PK
#1
付き合いはじめて三日目。
もう別れようだとか、合わないからだとか。
そんな前振りの一切もなく。
「僕、簡単に手に入るモノって興味ないんですよね」
たったヒトコトで。
兄によく似た美貌を微笑ませると、詔平は関の元を去っていった。
……それで「ハイそうですか」なんて納得できるかよ。
「春日詔平いる?」
いつ訪ねても不在の教室。
あれから二週間、関は中学棟舎に文字通り毎日通いつめていた。
もう一度会って話がしたい。
誤解があったのならそれを解きたいし、自分に否があったのならそれを正して謝りたい。
だいたい一方的にサヨナラを云われる覚えもなければ、簡単に手に入れられたつもりもなかった。
関自身、詔平の手を掴むまでにかなりの逡巡と戸惑いに頭を悩ませたし、その陰で詔平が涙を流していたことも知っている。そんな一言で終われるほど、軽い道程ではなかったはずだ。
だからこそ燻る疑問。嫌いになったのならそう云えばいい。他に興味が移ったのならそう告げればいい。それだけの話だ。虚勢を張る必要がどこにある?
恐らく自分でも気付いていなかったのだろうが、あの時、詔平の唇はかすかに震えていた。
台詞とは裏腹に揺れていた瞳。口調も態度もそれなりに及第――。でも瞳の奥でまで嘘がつけるほど、詔平はまだ汚れてはいない。年齢のわりに場数をこなしているのは認める。だが所詮、自分の比では到底ないのだ。
「だから、いませんって」
朝のHR前、昼休み、そして放課後に至るまで。
出てくるのは決まって同じ男で、吐かれる台詞もそう大差なかった。
「でも学校にはきてるんだよな」
「学校にいても、教室にいるとは限らないんじゃないですかね」
扉口に凭れながらの慇懃無礼な態度。
一発、顔面張り手でもかましてやりたいところだ。
「しつこい男は嫌われますよ、先輩」
「嫌われる以前の問題でね。またくるよ、ジャマしたな」
チャイムと共に中学棟を後にする。
この二週間、詔平には徹底して避けられていた。携帯は着信拒否、メールはアドレス変更済み。少なくとも避けられるぐらいにはまだ気にされている、ということだ。
逃げ隠れなんていつまでも通用するもんじゃない。そう寛容に構えていたつもりだったが、いかんせん関も気の長い方ではない。
その短い忍耐がそろそろ限界値に達しようとしていた。
身代わりでもいい。
自分の中に誰を見てても構わない。
そばにいられるんなら、あの人の隣りにいられるんなら。
どんなことがあっても耐えようと思った。
どんなことになっても耐え抜こうと思った。
でも所詮は、エゴ。
果たしてそれがあの人のためになるの? 答えは否だ。
誰かの幸せを心から願って已まないのであれば。
その最善を尽くすことに躊躇いがあってはいけない。
エゴの入り込む隙間なんてどこにもない。
関に別れを告げてから、詔平はすぐに関の番号を着信拒否に指定した。
メールアドレスも速攻で変えた。
子供の気紛れ、ただの出来心、他愛ない好奇心。なんとでも解釈してくれればいい。本気じゃない、ただの遊び。だから自分のことなんて一秒でも早く忘れてほしい。
「――あの人も懲りねーよな」
本鈴が鳴る。間延びしたベルの合間に窓ガラスがコツンと音を立てた。
それを合図に詔平がベランダから教室内へと戻る。
「いいかげん自分で対応しろよな」
「……ここで会ったら元の木阿弥」
「泣き腫らした目しといて、よく云うよ」
「内塚には関係ないだろ」
五限の数学は自習だった。
教卓に乗せられたプリントを内塚が取りに立つ。今日は朝から無駄な授業が多かった。こなければよかった、と心底思う。でも家にいるよりは百倍もマシだった。匡平の顔なんて見てたくない。
内塚から受け取ったプリントを机に広げる。
「だからやめとけって云ったのになァ」
「内塚に指図される覚えないよ」
「一度踏んだ轍を、二度踏むおまえがバカなんだよ」
身も蓋もない云われよう。だが、事実その通りだった。反論のしようもない。一度目ならいざ知らず、二度目は視線の行く先を前もって知っていたのだから。自分のバカさ加減に腹が立つ。
なんでよりによってそんな人ばかり好きになるんだろう。
ずっとそう嘆いてきた。
けれど、もしかしたら逆なのかもしれない。最近、そんな気がしてならない。
そういう人ばかりを、自分が選んでいるのかもしれない。
無意識のうちに。
兄の持っているものがいつでも羨ましかった。
「キャッチボールでもしにいくか」
父親にそう誘われるのはいつだって兄の方で、それについていこうとすると自分には必ず母親の忠言がついてまわった。
「日に焼けちゃうからウィンドブレーカー持っていきなさい」
「必ず日陰にいるのよ、帽子は被らなきゃダメ」
「お兄ちゃんとあなたとは違うのよ」
体の弱かった自分に母親の監視は厳しかった。もちろん、それも愛情のなせる業だって知ってたよ。でもせっかくの日曜に父親にキャッチボールにも誘われない息子なんて、惨めなもんなんだよ母さん。
なのに兄貴ときたら「友達ん家に遊びに行くから」とか「ゲームがしたいからいやだ」だなんて、身勝手な理由で断ってばかりいた。自分に云ってくれれば何を差し置いてでも「いますぐ行こう!」って云うのに――。
だが、詔平が父親に誘われることはなかった。
あの頃に比べたら体も強くなったし、滅多なことでは風邪もひかなくなった。
いまさら親子のスキンシップになんて興味なかったけど、でもコンプレックスの方はしっかり定着してしまったようだ。
自分の振り向いて欲しい人は必ず、自分ではなく兄に笑いかける。
すげー強迫観念だな、と内塚は笑った。
そうかもしれない。そう思い込んでるだけなのかもしれない。でも。
「あーあ、最近俺とはぜんぜん寝てくれないしなー」
「…おまえだっていんだろ、本命」
「いーじゃん、たまには体の充足させてよ。詔平のヤラしい体が懐かしー」
詔平の頬に朱が走る。
元はと云えばおまえの所為だろ? 詔平の不服を見て取ったのか、内塚がフフンと鼻先で笑った。
中学に入ってから、詔平の生活はずいぶんと変わった。
優等生の仮面の外し方、それを教えてくれたのがこの内塚だった。
何かと口出ししてくる兄を嘲笑うように、興味の向いた事なら何でもやった。家族に云えないようなことも一つや二つじゃない。さすがに犯罪がらみのことには手を出してないけど。ああ、でも大人が未成年者と姦淫するのは罪なことなんだっけ。じゃあ、未成年者同志ならいいのかな。
初めての相手は内塚だった。
コイツが年の割りに恐ろしくマセてて、早熟もいいとこ。散々好きにされて体を慣らされた。慣れてしまえばなんてことない。快楽を得る手段の一つ、そうとしか考えてなかった。出入りしてたクラブで会った何人かとも寝た。
気持ちよければそれで構わなかった。
たぶん、あの頃が一番やさぐれてた時期。
ちょうどそんな時に、詔平は蓮科と知り合った。優しくされて、好きになるかもしれないと思った。それが確信になるよりも前に、蓮科が兄に心奪われたことを知った。匡平なんか死ねばいいと思った。
この頃から兄を名指しで呼ぶようになった。
「だから俺にしとけって云ってんのにな」
「おまえじゃイヤだって何度云わせれば気が済むわけ?」
「冷たいヤツー」
サラサラとシャーペンを滑らせる音。
内塚が心配してくれてるのは知ってるよ。解ってる。
確かに前回は自棄になってずいぶん無茶なことをした。今回もきっと、何をしでかすつもりかって気が気じゃないんだろう。でも違うんだ。そうじゃないんだ、内塚。
だってあの人、あのままじゃ幸せになれないんだよ。自分がそばにいると余計に傷口を広げちゃうんだ。忘れるしかないんなら、この顔をそばにおかない方がいい。
関の中にある匡平の幻影。それを利用してでも本当はそばにいたかった。いようと思ったんだ。……それでもいいだなんて、どうして思えたんだろう。
醜いエゴ。体中にしがみついたソレが夜毎、詔平を苦しめた。
「自己犠牲なんていまどき流行らねーぜ」
俯いたまま、内塚が呟く。プリントの設問はほぼ終わりに近づきつつあった。
「流行なんて知らないよ」
最後の問題にケリをつけると、詔平は席を立った。
雑談の合間にプリントを片付けるクラスメイトたちの間を通り抜ける。クラス委員にプリントを提出し終えると、詔平はそのまま騒がしくなりはじめた教室を出て行った。
「ほんっと不器用なヤツ」
手早く上げたプリントを提出すると、内塚もさっさと教室を後にした。
H1-2。真っ直ぐに関の教室を目指して。
五限目終了のチャイムが鳴った。
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