classmates no delicacy

but nice people #1



「かーすが」


三階の踊り場から降ってきた声。
聞き慣れた声に足を止めると、かすかに甘い香りが鼻をくすぐった。
桃の香り。声なんか聞かなくたって、それだけで誰だか解ってしまう。
「南先輩?」
好んでこんな香りを漂わせているのは、校内広しと云えどもこのヒトしかいない。
確信のもとに名前を呼ぶと、手摺の陰からヒョイと人懐こい笑顔が現れた。
「あれ、なんで解った?」
わざわざ隠れてたのに、と南が小さく首を傾げてみせる。
「…なんでも何も」
学園祭前の貴重な準備期間をこんな所で費やすわけにはいかない。
厄介なヒトに捕まったな…。匡平がひそかに眉を顰めていると、急に飛んできた何かがピンポイントで匡平の額を弾いた。
「いてっ」
「おまえね、もうちょっと先輩に気を使いなさい」
「はあ?」
南の手元でガシャガシャとプラスチックケースが音を立てる。
足元に転がったピンク色の固形物。どうやら南お気に入りのピーチガムのようだ。まさかこんなモノを飛ばしてくるとは…。今日は相当ムシの居所が悪いらしい。
「顔中にでっかく"厄介なコトになった…"って書いてあんだよっ」
プウと片頬を膨らませて絵に描いたように南が拗ねる。まるで子供の拗ね方の見本のようなヘソの曲げ方だ。
このヒトの精神年齢は自分より下に違いない。常々そう思うのだが、実年齢としては南は匡平より二つ上だった。立派な現役受験生である。
これで東大確実とか云われてるんだから、世の中どっか間違ってるよな…。
たぶん、学校中の誰もがそう思っていることだろう。
「さあ、気の所為じゃないですか」
気のない調子で匡平が返すと、南が今度はニコリと世にも愛らしい笑みを浮かべてみせる。
「じゃあ、オマエいまから実行委員つきあえな? もうすぐ第三次の買い出し隊が出るから、五分後に事務局前集合。OK?」
火に油を注ぐとはまさにこのことだ。
「…スンマセン、すっげ迷惑なんですけど」
「正直でよろしい」
持っていたプリントの束で軽く頭を小突かれる。
そういえばこの人、なんかの役職の係長になってた気がする。補佐役で切敷サンあたりがちゃんとついてんだろうけど…。大丈夫なのか、こんなヒト係長にしといて。いまさらながら学園祭の今後を危ぶみたい気分に陥る。
「ところでオマエ、蓮科のヤロウどこ行ったか知んね?」
「蓮科、ですか?」
南の口から予想してた通りの台詞が飛び出してきて、匡平は思わず肩をすくめた。「さあ、俺もどこにいるか知らないんですよ」とさりげなく小首を傾げてみせる。
これで今日は八回目の「さあ」だ。
まったく、昼の時点でこれなのだから、もうじき懸賞金などがかけられてもおかしくないのではないか。半ば本気でそんな気がしてくる。
それまでにはどうにかしないとだよな…。
とりあえず両手で「お手上げ」のポーズを作ってみたりするが、ここで引き下がるような南ではない。可愛らしく整った顔立ちに深い疑念の色を浮かべて、ツンと形のいい唇を尖らせる。
「ゼッタイ嘘。んなの、春日が知らないワケがないじゃん」
「…ってみんな云うんですけどね、俺もいいかげん迷惑なんですよ。だいたいあの男、ガッコ自体きてるんスか?」
「バカ、そんな初歩的に恐ろしいことを云うなっ」
またペケっとプリント束で頭をはたかれる。この人はまったく…。
「とりあえず俺も探してるのは事実なんですって。先輩もアイツ見つけたら教えてくださいよ」
「ホントにホントかー?」
なおも疑わしそうな表情を浮かべる南だったが。

「あ…っ」

どうしたことか、急にその場にしゃがみこむといきなり悩ましげな声をあげた。
「せ、先輩?」
「やっべ、感じちゃった。携帯のバイブって意外に強烈」
胸ポケットから取り出した携帯の画面にしゃがみこんだまま真摯な視線を落とす。
「…………」
ホントに相変わらずだよ、このヒトは。
本人に自覚はないらしいが、南はこの学校でも1〜2を争う天然記念人物だ。
黙ってれば正統派美少年の顔立ちをしているのだが、言動が奇天烈なためにどうしてもそちらの印象の方が強くなってしまう。だが、例え奇行に走ろうとも、この顔立ちの可愛さのおかげで誰もが「憎めない」と思ってしまうのがまたスゴイところというか。加えて総代を務めてしまうほどに勉強はできる。恐ろしく特異なキャラクターの持ち主と云えよう。
「あーあ、キリシキが召集かけてら…メンドクサ。とりあえず俺は委員会戻っけど、春日もアイツ見つけたら速攻メールな」
どうやらこの困った先輩は、委員会にメールでコントロールされているらしい。
「いーけど俺、先輩のメアド知らない」
「ん。あとで空メール送っとく」
「は?」
立ち上がるなり、いきなり駆け出した背中に匡平は慌てて大声を投げた。
「つーか、なんで先輩が俺のアドレス知ってんのっ」
「それはヒミツだよーん」
振り返った南が可愛らしい顔立ちに花のような笑顔を浮かべてみせる。
うわー、可愛らしいったらありゃしない。
思わず目を奪われていると、コチラめがけて飛んでくる物体がいきなり視界に飛び込んできた。反射的に伸ばした掌の中で。
ガシャガシャとプラスチックケースが音を立てる。
「やるよソレ。さっきのちょっとヤツアタリ入ってたからっ。悪りっ!」
そのままソソクサと廊下を曲がった背中を見送る。
こーゆうところがホント憎めないんだよね。
パクっ、と押し開けた蓋の隙間から一粒取り出して口に放り込む。
甘いピーチの香り。
たぶん何年経っても、この香りを嗅ぐたびにあのヒトのことを思い出すんだろうな…。
そんなことを思いながら匡平は小走りに階段を下った。



簡素なプレートに印字された「カウンセラー室」の文字。
そのすぐ横あたりをノックすると、匡平はそっと扉を引き開けた。
教室の半分ぐらいの広さの部屋にソファーが二つ、窓際にはカーテンで仕切られた簡易ベッドが一つ置いてある。入ってすぐ右手には小さなキッチン。湯沸しポットのスイッチが切ってあるところを見ると、本来の主は不在なのだろう。それをイイコトに。
「なあ、オイ」
小さく呼びかけてカーテンをくぐると、ややしてベッドに横たわっていた背中がゆっくりこちらに向き直った。
熟睡していたのだろう。奥二重がハデな二重になって匡平を見つめていた。
「まだ眠そうだな」
「ああ、ぜんぜん寝足りねェ…。ほんと人使い荒すぎ、あのヒトら」
そう云いながらわき上がった欠伸を一つ噛み殺す。なら実行委員になどならなければいいものを。英嗣にしては珍しく、そのテの誘いから逃げ切れなかったらしい。
上半身を起こしてパイプによりかかる横顔にも、多少の疲労が浮かびはじめていた。
「南先輩まで探してたぜ、おまえのこと」
「ふうん、王子ならまだ平気かな。キングかクィーンが動いたらさすがに考える」
委員会設立一週間目にして、委員長の観月に「第一練習室」を暴かれた英嗣はその後この「カウンセラー室」を専ら隠れ家として活用していた。
ここまではまだ嗅ぎつけられていないらしい。それも時間の問題だとは思うが。
「このままだと今日は指名手配されんぜ」
「じゃあ、それまで気長に待とうかな」
「バカ、んな悠長なコト云ってんなよ。どうなっても知らねーぞ?」
ベッドサイドの丸椅子に腰かけて<、寝惚け面の視界に目線を合わせる。途端に伸びてきた腕に首筋を捕らわれて、匡平は倒れ込むようにシーツに片腕をついた。

「ん、ン…っ」

さんざん絡まされ、味わいつくした舌が出ていく頃には匡平はすっかり息が上がっていた。濡れた唇が、熱い咥内が、吸われた舌先が痺れてしょうがない…。
「甘いな」
英嗣の指先がそっと匡平の口元を拭った。
ただそれだけのことなのに、睫毛が小刻みに震えてしまう。
その反応に両目を細めると、英嗣は寄せた唇で匡平の耳元に囁きを落とした。
「ピーチ味のキスも悪くないよな」
「…アホかっ」
どうしてこのバカ男は、平然とそういうことを真顔で云えるのだろう。
匡平の理解に苦しむところである。
「とにかくっ、俺はもう行くぜ! クラスの準備もあるしな!」
「あれ行っちゃうの? 俺の計算ではこのままベッドに傾れ込むところだったんだけど」
「バカ云ってろ!」
英嗣のシャイな恋人は力いっぱいそう叫ぶと、カウンセラー室を飛び出して行った。
あんな、火のついた体でどうする気やら。
冗談でなくその気はあったので、英嗣も手は抜いていなかった。もちろんこちらも臨戦態勢だ。やれやれ。寝不足すると発情するクセ、いいかげん治さねーとな…。
掛け時計に一度目をやってから、英嗣は再びシーツに潜り込むと「平静」の二文字を脳裏に、冴えた目と意識とを仕方なく眠らせることにした。



メール召集でやむなく会議室に戻った南はそこにいたメンツを目にして、思い切りハデに眉を顰めた。
「そういう顔してるとクセになんぞ」
切敷の窘めるような声も届かないらしく、南はポケットから出したプラスチックケースに直接口をつけるとザラザラと大量のガム粒を口内に流し込んだ。甘い匂いが辺りに立ち込める。
「一種の病気だよな、そのお子様嗜好は」
倉貫のあからさまな揶揄を頭から無視して、南はそばにいた観月の袖口をつかんで揺すった。
「用件あんならさっさと云えよ、委員長」
「ハイよ、そう急かすなって。ホント仲悪りィよなー、おまえらって」
「放っとけ」
不機嫌な顔のまま切敷の背中に隠れると、南はようやくあの高圧的で不遜な倉貫の視線から逃れた。
観月がホワイトボードに何事かを書きつけ、いつもの調子で得意げに素っ頓狂なミーティングをはじめる。それをよそに南は切敷のシャツの裾をつかむと思い切り下に引っ張った。
「…何なの」
眼鏡の奥の瞳に呆れを浮かべて切敷が振り返る。
「なんでこんなメンツが揃ってんだよ」
「知るかよ」
くそ。アイツがいるって解ってたら、絶対こんなトコきやしなかったのに…。
血が出るほどに唇を噛み締めていると、律儀に見咎めた切敷がそれを指で制した。
「学習能力のないやつ」
ほらよ、と渡されたリップクリームを唇に塗り広げる。
合成っぽいストロベリーの香料とガムのピーチとが唇の表面で交じり合う。
なんとも云えない居心地の悪い風味が唇の隙間から口中に広がった。
「マズ…」
「文句云うな」
奪い返したリップクリームを切敷がポケットに戻す。
それを見ながら「やっぱり香料系はピーチに限るよな」などとボンヤリ考えていると、切敷がまたヒョイとこちらを振り返った。
「おまえ話、聞いてないだろ」
素直に頷くと、切敷は溜め息混じりに視線を前に戻した。
いまさらだが観月が何を話しているのか、南にはまるで見当もついていなかった。
一刻も早くこの場を離れたい。南の頭にあるのはさっきからそれだけだ。
早く終われ、早く終われ。
そう心で念じながら、南は切敷の背中に額を押し当てていた。
わき起こる笑い声。そっと向こう側を覗き込むと、倉貫が観月に何やら横槍を入れ、その横でくすくすと瀬戸が笑っているところだった。
だいたい倉貫も瀬戸内も委員じゃないくせに、なんでこんなトコにいるんだよ…。
また無意識に唇を噛み締めそうになって、下唇のリップクリームを前歯の裏で削り取ってしまう。
ベタついた感触。
作られたストロベリーの香り。
ニセモノの代表選手みたいなその風味に思わず顔を顰めていると、急にその会議の中心部から南に白羽の矢が立てられた。
「ってことで南、機材にサポートで倉貫入れっから。悪いけど仲良くやってよね」
「ぜったい無理」
「ウン。無理でも何でもやって?」
「百パー不可能」
「そ。なら倉貫、おまえ今日から不可能を可能にする男ね、これキャッチコピーでよろしく」
観月の軽口で話が締められる。
どうやらミーティングはこれで終わりのようだ。それぞれがまた校内に散りはじめる。一人減り、二人減り。倉貫の視線が真っ直ぐに自分の姿を捉えた。薄い唇にあざとい笑みが浮かぶ。途端、大声でわめき散らしたい衝動に駆られた。
「こっちこいよ、南」
差し出された掌を軽蔑の眼差しで貫く。
倉貫の隣りで瀬戸がまたクスリと口元を笑わせた。
「怖くないからおいでってんだよ、子猫ちゃん?」
そう云って倉貫が一歩近づいてくる。南は慎重に一歩、退いた。
「いっぺん死んでこいよ」
「そう警戒すんなって。な、痛くしないって誓うからさ。優しくしてやるよ」
「…俺に近づくな」
「いや、そうもいかねーみたいだぜ?」
大きく踏み出した倉貫が、たったの二歩で南の目前に迫る。すかさず伸ばされた手が触れるよりも早く、南は全速力でその場を駆け出していた。



ネコのように走り去った背中を見送り、観月が「あーあ」と首の後ろに手をやった。
「いまのはイジめ過ぎでしょう」
「そうか?」
悪びれた様子のない口元には相変わらず不遜な笑みが浮かんでいる。
「切敷もなんか云ってやんなよ。南チャン、さすがにいまのは気の毒じゃなかった?」
「さあ。本人同士の問題だろ」
「うっわ、冷た。このヒト絶対、血の色ミドリ。間違いないよ」
自分で云っといてゲラゲラと笑い転げる観月には一切構わず、切敷もすぐに会議室を後にした。観月と倉貫と、瀬戸内。けっきょく最後まで残ったいつものメンツに苦笑しながら、瀬戸内が倉貫の顔をヒョイと覗き込んだ。
「お昼、何食べようか」
「この時間じゃ食堂バカ混みだぜ?」
「んじゃ、草月チャンに頼んで一緒に出前でも取ってもらうか」
昨日、理科研の矢沢にスシを取らせた腕前を持つ倉貫の一言に観月はニヤリと頬を歪めた。
「いいんじゃねェの?」


かくして高三ならではの裏ワザを行使するため。
三人は連れ立って会議室を後にした。


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