Endless Summer #1



 そのメールが舞い込んだのは八月の終わりのことだった。


『海辺で花火したい人は四時に新宿・西口集合★ 各自やりたい手持ち花火、大量持参のこと!』

 送信元が早乙女だった時点で、行くか行くまいか相当悩んだのだがけっきょくは蓮科と二人、新宿まで行ってみることにした。暇だったのもあるし、考えてみれば今年はまだ一度も海を見てなかったし、手持ち花火もやってなかったから。
 約束よりも少し早く着いた西口のロータリー。柱を背にまだ翳る気配のない太陽を眺めてると、横からトントンと肩を叩く手があった。振り向いた途端、左頬に早乙女の指先が食い込む。

「あっは、引っ掛かった!」

 ……このオネエ、どうしてくれよう。
 さり気ない調子で顔を背けている蓮科も、不自然なぐらいに肩が揺れている。どうせならもっと盛大に笑われた方がまだマシだってんだ、こんチクショウ。
「春日って外さないわよねー、そういうお約束」
「うるせー。つーかあと何人来んだよ?」
「んー、五人くらい? 途中で何人かは、ピックアップしてくれてると思うんだけどー」
「は、車? 誰が出してんの?」
「ウフフ〜、それは来てのお楽しみ〜」
 不気味な笑顔を浮かべつつ、早乙女がポケットから出した携帯で手早く誰かを呼び出す。
 いったい誰が来るというのか。目の合った蓮科が軽く肩をすくめてみせる。どうやら蓮科にも心当たりはないらしい。まあ、無事に海まで連れて行ってくれる人材であればとりあえず文句はない。
 かくして数分後、ロータリーに横付けされたハイエースから降りてきた人物に、思わず瞠目してしまったのは不可抗力というものだろう。

「運転中に電話してくんじゃねーよ!」

 禁煙パイポを片手、思い切り不機嫌そうな面構えの神奈川が、早乙女の頭頂部に容赦ないチョップをくらわす。
「い…ったーい! ちょっと、教師が生徒に暴力とかまじアリエナイんですけど!」
「バーッカ、休み中にゃ生徒も教師もねーんだよ。ったく、俺様まで駆り出しやがって…」
 いったいどんな方向から話を転がすと、神奈川がこんな企画のアシを請け負ってくれるというのか。謎が謎を呼ぶ展開に思わず呆然としていると、今度はパイポを持った手がバンと蓮科のショートスリーブシャツに思い切り張り手をかました。
「いってーな、オイ…」
「うるせー。トロトロしてんな、さっさと荷物積め!」
 オイオイ、順番的に次は俺じゃないだろうな…? 密かに構えながら事の次第を見守ってると「…なあ」と蓮科が急に声のトーンを落とした。腕を組んだままなにやら不審げに首を傾げている。
「これどう見ても神奈川の愛車にゃ見えねーんだけど」
「あったりまえだろ、こんなださいの副担の車に決まってんじゃん」
「これなら暴走して傷だらけにしても全然構わねーよなー、とか思ってるだろ?」
「あったりまえだろ、人の車なんざどうなろうと知ったこっちゃねーよ」
 さすが受け持たれてるだけはあるというか、担任の性格についてはよく把握しているのだろう。その空恐ろしいやり取りに、思わず回れ右したところで「まあ、待てって」と、神奈川の手が俺のノースリーブパーカーのフードを引っつかんだ。
「つーことで人質捕獲。いまさら辞退なんて云わねーよな、蓮科?」

     かくして楽しい手持ち花火ツアーは、こうして暗雲漂う中スタートした。

 とはいえ真っ黒い雲がかかっているのは乗組員の胸中だけで、空自体はこわいぐらいの夏晴れだ。海に着く頃にはいい塩梅に、オレンジ色の太陽が水平線を彩っていることだろう。
 それにしてもよく解んないメンバーだよな…。
 誰がくるのかまったく聞いていなかったおかげで、車に乗り込んだ時は軽いサプライズパーティーのような気分を味わった。神奈川の隣りに五組の葛井梨香がいる時点でまず驚きだ。どうりで神奈川が禁煙パイポなんか咥えてるはずだよな…。煙草の煙があまり得意でない俺としてはかなり助かるが、ヘビースモーカーの横に学校を代表するような嫌煙家が配置されてる時点で前列のムードは決まったようなものだ。

「なあ葛井、一本だけ…」
「知らないんですか? 喫煙の権利は隣りの人の鼻先で終わるんですよ」
「ちっ、可愛げの欠片もねー女…」
「なんなら煙草がどれだけの害をもたらすか、三時間ぐらいレクチャーしましょうか?」

 暗雲どころじゃない、さっきから何度雷鳴が鳴り響いていることか。なにしろ葛井の嫌煙家ぶりは筋金入りだ。テラスで食後の一服を愉しんでいた倉貫にバケツの水を浴びせかけたのをはじめ、そのテの武勇伝には事欠かない。口癖が「喫煙者なんか死に絶えればいいのに…」これは実際に俺も聞いたことがある。嫌煙家を通り越して殺煙家なのではないかと周囲でもっぱら囁かれているのも無理ないだろう。高一の三美に数えられるほどの美貌を持っているにも関わらず、いままで浮いた噂ひとつ聞いたことがないのはそのせいだろうか?
「次の信号、左折なんで」
「はいはいはいっと」
「…あたし逗子に着いた時点で降りるんで、道覚えといてくださいね?」
「へ? 帰りいねーのかよオマエ」
「何のためにあたしがこんな車に乗ってると思ってんですか」
「は? ワケ解んねーし」
 腑に落ちない顔の神奈川をよそに、あーそっか…と俺はようやく合点がいった。そういや葛井って関東遠方組だったっけ。「鉄の才女」とまで云われる葛井がなんでこんなメンバーに紛れてるのか、さっきからずっと疑問だったんだけど、これでようやく謎が解けた。ナビを務める代わりに実家への足を確保したというとこだろう。そういえば葛井って学校の近くで一人暮らししてるんだっけな。前に委員会でそんな話をしたような気がする。
「チッ」
 目の前で信号が赤に切り替わり、神奈川が派手に舌打ちしながら急ブレーキを踏んだ。タイヤが軋んだ音を立てるのに思わず背筋が寒くなったのは俺だけではないだろう。
「ちょっと、生きて逗子まで帰りたいんで安全運転してくださいね?」
「なら俺に煙草吸わせろよ
「知ってます? 副流煙による受動喫煙の被害について、欧米の見解では…」
 はいコレ、何回目のバトルですか? 車が無事に海に着くまで、この二人の会話はこの先ずっと繰り返されるのだろう。新宿を発車して十五分、すっかりゲンナリ気分なのは何も前列のせいばかりではない。
「ハイ、張り切って行くわっよー!」
「イッエーイ!」
 そう、これこれ…。早乙女の声がひたすら響いてる後列のムードもかなりきつい。つーかマジきつい。
 いまのところ夏目が食いついてはいるものの、いずれ脱落するのは目に見えている。落ちねーんだよな、あのオネエのテンション…。この辺に関してはクラスメイト五年目を余儀なくされている自分が一番詳しいだろう。

「タッキーから始まる山手線ゲーーーーーム!」
「うっわウゼー、一人でやってろー?」
「勝った人にはぁ、あたし特製のおむすびあげちゃいまーす☆」
「それ、明らかに罰ゲーム!」

 すでに漫才と化してるオネエと夏目のやり取りに並びつつ、爆睡こいてる小松原が実は一番の大物かもしれねーな…。とりあえず後列のハイパーテンションと、前列の羅刹の家ムードにはさまれてる中列シートが一番辛いんじゃないかと、要はそういう話だ。蓮科の隣りでヘッドホンの向こう側に没頭している水柳の判断はこの場合一番賢明だろう。見れば蓮科のヤロウまでがイヤホンを取り出してナノのクリックホイールを弄っていた。
「一人で戦線離脱かよ」
「や、そんな抜け駆けはしねーって」
 そう云って渡された右用のイヤホンを耳に押し込むと、ほどなくしてどこか哀愁を帯びた女性ヴォーカルが聞こえはじめた。
「誰これ?」
「Portishead」
「へえ、けっこう好きかも…」
「最近、睡眠のお供はもっぱらこれでね」
 という蓮科の言葉に触発されたのかは解らないが、俺は気がついたらどっぷり睡眠につかり込んでいた。


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