No future ? #1



一月に入って三回目の木曜日。
ほとんどの顔見知りにお決まりのアイサツを云い終えたこの時分になると新年気分もすっかり抜け、気付けば自分を支配するサイクルは、いつもと変わらぬ通常モード。
「勉強でもすっか…」
そのサイクル通り事務局前に乗りつけたタクシーを降りると、英嗣は勝手知ったるナントヤラで来賓用のガラス扉をくぐりハナウタ混じり、ズカズカとプーマで上がり框を踏みしめた。これで職員室から出てきた神奈川なんかと鉢合わせしたら去年のデジャヴの続きなんだけど、とか脳裏に思い浮かべたのがまずかったのか。
「よう」
背後からかけられた声は紛いようもなく担任のソレで。
「チース」
とりあえず背中を向けたまま返事だけ返すと、バンッ、と手厚い一撃を後頭部に加えられた。オイオイ、渾身の力でコンサイスとかって下手したら死ぬんじゃねーの…?
結構な痛みに振り返ってみるとその手にあったのはグランドコンサイスで、生徒に対する愛情ってモノがこのオトコには欠片もないのだろうという事実を心の内だけで再確認する。よりによってそれかよ…。一歩間違ったらホントに新聞沙汰だから。誇張でなく。
「殺人犯で明日の朝刊飾る気?」
「ほざけ。俺はオマエの命の恩人だっつーの」
「ああ、寝惚けたきゃ止めねーけどそーいうのは保健室で」
「怒り狂ってたぞ、アサヤマ先生」
「…あー、ソッチ方面ね」
そういや今日期限のレポートを一つ云いつかってたっけか。出席率の低さをレポートでカバーするいい機会だったのだが、どうやらウッカリ記憶の彼方に押しやっていたようだ。アサヤマさん、ヒステリーだから一度頭に血が上るとこっちの正論も口八丁も通じなくなるから厄介なんだよな…。云い負かす自信は多少あったがその労力は並大抵ではない。ちょっと未来にかまけ過ぎたかな?
「いま思い出した、ソレ」
「んなこったろうと思ったぜ。しょーがねえから俺が一言、クチきいといてやったよ。感謝しやがれ?」
「たまには気が利くじゃん」
「なら崇め奉れ」
年の割りに童顔な面がニッコリと悪辣な笑み一色に染まる。どうやら気の重い労力は神奈川が代わりに払ってくれたようだ。グランドコンサイスの重量を考えるとやはり並大抵の苦労ではなかったのだろう。こう忘れた頃に担任っぽい一面をチラリと垣間見せてくれるよな。往年のアイドルのパンチラぐらいのチラリズムだけどな。
「で、締めはイツ?」
一時間後とか云いやがったらブルータスカーサで一撃お見舞いしてやろう。もちろん手加減はナシの方向で? ひそかに身構えてると「明後日」という予想外に快挙な台詞が悪党の唇から零れ落ちてきた。
「やるじゃん、神奈川」
「オイ待て、神奈川先生サマと呼べ?」
「えーと、神奈川センセイ」
あまり調子に乗せてもロクなことにならないのでこの辺で代替品を提示しておくのが無難だろう。カルティエのキーリングにならアテがある。つーか貰ったんだけど使わねーからな。机の肥やしにしとくよりは神奈川の元にあった方がいくらかはカルティエも幸せだろう。
「明日持ってくら」
「サーンキュ、蓮科!」
「これでチャラな」
「おうよ!」
満面笑顔で去っていった担任の背を見送りつつ。
「やれやれだぜ…」
思わず肩を竦める。いちおう神奈川も欠片ぐらいは生徒に愛情を持ってくれているらしいことは解った。ずいぶん現金な愛情だけどな。禁じえない苦笑。だが例え代替品がなかったとしても、神奈川の行動が変わることはなかっただろう。物理の単位やばいの、把握されてるとは思わなかった。腐っても教師というコトか? それが気紛れに過ぎる愛情だってのは去年でだいぶ身に沁みてるけど、担任としてはそう悪くない。相変わらず憎めないキャラだよな。殴られた後頭部はまだソウトウ痛むけど…。
とりあえず単位がヤバイのは物理だけなので今度はきちんと時間を作ってレポートに取り組むのが良策だろう。今日の日程をパズルのように頭の中でずらしながら空き時間を計算する。そうだな、昼休みに図書館で資料を漁って五限で下書き、清書は明日に回せば問題ねーか?
教室への近道をするべく、事務局棟から二階に続く階段を昇る。しかし明後日締め切りとはつくづく神奈川の手際も大したもんだ。そう云わざるを得ない。あのヒステリーからよく二日の猶予が取れたもんだ。自分ですら巧くいって一両日が限度だったろう。侮れないオトコめ…。
「おっと」
ぼんやり考え事に耽っていたせいか、階段を昇りきった所で英嗣は廊下を折れてきた人影と危うくぶつかりそうになった。咄嗟にその身を避けたところで、だがなぜかしかし。その避けたはずの人物に胸倉をつかまれた。その腕にズルズルと引き摺られるようにして廊下の真ん中へと引っ張り出される。触れそうに近かった唇が「よう」と低く呟いた。
「ずいぶん熱烈なお出迎えだな」
「いーから、ちょっとソコまで付き合えよ」
云うまでもなく不機嫌そうな顔でそれだけ告げると、匡平はヒトの胸倉をつかんだままズンズンと廊下を進み始めた。
どうやら王子様は随分ゴキゲン斜めな様子だ。何が原因かは知らないが相当ムシの居所が悪いらしい。ざっと数えただけでも思い当たる節があっという間に両手の指を塞いでしまう。さて、今日は何が原因だろう? もしくはあの口さがないオネエにまた何か吹き込まれたか? どちらにしてもそれを解消しないことには、ブルゾンから伸びたこの手に触れることも許されないだろう。引き摺られるまま進む廊下の先には、いくつかの会議室と保健室しかない。遠目にも保健室の扉に「不在」の札がかけられているのが見えた。
「春日からお誘いとはめずらしいな」
「バカ云ってんな」
「そうか? 俺はそろそろキテるんだけど。なにしろもう一週間はお預け食わされてるし」
「黙れよ」
前を行く匡平の耳元がテキメンに赤くなるのを眺めながら先を続ける。
「イーコト教えてやろうか?」
「何が」
しなやかなその身に飢えてるのは確かなコト。年明け以降なかなか予定が合わず、必要最低限学校で顔をあわせるのがここ最近は精々だった。叶うことならこのまま本当に保健室にでも連れ込んでやりたいってのが偽らざる本音というヤツ。いい加減ヒトリの夜の長さも身に沁みていた。
「俺の脳内では夜な夜なスゴイことになってんだぜカスガ。中でも昨夜のオマエは特にヤバくてね」
「ちょっと待て、オマエ…」
「さすがの俺もあんなコトされちまった日にはもう…」
「黙れッつーの!」
いつまでたってもこのテの話題に抗体の出来ない恋人に、ほとんど突き飛ばされるようにして英嗣は保健室の扉を潜った。背後で薄い扉が派手な音を立てて閉まる。その扉に掛けられた白いクリップボード。ちらりと視線を走らせたその退出記録が正しければ、いまこの部屋にいるのは自分たち二人だけだった。そっとめくったカーテンの中にも人影はない。空いた白いベッド。
やべーな、徹夜のバイトが明らかに祟ってる…。このまま悪ノリしたい気持ちをどうにか抑えつけて、英嗣は唇の端を引き上げるといまだ赤面冷めやらない恋人に向き直った。
「てのは冗談だ。そうなんねーうちに頼むぜ」
「…欲求不満ならいくらでも解消のアテがあんだろ?」
「春日のヤラしい体じゃなきゃヤだね」
「テメ…っ」
「もとい、愛のないセックスなんて空しいだけだぜ?」
見え透いた仕草で軽く腕を広げると、百パーセント信用してないって視線が真っ向から睨み返してくる。普段はほんの少しだけ吊り上がってる猫目が、そういう表情をすると顕著な吊り目にガラリと切り替わる。猫科が肉食だってのを思い出させるようなキツイ眼差し。どんだけ信用ないんだって話だよな。けれど無理ないと我ながら思ってしまうあたり、何よりも弱い。前科というものは一度ついたが最後、死ぬまで離れないものだから。それについて弁解はしない。ただこのクチから出るのは嘘ばかりでもないのだと、そこだけはどうにか信じてほしい。身勝手な希望なのは元より承知だ。
「調子イイこと云ってんじゃねーよ」
フイと逸らされた視線が次に向いた先、無人のベッドを視界に捉えながら「脱げよ」匡平のクチから飛び出してきた台詞が冷え切った床にゴロリと転がった。同じようにして脱ぎ捨てられたコンバースが保健室のタイルに転がる。積極的な春日ってのも新鮮でイイ。そーいやいままで保健室でヤッたことってなかったもんな。第一練習室か器楽準備室が定番だったから。校内コンプリートってのも悪くない話。
「早く脱げって」
「オッケー。確かにベッドまで用意されてるのに、ヤラないってのも失礼な話だよな」
「オマエいっぺん死んでこい?」
心にもない笑顔でそんな台詞が飛び出してくるのは、臨界点が間近い証拠。
「そう毛ェ逆立てんなって」
匡平の意図を汲んで脱いだ靴を床に転がす。これ以上火に油を注いでもしょうがねえしな。しかしわざわざ自分を待ち伏せてまで保健室に連れ込んで、この王子様はいったい何をやらかそうというのか?
妙に神妙な顔つきをした匡平の視線が頭から爪先までを二度往復する。挙句「アレに乗れよ」匡平の指が指し示した先を見て「…あー、ハイハイ」英嗣はようやくその理由を把握することが出来た。やれやれ、火に油を注ぐのは自分の口八丁ではなく、どうやら成長途上にあるこの身に割り振られた役目のようだった。
「十六歳男子の標準身長は171.5だぜ。春日、余裕でクリアしてんじゃん」
「そーいう問題じゃねーんだよ」
冷たい一瞥に打ち落とされた台詞がコンバースの横に転がるのを苦笑しつつ眺める。こうなったら気の済むまで王子様の癇癪に付き合うしかないらしい。測定機に乗せた体躯を測るメモリに吸い寄せられた猫目。
「…………」
続いて落ちてきた長い沈黙が。
その結果をアリアリと物語っていた。


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