷つけていないはずがない。
 それを思い出すと、統和はいても立ってもいられなくなった。
「白石…」
 繋いだ手に力を入れると、ぼんやりと丸い目が開かれる。その顔を見つめることはできなくて、統和は天井を見たまま苦心して言葉を繋いだ。
「元気ンなったら、俺のこと殴れよ。…いまさら謝っても遅いと思うけど」
「…………」
 返ってくる反応がない。
 横目で窺がうと、パチクリと音がしそうな勢いで白石が両目を瞬かせていた。
 ややしばらくして、その顔が急に柔らかい表情になった。いままで見た中でいちばん優しい表情をしている。
「オレはさ」
 白石が唐突に体を反転させて統和の腕にちょこんと頭を乗せた。
「クラスの誰も知らない山崎をオレだけが知ってるみたいで…ちょっと嬉しかったよ」
「嘘つけ」
「ほんとだよ。それに転校歴六年のキャリアを、侮ってもらっちゃあ困るな。優等生の考えつくイジメなんてたかが知れてるよ」
 それを云われると何も云えない。
 押し黙った統和を見て白石が声をたてて笑った。
「大丈夫。オレ、そんな弱くないから」
「…………」
 それこそ、嘘つけと云いたかったが白石の気持ちを有り難く尊重し、統和は腕にかかる柔らかい黒髪をグシャリと指で乱した。
 敵わないなコイツには…。
 温もりを布一枚向こうに感じながら、統和は目を瞑った。



 どうも虫の居所がよくない。
 家族とのわだかまりも白石とのゴタゴタも解消し、さぞ健康的なスクールライフが待ってることと思っていたのだが、現実はそう甘くはなかった。
「ひゃはは…ッ、やめろって勇馬!」
「どうして? 挨拶してるだけじゃーん」
 目の前では朝の恒例行事と云わんばかりに勇馬が白石にじゃれついている。
 それを見てるだけで、統和は胸がムカついてくるのを止められなかった。
 今度は白石にではない。勇馬に対してである。
 その気持ちをなんと呼ぶのか知ってはいるが、それを自覚していいものかどうかあれからずっと思い悩んでいる。しかし心は正直である。
 さらに克久が加わり後ろから白石の細身を抱えたところで、統和は立ち上がると克久の手からその体を奪い返した。
「病みあがりなんだからそれくらいにしとけよ」
 ぜーぜー、と肩で息をくりかえす白石を見て「あ、そっか」といまさら思い出したように勇馬が呟く。
「忘れてた。雪乃、病みあがりなんだっけ」
「めちゃめちゃ病みあがりだっつーの…」
 力ない声で白石が反撃する。
「さすが級長。気配りが並じゃないね」
「克久…」
 どこか含みのある物云いが神経に触れたが、勘のいい克久は気づいていても当然だろう。ちょうどチャイムが鳴り、教室に散らばっていた生徒がそれぞれ自席へと戻っていく。それを見送り、統和は白石を席へと座らせた。
「サンキュ、山崎」
「白石も何か対抗手段を考えた方がいいぞ」
「でもあいつら、二人揃うと手に負えなくってさ…」
 教師が前の扉から入ってくる。みんなの視線がそちらに集中する中、統和は白石の肩を傾けその近づいた横顔にそっと耳打ちした。
「あのな、勇馬もああ見えてくすぐりに弱いんだよ。克久はどこ触られても平気だけど、耳の裏だけはダメ」
多少、裏切り者の感はあったが、別に中立の立場をいままで買って出ていたわけではない。秘策を伝授すると、たちまち白石が瞳に闘志をたぎらせる。
「今度こそ仕返ししてやる!」
 逆効果だったかな。
 まあ、いざとなれば助太刀する気ではいるが…。
「頑張れよ」
 ポン、と肩をたたくと当然とばかり白石が胸を張る。
 すっかり元気になったようでそれはいいのだが、統和としてはどこか落ちつかない気がした。
 白石は「無駄に元気」な点では勇馬とタイプが似てるのだが、勇馬に比べると警戒心が薄く、無邪気であまり人を疑わない性質のようだ。
「訂正。あんま頑張り過ぎるな」
「どうして?」
 心臓に悪いから、とは云えず適当に濁して話を終わらせると、統和は窓の外に視線を移した。どこかにもう、夏の気配がしはじめている。
 胸のあたりがザワザワとするのを統和は野放しにしておいた。



 授業前の遣り取りを眺めていたらしい忍野が、ニ限目の移動教室の際にポンと肩を叩いてきた。
「よかったね、級長」
「まあね」
 お互い何がとは云わない。しかし洞察力の鋭い人間に囲まれるというのは、あまり精神面にはよくない気がする…。忍野にまで自分の気持ちが知れてるとは思わないが。心の息まる気がしない。そしてそれを補うかのように、その方面にはどうも鈍そうな雰囲気の濃い白石である。どうしたものか。
 休めという忠言も聞かず、白石は早々に着替えるとグラウンドへと飛び出していった。元気と空元気の違いくらいは解る。
 あれはたんに性格なのだろう。子供のようにはしゃいで、クラスの面々を和ませている。もしくは処世術か? いや…。
 打たれ強い性格がどう形成されてきたかは昨日の話でも充分推察できるが、だがそれとは違うと告げる何かが統和の胸の内にあった。
 白石の中で「友達」が特別な意味を持つことを統和は知っている。
 別れなくてもいい友達たち。そういう観点から見ると、白石のはしゃぎようはそれが嬉しくてたまらないのだと全身で表しているようにも見えた。ホント子供みたいな奴…。
 白石でよかった。統和は心からそう思った。

「雪乃ちゃーん、制服盗まれてなーい?」
「どわッ! び、びっくりした…」
「またまた、驚かしがいがあるんだからもう」
 着替えの最中に、謀ったように現れた川中が当然のように白石に絡む。
 オモチャにしたくなるのはよく解る。返ってくる反応がいちいち素直で、それをからかいたくなるのも解るのだが。どうにもこちらの精神衛生上よろしくない。
「痛いって、川中」
「雪乃ちゃんってさァ、マジついてんの? 俺、すっごい疑問なんだけど」
 おいおい。何を云い出すんだ、川中の奴…。
「あ、オレも思ってた! この顔でついてんのかよって」
 コラ、勇馬も尻馬に乗るんじゃない!
 じわじわとクラスの興味が自分に移りはじめたのを察知して、さすがの白石も顔を青ざめさせた。
「え、だ、だってみんな、胸ないの見てんじゃん! そんな下着の中見ても…なあ!」
 同意する輩はいない。危険な雰囲気が蔓延するのを感じて統和は克久に視線を送った。
 こういう場を収めるのは克久が誰よりうまい。面倒くさいな、といった表情を浮かべるのを横目で睨みつけると仕方なくといった感じで克久が顔を上げる。そして淀んだ空気を掻き回すように、克久はいきなり勇馬へと矛先を向けた。
「それを云うなら勇馬もだろう? おまえこそついてんのかよ」
「な…っ! お、おまえがそれをいうかよ、克久ッ!」
「え、僕ちゃん恥ずかしくて見せられないって?」
 ホクロの位置まで熟知してるくせによく云うぜ…。
 勇馬がギャンギャンと克久に噛みついているのを横目に、統和はその騒ぎを固まったまま眺めている白石に着替えを促した。
「いまのうち着替えろよ」
「あ…。アリガト、山崎」
 日直の仕事があるため、一人先にいまだ騒がしい更衣室を後にすると、後ろからついてきた川中が「悪い」と統和に片手で謝罪を示してきた。
「おまえらのクラス、悪ノリするの忘れてた。雪乃ちゃんにも謝っといてよ」
「川中はたまに配慮に欠けるよな」
「相変わらず痛いトコ突くよなぁ…。だから、反省してるって」
 昼休みの会議の打ち合せを歩きながら済ませ、川中とは渡り廊下で別れた。
「雪乃ちゃん、まじで帰り道とか気をつけててやんなよ。最近、性質悪いの多いから」
 そんな物騒なことを云い残し、川中のひょろりとしたシルエットが理化学棟へと消えるのを見送る。ただの忠言とみなしていいのだろうが、それは統和の内でやまない胸騒ぎへと姿を変えた。
 放課後。
 掃除当番をこなし教室に戻ると、そこには勇馬と克久の姿しかなかった。
「白石は?」
「生物の内田ちゃんに買物頼まれて出てったよ。例によってアレ、コンビニの唐辛子の種だろ? 駄賃で俺と勇馬、統和の分もジュース買っていいらしいぜ。太っ腹だよな、内田ちゃんてば」
「ふうん」
 そう云いながらも胸騒ぎが消えない。
「俺、様子見てくる」
「あらあら。過保護だね、級長」
「イヤな予感がすんだよ…」


 裏門を出てちょっと行くと道の端に白石の姿が見えた。
 買物袋を下げて、傍らの二人連れと話をしている。目には自信がある。顔とガタイのいい外人だ。だが遠過ぎて声までは解らない。ちょうど白石たちがいる所からは死角になるため、統和は相手に気づかれることなく早足に近くまで走りよった。
 あのバカ!
 外人の一人が白石の肩に手を置く。
 ようやくそこでアレ? といった表情を白石が浮かべた。
 するとにこやかな笑顔はそのままに、二人連れは急に白石の細身を傍らの車へ押しこもうとしはじめた。


「get away !!」
 それを断ち切るように、その場に統和の抑えた声が響いた。


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