ディナー・ラッシュ
#1
公園通り店の人手が急に足らなくなったのが午後三時半。
そして急遽、坂ノ下店にいたメンバーの中から松下と和泉の二人が回されることになったのがその後、四時過ぎのことだった。
「誰かヘルプに行ってくれないか」
その呼びかけに即座に和泉が手を挙げた時点で、全員の視線が一気に自分に向けられたのにはさすがの松下も閉口した。そりゃトラブルメーカーを一人で行かせるわけにはいかねえよな…。それは解る。だが、しかし。
「…ああ、じゃ俺行きますワ」
長い長い無言合戦の末、松下は仕方なく自らヘルプ要員に志願した。まあ、どうせ他の人間に任せたところで最終的には精神衛生上よくない結果になるのだ。だったらいっそ自分の目の届くところに置いておいた方がいい。松下は開き直りを無理やり全肯定すると、はしゃぐ和泉を連れて坂ノ下店を後にした。
「制服持ってきといてヨカッター」
「あーあ、なんかスっゲー貧乏クジな気分…。あ、オイ。靴とキャップは持ってきたな?」
「バッチシ!」
「あ、そ」
午後四時二十分。坂ノ下からなら公園通りまで歩いて十分とかからない。早めに入ってあっちでの流れと雰囲気をつかませて。五時からシフトに入ればなんとか和泉でも使い物にはなるだろう。
「オレさ、駅前は前に行ったことあるんだけど、公園通りは初めて行くワ。おまえは?」
「五回目くらい」
「へえ常連じゃん。なんか、大幅に違うトコとかある?」
「セッター台の流れが逆」
「…マジ?」
「慣れないとキツイぜ、あれは」
店によってセッター台の流れは異なる。系列店で云えば坂ノ下と駅前が右から左。その他の店舗はどこも左から右の流れになっていた。体が流れを覚えているため、急造セッターが店を切り回すのはなかなか難しい。和泉の表情がみるみる険しくなっていくのを横目に「アホか…」と松下は溜め息交じり白い息を吐いた。
「誰もオマエをセッターにするとは云ってねーよ」
「あ、そう?」
「当たり前だろ。テメーなんか突っ込んだ日にゃあ一気に営業不振だ」
公園通り店を潰す気はさすがの松下にもない。フロアは坂ノ下よりはだいぶ広めだが、あれぐらいなら和泉一人に任せたところで然程の支障は出ないだろう。曲がりなりにもキャッシャー、カスタマー、ドリンカーにかけてはそれぞれ半年のキャリアを積んでいる。問題なのはアイドルタイム終盤の五時台を経たのち、坂ノ下にはない夜ピーをどうやって切り抜けるか、この一点だった。
「オハヨウございます」
午後四時半ジャスト。ウェルカムメッセージの掲げられたゲートをくぐって店内に入る。
道中、考えられる和泉の足手纏いを散々想定しては眉間にシワを寄せていた松下だったが、意外にもスムーズな客流れに知れず安堵の溜め息をついていた。
「奥で着替えるぞ」
事務所の扉を軽くノックする。中から聞こえてきた「どーぞ」の声に引き開けると、すでに私服に着替えていたマネージャーの佐市がワタワタとスーツのネクタイを結んでいた。
「助かるよー、松下くん!」
「時間そんなギリギリなんですか?」
「ウン。実は表にタクシー待たせてる。いま山梨一人で回してるから、着替えたらすぐに入ってもらっていい?」
「了解です」
目の中に?を書き込んだ和泉を「そっちで着替えろ」と視線で促す。脱いだ服をカバンに放り込みながら和泉の支度が整うのを目の端で確認、それからフロアの様子を窺った。
いまがちょうど客の切れ目だな。
「和泉、店頭チェックと三番頼む。札はPOSの下」
「ラジャ」
「じゃ、悪いね松下くん。俺行くわ!」
「気をつけて」
「この借りは必ず!」
「いいですよ、元気な赤ちゃんが生まれるといいですね」
「オウ!」
恐らくはビデオカメラやなんかが山ほど詰め込まれているのだろう、でかいボストンバッグを抱えて佐市がドタバタと事務所を出て行く。果たしてあんな装備抱えてて病院に入れんだろうか? つっても知ったこっちゃねえけどな。浮かんだ疑問はスルー。手洗い場で肘まで広げたティーペックスの泡を流し切ると、松下はクルリと厨房に向き直った。
さあ仕事だ、胸の内だけで低く呟く。
スイッチ一つ。切り替えた意識。
「おはようございます。今日も一日よろしくお願いします」
「お願いしまーす。ツーパティ、イートで入ります」
「はい、通りました」
山梨の声に置きパティを二枚、鉄板に乗せると松下は冷凍庫の引き出しからカチンコチンに凍ったパティを二枚、新たに鉄板に並べて置いた。そういや冷凍庫の位置もみんな逆か…。頭の中、もう一つスイッチを切り替える。
「いらっしゃいませー」
自動ドアの音に反射的、顔を向けながら松下は四枚のパティを引っくり返した。三番チェックから帰ってきた和泉に手を洗わせてキャッシャーに入れる。
「ああ、俺の入店も一緒に頼む」
「あいよー」
厨房に向かって親指を突き出した和泉の手元から、ピッポッポッとPOSレジの鳴る音を聞きながら仕上げたバーガー類を山梨に渡す。
「ファースト、アップです」
「行ってきまーす」
そうやって何度か回転する内、セッター台の流れをようやく体がつかみ始める。気が緩むと下バンを持った手が右に彷徨いかけるが、このくらいの混雑度なら大した時間のロスにもならない。
いまのうちに慣れとかねーとな。
客層の違いなのだろうか。坂ノ下に比べるとこの時間、比較的公園通りの店内は空いて見えた。テイクとイートの割合も半分ぐらいだろう。住宅街に近いこともあり坂ノ下の狙いは主にファミリー層だったが、公園通りのターゲットはモールに訪れる買い物客たちだ。坂ノ下のほぼ倍の広さを誇るフロアを占めるのも、色とりどりの包装紙や買い物袋がほとんどで会社帰りの父親のような姿はあまり見かけなかった。ゆったりとしたボリュームでポップスが流れる雰囲気も、無理なく店内に合っている。そして何よりも、シーズン前から躍起になってチキンを売ろうとしない姿勢が松下には何よりも有難かった。
「ねえねえ。今年の坂ノ下、目標・三百本って本当?」
「らしいですよ、しかも一日で」
「アハハッ、熱血ゥーっ」
公園通りマネージャーの一人、山梨ルイが必要分の外袋をカウンターに広げながらゲラゲラと隣りで笑い転げる。
「治ってないねェ、金井さんの病気!」
「チキン屋に何かトラウマでもあるんですか、あの人」
「しょーがないのよ、記録更新が金井店長の命だからさ」
「…迷惑な」
「伝えといてあげようか?」
「やめてくださいね、ルイさん」
ニッコリ笑顔でマネージャーの心有る悪意を退けると、松下は手早くテイクの袋をまとめた。
「セカンド、5ピース先アップな」
「何番?」
「42」
「了ー解っ」
フロアに和泉の聞き慣れた声が響く。
この程度の混み具合なら、喩えいま山梨が抜けたとしても余裕の域だ。セッター台に散ったレタセンを片付けて、パティを乗せた下バンを三つ並べる。一つがオニ抜きで、もう一つがマス抜き。これぐらいの混雑度なら、和泉をフロアに泳がせていればいいから気が楽だ。慣れない厨房に入れてパニくられるのだけはマジで勘弁願いたいところ。
「それにしても、あれがウワサの姫ね。初めて見ちゃった」
「なんですか噂って」
「坂ノ下にね、すッごいカワイコちゃんが入ったってコッチでも評判だったのよ」
「下らない」
「フフ、その姫に誰かさんが熱あげてるらしいってのもねー」
「皆さん、根拠のない噂話が好きですね」
ドリンクの用意されていたトレーに、バーガーの入ったバスケットを乗せる。
「41番」
「あいよ」
戻ってきた和泉が、すぐにまたトレーを持って店内をクルーズしはじめる。
「確かにカワイイわよねぇ。なんかホントお姫サマみたい」
「んなアホなこと云ってないで、上がるんならチャッチャと上がっちゃってくださいよ」
「まだ少し余裕あるから。とりあえず補充だけはやってくわよ。足りないの云って」
「レタセンとオニスラ一バットずつ、あとトマトもスライスしといてもらえると助かります」
「スープとかソース系はー?」
「さっき作った分で夜ピーは凌げるかと思うんですけどね」
「ホントに二人で大丈夫なの?」
「不安材料は云えばきりないですよ。でも今日はどこも人員不足。二人捕まっただけでも奇跡だと思ってください」
その言葉に誇張はない。
系列店には公園通り規模の店が他にもいくつかあるが、坂ノ下にまでヘルプ要請がくるということはそのどれもがNGだったということ。そう滅多にある事態ではない。しかも自分にしろ和泉にしろ、シフトが入ってたわけではないのだ。たまたま学校帰りにシフト確認に寄ったら、同じ理由で訪れていたらしい和泉が居座っていたという、ただそれだけ。不幸中の幸いだったと云えよう。無論、松下にとっては不幸中の不幸としか云いようのない事態ではあったが。
「それにしても告別式と出産なんて、両極端な事態よね」
「どっちも予定の立てられるもんじゃないですから」
「ま、ね。出来れば残りたいけど…」
「いいですよ、出稼ぎして帰りますから」
「九時にメンテ組が来るから。早めに入れるようだったらそうお願いしとく。じゃ上がるね」
「補充助かりました。ドウモ」
「今日も一日アリガトウございました。お先に失礼します」
「お疲れさまです」
「オツカレさんでーす」
和泉の営業声がフロアに響く。コイツ、愛想だけはホント身につけたよな。ゼロ円笑顔を振り撒きながら、出て行く客にペコリと華奢な背が折り曲がる。
ルルルルル…と鳴り始めた子機に和泉が飛びついたところで。
「公園通り店だ。間違うなよ」
松下は素早く釘を刺した。注意がなければ和泉のことだ、そのまま「坂ノ下店」と応対していたことだろう。
「松下、ツーパティ、ツードッグ、ワンロース、ワンナゲ、ツーアップル、ワンテリチ。どんぐらいでイケる?」
「十五分」
いま入ってる注文がサードまで。大量オーダーはないから、それぐらいあれば余裕でいけるだろう。
「電注入ります」
さっきと同じオーダーが確認のために繰り返されるのを聞き流しながら、テリチ台にテリチを突っ込んで冷凍庫を引き開ける。続いてアップルとロースをフライヤーに落とすと、和泉が五分タイマーを仕掛けた。
「テリチ、オニ抜きで」
「了解」
「ナゲ入れるねー」
「火傷すんなよ?」
「ガキじゃねーよ、そこまで指示すんな!」
少し汗ばんだ和泉の顔がムクれた風に頬を膨らます。バーカ、そういう仕草がガキっぽいってんだよ。しかし、空調の整ったフロアにいたにしてはやけに汗をかいている。
「少しは慣れたか?」
「フロアが広いんでなかなか目が行き届かない」
「いいか、完璧を目指すな。ベストを尽くせ」
「解ってる」
和泉が初めて店に来た時、コイツはもって三日だろうと踏んでた。実際それはメンテ連中の賭けにもなった。一ヶ月以上に賭けるヤツがいないまま、和泉は誰もの予想を裏切りそのボーダーラインを踏み越えてしまった。コイツなりに仕事にプライドを見出したってところか。白いキーバックでトレーを拭き、タウパーでメニューの曇りを拭くその横顔は真剣そのものだ。
「セカンドとサード、ドリンク先出しすんねー」
「了解」
両面に焦げ目のついたテリチを、テリチソースに浸してもう一度、両面を焼き上げる。テリチ分のバンズを放り込むと、松下はセッター台にロースとツーパティ用の下バンを並べた。スパテラで手早くマスタードを塗りつける。タイマーが鳴った。アップルとロース、ナゲをそれぞれフライヤーから引き上げると用意してあったナゲ袋にナゲを突っ込む。
「サイド、オレやる」
「頼んだ」
戻ってきた和泉にアップルを任せると、松下は下バンにトングで掴んだロースを乗せた。身についた習慣で思わず右回りでセッター台に戻ろうとした体を急遽、左回りに切り替える。
気が緩むとまだヤバイな…。そう思った直後、和泉の腕に自分の肘が当たった。
スローモーションでフライヤーに落ちていくロースポーション。
琥珀色の飛沫が上がった。
「アチッ」
「悪い、大丈夫か!」
「ん…何とか…。とりあえずファーストアップしてくるワ」
松下の視界から素早く引っ込めた手をサロンで隠して和泉がフロアに向かっていく。
床に散った油の飛沫。立ち位置からしてそのほとんどが和泉の腕にかかっただろうことを状況証拠が物語っていた。バーガー類を手早く仕上げて、松下はテイク用のビニール袋に氷と水を詰め込むと帰ってきた和泉にそれを手渡した。
「すぐ冷やせ」
「そんなオオゴトじゃない」
「なら見せてみろよ」
「…少し冷やせばすぐに治る」
あくまでもサロンの下から腕を出そうとしない和泉と押し問答をくり広げるうち、私服に着替えた山梨がヒョイと厨房に顔を覗かせた。
「さっきの何? 大丈夫?」
「ダイジョウブです」
考えなしの和泉が愛想良く答えたセリフに、思わず手が出そうになった。大丈夫じゃねーだろ。額に脂汗、浮かべてるくせに…。だがここで山梨を引き止めるわけにもいかない。
「大丈夫ですから」
努めて平静な声でそれだけ告げると、松下はすぐにセッターに戻った。和泉に小声で「動くなよ」と告げて次々アップさせたオーダーを自らフロアに提供しに行く。
「もし火傷だったらコレ使って」
「あ、アリガトウございます!」
「そのキレイな肌に跡が残っちゃったら一大事だもんね」
救急箱から取り出してきた塗り薬を山梨が事務所のテーブルに置くのを目の端、捉えて。
「時間、平気なんですか?」
「わ、ヤバイ。ぜんぜん平気くない!」
松下の追い討ちに慌てたように、山梨のシルエットが厨房を通り抜けて自動ドアに向かった。
「じゃ、健闘を祈るわ!」
「どーも」
ミュールの足音が聞こえなくなったのを確認してから、松下はモノも云わず和泉の首根っこを掴むと、半ば引き摺るようにして事務所の奥の椅子に無理やり座らせた。
「なんだよっ」
「いーから。とにかくココで腕、冷やしてろ」
「そんな大したコトない!」
「バーカ。大したことねーヤツがそんなにカオ顰めるかよ。その顔じゃキャッシャーも任せられねー」
「…イタッ」
サロンの上からそっと触れただけで、和泉の顔が激痛に歪む。有無を云わさず引き出した腕を松下は氷袋の中に強引に突っ込んだ。
「い……ッてぇ! このオニ! サド!」
「何とでも云え」
「横暴! 頭デッカチ!」
「いいか。このアイドルタイムが終われば、次はディナーラッシュがくるんだ。オマエは邪魔だから引っ込んでろ」
「何でだよ、オレだってレジ打ちぐらいできる!」
「火傷は最初が肝心だ、袋から手ェ出すんじゃねーぞ。氷はまめに補充しろ」
「でも…っ」
「知ってるか? シェフへの返事は三つしかねーんだぜ。イエスか、ノーか、アイドントノーだ」
「ノー!」
「ふざけんな。いいからオマエはここで大人しくしてろ。オマエがいたところで足手纏いにしかならねーんだよ」
「アイ・ドント・ノー!」
和泉の額から汗が滴る。
それを指先で拭うと、松下は「なあ…」と幾分声を低めた。
「頼むから、何度も云わせるな」
元が色白だからだろう、和泉の右腕に広がった赤みはひどく生々しく、そして痛々しかった。きちんとした処置をすれば恐らく痕になることはないだろう。そこまでの重症ではない。けれど軽症といえるほどの可愛いものでないのは明白だった。ビニール袋の中で細かく砕けた氷がガシャガシャと鳴る。
自動ドアの開いた音。
和泉の鼻先に指を突きつけると松下はさらに声を低めた。
「ココを動くな。返事は?」
「……イエス」
項垂れた頭をポンと叩くと「いらっしゃいませー」松下は何事もなかったようにキャッシャーに立った。
「コチラでお召し上がりですか?」
見上げた時計はすでにディナーラッシュの始まりを告げていた。
否も応もない。手駒を減らしたのは完全に自分の落ち度だったから。どんなに形勢が不利だとしても、この戦場から逃れるわけにはいかない。
援軍はこない。戦場はいつものフィールドの約二倍。そして唯一の味方は瀕死の重傷だ。
アイツを戦場に出すわけにはいかない。重ねて云うが援軍はこない。
やるしかねーな…。腹の底で覚悟を決める。
一人営業の要領自体はすでにつかんでいる。要は効率だ。
どうすれば一番タイムロスを少なく立ち回れるか。この際、重要なのはホスピタリティではない。そう云うと真っ向から店の精神を否定してるようにも思えるが、店を潰すよりは遥かにマシな判断なはずだ。
気持ちのいい接客よりも、目の行き届いたサービスよりも、何よりも大事なのは正確性だ。クレームを一つ出した時点でドミノ倒しになるのは目に見えている。
最低限のサービスと正確性。それだけを心掛けてカウンターに立つ。
ファーストが3ピーステイクで、セカンドがパティとフィッシュ、Lポ…。頭の中のスケジュール表にどれをどの手順で作り、どのタイミングで出していくか。数瞬で計画を組み立てる。
焦ってはいけない。たじろいでもいけない。出来ないと思わない。これが限界だと思わない。
まだイケる。余裕の域。だからけっして俯いてはいけない。
誰に教わったわけでもない。経験の選り分けた知恵は何よりの武器だった。黙らない。声かけは怠らない。客にもしもは通じないから。こっちがどれだけトラブってようが、訪れる客にこちらの理屈は通用しない。そこを履き違えて甘えるのだけは許されない所業だと思うから。
昔、祖父に云われた言葉を思い出す。
「試練はそれを乗り越えられる者にしか与えられない」
この際、眉唾モノの格言でも何でもいい。頭から信じ切ってやるしかない。
「いらっしゃいませー」
だが勝手が違うというのはこうもやりにくいものなのか。
ほんの少しの差がジワジワと神経の端を磨り減らしていく。冷蔵庫内の微妙な配置の違い、和泉が負傷して初めて立ったカウンター周りの諸事雑事、まだ慣れ切ってない体が頭の中のリズムを次第に狂わせていく。
焦るな…、惑うな…。
途切れない客流れ、ホルダーにオーダー票が少しずつ溜まっていく。簡単なテイクやドリンクだけのイートはできるだけその場で済ませたいのだが、徐々にそれすらも危うい状況に追い込まれていた。
プレッシャーは嫌いじゃない。それに打ち克ったときの達成感はえも云われぬものがあるから。
体のリズムを少しずつ頭の中で刻むそれに合わせていく。
現実的な話、公園通りの夜ピーを一人で回せないことぐらいは解っている。だが他に取るべき選択肢はないのだ。こりゃ試練というよりは罰に近いな。監督不行き届き、和泉を負傷させたことへの…。
電話が鳴った。
振り返った先、子機を手にする和泉と目が合う。
キロリとこちらを睨み返す意志の強い瞳。
自動ドアの音に反応してあげた声にアイツの声が重なった。一瞬、背筋がゾクリとした。
脳内でアドレナリンが増加していく音が聞こえるようだ。
コイツの負けん気はいつか命取りになるような気がしないでもないが…。通話を終えた和泉の目に宿る意志。引き止める声にも耳を貸さず厨房を通り抜けた和泉がカウンターに立った。
「バカ、オマエがいても邪魔なだけだ。さっさと戻れ」
「うるさい。気に病みたきゃ勝手に病んでろよ。それでも懺悔したきゃ、オレに後でケーキでも奢れ、しこたまな」
思わずその場で笑いそうになった。
まだ死んでない、とその目が語る。誰がテメーの云うことなんか利くかよ、と。
見縊っていたのはコッチの方か…。解った、死ぬほど食わせてやるから。
和泉の背中に滲んだ覚悟を踏み躙る権利は自分にないから。
云って利くヤツじゃないのは先刻承知。松下は手早くセッター台にテイク用のバンズを並べた。
「いらっしゃいませー」
和泉の明るい営業声が公園通り店内に響いた。
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