hard rain #3



 あれからどれだけの時間が経ったのだろう…。

 何度目かで浮き上がった意識を薄く開いた瞼で周囲に振り向ける。
 ウィー…と小刻みに空気を震わせてるローターの音。それを掻き消すようにリビングのテレビが結構な音量で早朝番組を垂れ流してるのが聞こえた。腕は変わらず拘束されたままで、腹や内腿の濡れた感触が空調の風に晒されて背をつけてるフローリングと同じぐらいつめたく冷え切っていた。
 ああ、震えてるのは空気じゃなくて俺の内臓なんだとややしてから気づく。開け放したカーテンの向こうに広がる夜空がうっすらと端から明けはじめていた。目尻に残った乾いた感触は涙の名残だろうか。
イヤだと叫ぶたび、ヤメロともがくたび。

「人殺しが偉そうなクチ利いてんじゃねーよ」

 笑いながら何度も繰り返された。
 人殺し、人殺し、人殺し…。
 気まぐれに殴られた頭と腹とがにぶく痛んでた。雨沢はもっと痛い思いをしたんだろうか。地面に叩きつけられて体中の骨が折れて肉が破れて。命を失わせる衝撃に比べたらこんなのただの痛みに過ぎない。
 痛いなんて云っちゃいけない。
 俺が使っていい言葉じゃないから。
 悲しいも悔しいも辛いも泣きたいも、全部俺には許されない言葉だから。

「あれ、お兄ちゃん起きたの?」
 風呂上りらしい金髪がぼたぼたとフローリングに水滴を落としながら近づいてくる。萎え切った俺のそこを見て「やっぱローターじゃ物足りなかった?」そこら辺に転がってたうちの一本を取り出してローションをふりかける。
「しょーがねえ淫乱だよな、ホント」
 ローターのコードがはみ出してる隙間に「親切だろ、俺らって」あてがわれた張り型をズブズブと押し込まれる。圧迫感の増した内部からほんの僅かの光明のように生まれた快感がヒクリと痺れ切った先端を震わせた。
「とりあえずもう何時間かは俺らで我慢してよね。放課後になったら友達呼んでパーティーにしてやるからさ」
 最大に上げられたバイブの震動で中の性感帯を的確に抉られる。条件反射的持ち上がった先端から透明な液が腹に零れた。
「ケツでこれだけ感じるってやっぱアンタおかしいんじゃねーの? ああ、でもあの女の血だからしょうがねーのかそれは」
 中の粘液を絡めながらゆるゆると出し入れされる張り型。隙間から漏れていく粘液の感触が快感の予兆でいまは熱く感じられた。あんたの母親もカラダで父さん誑し込んだって有名だったよ。顔とカラダが良けりゃ、まあそれなりに重宝されるよな。
「そこだけはママに感謝しといたら?」
 ゲラゲラと笑いながら追加された張り型が狭い隙間に力づくで埋め込まれる。俺は悲鳴を上げる余裕もなくつかんでた意識をすぐに手放した。


 次に目が覚めた時にはソファーの上で黒髪に犯されていた。広げて抱えられた両足が緩やかな律動に合わせて上下に揺れる。あれから最低でも一度は体を拭われたのだろう。前髪に絡んで乾いた分はそのままだったけれど、唇や頬に凝り固まってた顔射の跡はすっかり消えていたから。
 キリキリと痛む感触に目を上げると勃起したまま縛られて変色し始めてる自分のそれが見えた。このまま鬱血して腐り落ちたら楽になれるだろうか。自分の商品価値が下がればこの地獄のような機構から逃れられるかもしれない…。一晩明けてもまだそんなことを考えている自分に辟易する。

 逃れて、それからどうするというのだ?
 行く当てもないのに。

 向かいのソファーでは金髪が宅配のピザを食いながら昼の定番番組を見ていた。わざとらしい観客の笑い声に被ってグチュグチュと濡れた音が響く。空を行く飛行機の音。下の児童公園で遊んでる子供たちの声。階下で鳴き喚く犬の吠え声。ウッ…と呻いて黒髪がイッた。
「…つーかこんだけヤラれてて締め付け処女ってスゲーよな」
「これが淫乱の血ってやつでしょ?」
「まじ商売できるわ、コレ」
 引き抜いたモノから外したゴムを黒髪がそのへんに投げ捨てる。グチャっ…と濡れた音が背後で聞こえた。拘束を外されて久しい腕がずるりとソファーから床に落ちる。指先一本動かす気力、それすら失ったのが拘束を外される前の話だ。開いたままだった視界にぼんやりブラウン管が映る。番組のコーナー表示に、ああ…まだ今日は水曜なんだと思う。これからこうして何度曜日を巡ればいいんだろう。何度不幸を味わえば終わりが来るんだろう。そもそも終わりすら許されてない身分かもしれないのに…。
 贖罪の果てにあるのが赦しでなくとも、犯した罪が消えない限りはこうして贖わなければならないのだろう。
「あー、さすがにヤリ疲れた!」
「なんかわりと満足しちゃったよね。今日からもうマワしとく?」
「ビデオも撮ったしねー。も、いっかァ」
「とかって、実はもう召集メル打っちゃったんだけど」
「ウワはやっ!」
「つーことで兄ちゃん、稼いでチョーダイ?」
 ただ開いている、というだけの視界に双子の顔が楽しそうにフェードインして笑った。その向こうに自分を忌み嫌った母親の影がダブって見えて、憎しみの途切れない鎖が脈々と受け継がれているのを感じる。
 自分がこの世にいる限り終わらない感情。
「…………」
 ひどく疲れた気がした。
 生きることにも死ぬことにも、何もかもに疲れ切ってしまった気がする。



 ガチャッと玄関の開く音がした。双子たちが訝しげに見守る中、リビングの扉が開いて見慣れた制服が入ってくるのが見えた。
「あーアンタ……名前なんだっけ?」
「アンタの代わりにさー、俺らいま兄ちゃん罰してやってんのー」
「あ、混ざりたかったらアンタも混ざっていいよ?」
「最後に一発ヤッとくー?」
 ゲラゲラと耳障りな声が鼓膜を震わせる中、そのノイズを一瞬で掻き分けるように。

「勝手にしろよ」

 何十年ぶりかにその声を聞いたような気がした。
「こっちも勝手にさせてもらうぜ」
 ソファーで放心してる俺に意識を払うでなく、ニヤニヤと醜悪な笑みを張り付かせた双子を気にするでもなく。加賀は何に動じることもなく俺の部屋に踏み込むと扉を閉めた。机やクローゼットを漁る音が聞こえる。
「なんだアレ?」
「さあ? 親友殺されてバカになってんじゃないの?」
 ゲラゲラとまた笑い合いながら双子がピザを咀嚼する。グチャグチャと物を食べる汚い音と軽薄に明るいだけのCMがリビングに響いてた。
 この家に加賀が来たのはこれで三度目だ。床に落ちた爪の先でフローリングの冷たさを感じながらバラバラになってた意識が端の方で少しずつまとまっていくのを見守る。ああ、アレか…。二度目の時に加賀がバスルームに忘れていった腕時計。あれなら机の引き出しにしまってあるよ。なんとなく返しそびれてただけで盗る気はなかったんだと弁明する自分を、加賀は視界にも入れてくれないだろう。それとも雨沢のノートやシャツを引き取りに来たの? それならクローゼットにきちんとしまってあるから…だから早くそれを持ってこの場を立ち去ってほしい。
 加賀を見た瞬間、湧き上がった感情がなんであるか。
 俺が自覚してしまう前に…。

 扉の開かれた音、閉じた視界に加賀の影がよぎるのを見送る。
 床に落ちてたバイブを蹴り飛ばす音が聞こえた。早く…早くここから出て行ってほしい…。その願いを嘲笑うように黒髪の方が加賀を引き止めた。
「アンタ、親友に惚れてたんだろ?」
「うっわまじ? 男同士の痴話ゲンカってやつ?」
「醜いったらねーよなァ」
 ゲラゲラゲラ…耳障りな笑い声が一瞬で消えて、骨と肉がフローリングに転がる音が聞こえた。
「知った風なクチ利いてんじゃねーよ」
 思わず開いた視界の隅、加賀が横倒しになった黒髪の腹を蹴りつけるのが見えた。その傍らには腹を抱えて蹲る金髪がいる。
「テメェ…どういう了見だ…」
 およそ年齢には似つかわしくない低音で金髪が凄む。だが意に介した風もなく、加賀の右足が金髪をリビングの端まで蹴り飛ばした。ドスっと鈍い音が響いて金髪が呻く。
「それはこっちの台詞だな」
 抵抗の色がなくなるまで双子を蹴りつけると、ふいに思い出したように加賀の視線が俺を振り返った。
「な、んで……」
 その眼差しが湛えた色合いに俺は思わず涙を零していた。精液が絡んでザラリとした声が喉元に引っかかる。無言で近づいてきた加賀が、人形のように動けない俺を抱き起こした。裸の上に脱いだブレザーを被せてから溢れる俺の涙を添えた親指で拭う。
「悪かった…」
 そう云えるだけの時間がほしかったんだと、加賀は小さな声で告げると俺の濡れた頬を片手で覆った。また溢れ出した涙が加賀の泣きそうな眼差しを滲ませる。
「謝って済むとは思ってない、俺はおまえにそれだけのことをした。……けど」
 本当にすまなかった、と悲鳴のようにかすれた声がポツリと落ちてきた。内腿にガムテープで留められてたローターのリモコンを加賀が丁寧に剥がす。力のない冷えた素肌に加賀の手は火傷しそうなほど熱く感じられた。
「加賀…」
 なんて都合のいい夢だろうと思った。いままでにも何度もあったことだ。夢の中で赦されて、心から安堵したところでまたあの現実に引き戻されるのだ。いままでに何度なく絶望感を味わわせてくれた、あの夢をまた見ているんだろうと思った。だがそれにしてはやけにすべてがリアルで、拭えない違和感が俺を襲う。双子の流した血が白い壁の一部を鮮やかに染めていた。

「テメエ、ただで済むと思うなよ…」

 背後で動いた気配を感じた時には、もう加賀の隣りに潜り込んでる影がいた。黒髪の繰り出したナイフの刃先が二センチほど加賀の左腕にめり込んでいるのが見えた。
「か、加賀…ッ」
「浅墓なガキの出る幕じゃねーんだよ」
 それ以上の食い込みを阻止していた右腕に突き飛ばされて、黒髪がフローリングに尻餅をつく。つけっ放しになってたテレビから、バカみたいに明るい音楽が流れ始めた。床に落ちてたナイフを部屋の隅に蹴り出してから、加賀がリモコンでテレビを消す。途端に静まった室内に淡々とした加賀の声が響いた。
「傷害罪までつけてほしいのか?」
 何をいまさらと云った顔で双子が口元を緩める。漲る自信、それが二人の唇に醜悪な笑みを描いていた。
「ハッ、そんなのどうとでもなるんだよ!」
「喧嘩は相手見て売るんだなっ」
 やり慣れた手口、素行の劣悪さ、数年会わない間に双子はあの家の慣習に飼い慣らされたのだろう。父親の名前を盾にすればたいがいの罪は跡形もなく容易に消し去れたはずだ。誰にもそうと認知されることなく、好きなだけ暴挙を愉しむことが出来たろう。
「アンタを潰すぐらい、わけないんだよこっちは!」
「いまさら後悔しても遅いぜ、アンタ?」
 黒髪の横で金髪が開いた携帯に指を滑らせる。ややしてリビングの入り口で聞き慣れぬ着信音が鳴った。

「母さん…」

 数年前に比べれば老いの目立つ髪をオートクチュールの帽子で覆って、変わらぬ眼差しを俺に向けたまま神経質そうな指先が携帯の通話ボタンを切る。途端にハイドンが止んだ。加賀の足元に縋るように蹲った俺を無関心げに眺めてた視線が、続いて加賀の目線まで持ち上がった。
「かあさ…」
「お黙りなさい」
 双子の一人が開きかけた口を片手で制して黙らせる。それからしばらくの間、沈黙だけがこの荒れ果てた部屋を支配していた。たった一日で荒み切った部屋の有様に加賀がゆっくりと視線をめぐらせる。

「どう、始末をつける気ですか」

 加賀の静かな声音に、帽子についた羽飾りがふわりと揺れた。加賀の視線を追うように、冷めた視線が部屋を一巡する。
 そこかしこに落ちてる、汚物に塗れたバイブやローター。使用済みのゴムが一つ、ちょうど母親と加賀の間にポツンと落ちていた。血や精液の匂いが噎せ返るような濃さで部屋中に充満している。だがそのいずれもまるで見えないかのように、母親の凛と伸びた背筋が曲がることはなかった。

「始末も何も。バカ息子の尻拭いに駆り出されるのは心外ね」

 背筋と同じく、張りのある声がリビングに響く。あっさりと放たれたその結論に、真っ先に声を上げたのは双子たちだった。
「ちょっと待てよ、情報をくれたのは母さんだろ?」
「アンタがこうしろって云うから、俺たちはただ従っただけ…」
「お黙りなさい!」
 シナリオの見えていない息子たちを一喝すると、母親はまっすぐに加賀を見据えて、それからわずかに顎を引いた。
 その後に続いた母親の行動に、思わず息を呑んだのは双子と、それから床に転がってる自分だった。
「息子たちの非礼は心からお詫び致します。こちらで然るべき処置を講じますので、どうか何とぞ穏便に…」
 そう云った切り、深く垂れた羽飾りはずいぶん長い間持ち上がらなかった。高飛車や高慢を絵に描いたようなあの母親が、一回り以上も年の離れた加賀に向かってこれ以上ないほどに頭を下げている。
 ああ、やっぱり夢を見てるんだ。
 晴天の霹靂にも似たその光景は、すべてを虚構だと思い込むには充分過ぎた。どこからが夢で、どこまでが現実だったのかは解らないけれど。
 だってこんなことがあるわけがない。絶句した双子の表情が何よりそれを物語っている。

「詳しいことはまた追って」

 すげなく告げた加賀に抱き起こされて、ブレザー越しに加賀の体温を感じた。クローゼットから引っ張り出してきたらしいシーツで俺の体をくるむと、加賀は両腕に俺を抱いて立ち上がった。それから玄関の方に向けて何か合図を送る。その直後、スーツを着た数人の男たちが無言でこの部屋に入ってきた。後は任せた、と低い声が告げたのをきっかけにわらわらと男たちが動き始める。


      いったい、この夢はいつまで続くんだろう?


 加賀に抱かれたまま、廊下に脱したところで俺は一度首をめぐらせた。リビングの中央で、母親の頭はまだ深く垂れたままだった。
「……軽くなったな」
 ポツリとした呟きに視線を上げると、加賀の涙が俺の頬を濡らした。俺の涙に紛れたそれが、ゆっくり零れてシーツに沁みていく。玄関から外に出た瞬間、真っ青に晴れた空が俺の視界をいっぱいにした。濡れた頬に温んだ風が柔らかく触れる。

 ああ、生きてるんだ俺……。

 なぜだか急にそう思った。雨の季節はすでに通り過ぎ、景色のそこかしこに初々しい夏の気配が佇んでいた。


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