アンチテーゼ #1



God only knows where we go.
僕らがどこへ行くのか、それは神のみぞ知る



「かーすが」
三階の階段から見下ろした廊下。その先に見慣れた後輩の頭を見つけて、南はヒトコト声をかけるとすぐさま手摺りの後ろに華奢な背を隠した。さー悩むがいい。そして探し回りたまえ! 内心ほくそ笑みながら後輩の反応を待つ。けれど逡巡の欠片もなく。
「南先輩?」
ソッコーで見破られて南は細い肩をガクリと落とした。
つーか即答じゃん。隠れてた意味ナッシング。何、ソレってば超能力? オマエ、スプーンとか曲げちゃうクチかよ。アメージング。
「あれー、なんで解ったー?」
「…なんでも何も」
本気でシックスセンスを疑いつつ覗いた先、後輩が複雑な顔でこちらを見返しているのが見えた。その顔にデカデカと書いてある文字が目に痛い。あーそう。そーゆ顔するんだ? ならそれ相応の覚悟はできてるんだろーな?
掌にあった粒ガムでピンポイント、白い額のど真ん中を狙ってやる。このテの照準には我ながらカッコイイぐらい自信がある。ほら命中。
「いてっ」
「おまえね、もうちょっと先輩に気を使いなさい」
「はあ?」
ポケットから満タンのプラスチックケースを取り出す。振ると返ってくるこの小気味いい音。聞こえたか? 後続弾にはぜんぜん不自由してないんだぞ? おまけにポケツトにはもう一つのケースが手付かずで入っている。
「顔中にでっかく『厄介なコトになった…』って書いてあんだよっ」
ホントウに可愛くないったら! オマエ、自分ちょっと美人だと思って調子ン乗ってんじゃないの? 頭の中で饒舌に罵る自分を僅かばかりの理性で抑え込んでおく。さすがにそこまでは云わないけどね。カスガには悪いけどヤツ当たりの自覚充分だから。でもこの後輩が時に可愛くないのはホントウのこと。南は片頬を膨らませると、ジトリと小憎らしい頭を踊り場から見下ろした。
「さあ、気の所為じゃないですか?」
オ・マ・エ、軽くあしらおうとしてるだろー? 仮にも先輩にどういう態度だ。最近の高一ほんっとシツケ悪過ぎ。そーはいかないんだっつーの。拗ね顔から一転、自分の中でも花丸百点満点に近い笑顔を浮かべてやると、南はとっておきの猫撫で声で喉を鳴らした。
「じゃ、オマエいまから実行委員つきあえな? もうすぐ第三次の買い出し隊出るから五分後に事務局前集合、OK?」
「…スンマセン、すっげ迷惑なんですけど」
「正直でよろしい」
最初からそう云えばいーんだよ、オバカサン。踊り場から一段抜かしで一気に下まで降りると、南は持ってたプリントの束で軽く生意気頭にヤキを入れておいた。自分だけが被害者だとか思ってんなよ。
学園祭当日まですでに三日を切ってる現状。
最後だからという理由でウッカリ実行委員になど名を連ねてみたのだが、さすがは行事の中でも悪名高き学園祭だ。休み後の僅かな時間で最大限のイベントを用意しなければならないという命題は南の想像をはるかに超えて難題、かつ重労働だった。いつもならイチ抜けたで済むところも、係長を引き受けてしまったからにはそーゆうわけにもいかない。オマエも忙しい身なんだろーケドさ、それはこっちも同じコト。
「ところでオマエ、蓮科のヤロウどこ行ったか知んね?」
「蓮科、ですか?」
朝っぱらから随分な人数で捜索しているにも関わらず、一向に見つかる気配のないもう一人の後輩。昼過ぎには懸賞金がつくのではないかというもっぱらの予測を通り越して、委員会はもっと卑劣な手段を講じているのを南は知っている。出来ればその前に捕まえたいんだけど。つーか、彼氏の居所ぐらい把握してるよな? モチロンのことだよな? さー吐け。吐いてしまえ!
「さあ、俺もどこにいるか知らないんですよ」
なーんて嘘には騙されません。このコ、こんな顔してわりとサラリと嘘つくからね。油断ならない。肩を竦めるお手上げポーズが板についてるあたり、この質疑応答の重複振りが窺える。けれどココで引き下がるわけにはいかない。
「ゼッタイ嘘。んなの、春日が知らないワケがないじゃん」
「…ってみんな云うんですけどね、俺もいいかげん迷惑なんですよ。だいたいあの男、ガッコ自体きてるんスか?」
「バカ! そんな初歩的に恐ろしいことを云うなっ」
ぺけっ、と間抜けな効果音が響く。あまりに不吉な発言に思わずプリントが空を切ってた。
「とりあえず俺も探してるのは事実なんですってば! 先輩もアイツ見つけたら教えてくださいよ」
「ホントにホントかー?」
つーか嘘なんでしょ? ホントは知ってんでしょ、あのバカオトコの行方を? アレがいないと進まない話がいくつかあるのだ。そこまで関わっておいていまさらトンズラとはどういう了見だよ。しかし、なおも追及を続けようとしたところで。
「あ…っ」
胸元を襲った、突然の振動。
悩ましい声を上げてしゃがみ込んだ南に、後輩の不審気な眼差しが注がれた。
「…先輩?」
「やっべ、感じちゃった。携帯のバイブって意外に強烈」
胸ポケットから出した携帯の着信情報を手早く調べる。ビリビリとした痺れがまだ末端部にまとわりついてるようだ。あービックリした。携帯バイブめ、侮りがたし。
「うわ。召集かけられてら…メンドクサ」
ここ数日、携帯を鳴らすコールもメールも笑っちゃうぐらい碌なものがなくて、液晶に表示された名前は予想通りお世辞にも有り難いものではなかった。軽い嘆息で尖らせた口元に、明らかな憔悴を浮かべてしばし考える。これシカトしたら怒るよな、怒り狂うよなー。後々のメンドウを考えれば顔だけでも出しとくのが最善のテ。しょーがないよね。
「とりあえず俺は委員会戻っけど、春日もアイツ見つけたら速攻メールな」
「いーけど俺、先輩のメアド知らない」
「ん。あとで空メール送っとく」
「は?」
立ち上がるやいなや、走り出した南の背中を素っ頓狂な大声が追いかけてきた。
「つーか、なんで先輩が俺のアドレス知ってんのっ」
「それはヒミツだよーん」
ぶっちゃけオマエの彼氏情報なんだけどね。振り返った先に笑顔二百点満点を送ってから、南は持ってたプラスチックケースを思いっ切り後方に放り投げた。ほら、ナイスコントロール。それが後輩の手に無事収まったのを確認してから。
「やるよソレ。さっきのちょっとヤツアタリ入ってたからっ。悪りっ!」
軽く舌先を見せると南はそのまま廊下の角を曲がった。



「…何このメンツ」
メール召集でやむなく戻った会議室において。そこにいたアリエナイ面々を前に南は思い切り派手に眉を顰めた。
「そういう顔してるとクセになんぞ」
切敷の窘め口調なんて初めから耳に入れる気ないし。ポケットから出した予備のプラスチックケースに直接口をつけると、南はザラザラと大量のガム粒を口内に流し込んだ。甘い桃の匂いが辺りに立ち込める。
「一種の病気だよな、そのお子サマ嗜好は」
倉貫のあからさまな揶揄も頭から無視。南はそばにいた観月の袖口をつかむと乱暴に揺すった。
「用件あんならさっさと云えよ、委員長」
「ハイよ、そう急かすなって。ホント仲悪りィよなー、おまえらって」
「放っとけ」
不機嫌顔のまま切敷の背中に隠れると、南はようやくあの高圧的で不遜な倉貫の視線から逃れた。
観月がホワイトボードに何事かを書きつけ、いつもの調子で得意げに的外れなミーティングをはじめる。それをよそに切敷のシャツの裾をつかむと、南はそれを思い切り下に引っ張った。
「…何なの」
眼鏡の奥の瞳に呆れを浮かべて切敷が振り返る。
「なんでこんなメンツが揃ってんだよ」
「知るかよ」
くそ。アイツがいるって解ってたら、絶対こんなトコきやしなかったのに…。血が出るほどに唇を噛み締めていると、律儀に見咎めた切敷がそれを指で制した。
「学習能力のないやつ」
ほらよ、と渡されたリップクリームを唇に塗り広げる。合成っぽいストロベリーの香料とガムのピーチとが唇の表面で交じり合う。なんとも云えない居心地の悪い風味が唇の隙間から口中に広がった。
「マズ…」
「文句云うな」
奪い返したリップクリームを切敷がポケットに戻す。それを見ながら「やっぱり香料系はピーチに限るよな」などとボンヤリ考えていると、切敷がまたヒョイとこちらを振り返った。
「おまえ話、聞いてないだろ」
素直に頷くと、切敷は溜め息混じりに視線を前に戻した。いまさらだが観月が何を話しているのか、南にはまるで見当もついていなかった。必要があれば切敷が覚えてるハズだし。
一刻も早くこの場を離れたい。南の頭にあるのはさっきからそれだけだ。早く終われ、早く終われ。そう心で念じながら、南は切敷の背中に額を押し当てていた。
わき起こる笑い声。そっと向こう側を覗き込むと、倉貫が観月に何やら横槍を入れ、その横でくすくすと瀬戸内が笑っているところだった。だいたい倉貫も瀬戸内も委員じゃないくせに、なんでこんなトコにいるんだよ…。また無意識に唇を噛み締めそうになって、下唇のリップクリームを前歯の裏で削り取ってしまう。ベタついた感触。作られたストロベリーの香り。ニセモノの代表選手みたいなその風味に思わず顔を顰めていると、急にその会議の中心部から南に白羽の矢が立てられた。
「ってことで南、機材にサポートで倉貫入れっから。悪いけど仲良くやってよね」
「ぜったい無理」
「ウン。無理でも何でもやって?」
「百パー不可能」
「そ。なら倉貫、おまえ今日から不可能を可能にする男ね、これキャッチコピーでよろしく」
「なんだそりゃ」
観月の軽口で話が締められる。どうやらミーティングはこれで終わりのようだ。それぞれがまた校内に散りはじめる。一人減り、二人減り。倉貫の視線が真っ直ぐに自分の姿を捉えた。薄い唇にあざとい笑みが浮かぶ。途端、大声でわめき散らしたい衝動に駆られた。
「こっちこいよ、南」
差し出された掌を軽蔑の眼差しで貫く。倉貫の隣りで瀬戸内がまたクスリと口元を笑わせた。
「怖くないからおいでってんだよ、子猫ちゃん?」
そう云って倉貫が一歩近づいてくる。南は慎重に一歩、退いた。
「いっぺん死んでこいよ」
「そう警戒すんなって。な、痛くしないって誓うからさ。優しくしてやるよ」
「…俺に近づくな」
「いや、そうもいかねーみたいだぜ?」
大きく踏み出した倉貫が、たったの二歩で南の目前に迫る。すかさず伸ばされた手が触れるよりも早く、南は全速力でその場を駆け出していた。



ネコのように走り去った背中を見送り、観月が「あーあ」と首の後ろに手をやる。
「いまのはイジめ過ぎでしょう」
「そうか?」
悪びれた様子のない口元には相変わらず不遜な笑みが浮かんでいる。
「切敷もなんか云ってやんなよ。南チャン、さすがにいまのは気の毒じゃなかった?」
「さあ。本人同士の問題だろ」
「うっわ冷た。このヒト絶対血の色ミドリ!間違いないね」
自分で云っといてゲラゲラと笑い転げる観月には一切構わず、切敷もすぐに会議室を後にした。
観月と倉貫と、瀬戸内。けっきょく最後まで残ったいつものメンツに苦笑しながら瀬戸内が倉貫の顔をヒョイと覗き込んだ。
「お昼、何食べようか」
「この時間じゃ食堂バカ混みだぜ?」
「じゃ、草月チャンに頼んで一緒に出前でも取ってもらう?」
昨日、化学教師の矢沢にスシを取らせた腕前を持つ倉貫の一言に観月はニヤリと頬を歪めた。
「いいんじゃねェの?」
かくして高三ならではの裏ワザを行使するため、三人は連れ立って会議室を後にした。


( >> / next



back #