借りを作りたくない友人



 なに考えてやがんだ、このクソガキは…。


 ダウンした和泉をかかえて俺は半ば途方に暮れていた。
 人気のない祠の前。和泉が意識を手放してもう数分が経とうとしている。
 両腕にかかる現実的な重み。
 それは詐欺的な容姿から受ける印象よりは少し重く、和泉が男だということを再認識させてくれる。とはいえ、男にしては相当軽い部類だろうが。
「…ったく」
 仕方なくポケットに突っ込んどいた携帯のメモリを呼び出す。
 十コールを超えても案の定、通話は留守電にも切り替わりゃしない。いつものことだ。呼び出し音が続く携帯をふたたびポケットに戻すと、俺は腕にもたれるようにして気を失っている和泉をかかえ直した。熱い体。俯いた首筋の白さが思いがけないなまめかしさを演出していて、不覚にも心臓が不穏な音をたてた。
「やれやれ…」
 あんな夢さえ見なければ。
 手近な岩に腰掛けたまま和泉の細身を腕に横たわらせる。その拍子に細い顎が持ちあがり、無防備な横顔が露わになった。
 記憶の中の気絶した和泉と、重なり合うイメージ。
 極度の快感と苦痛で苛め抜いて、その果てに気を失った和泉がいまこの腕の中にいるという…。バカらしく魅力的な錯覚。
 その幻惑を掻き消すように、ポケットの中から恐ろしく冷めた声が響いた。
「…何の用だ、いったい」
 全部で何コールしたことか。ようやく向こうが諦めたようだ。
 素っ気無い、冷めた物言い。
 新年早々これを聞くことになるとは夢にも思わなかった。携帯の向こうで憮然としてる様が目に見えるようだ。
「ああ。悪リィんだけど、いまから車まわしてもらえねェ?」
「悪いと思ってるのなら最初から頼むな」
「だからそう前置きしたろ。他にあてがあれば誰もテメーになんざ電話しねーよ」
 渋る氷室を口説き落とし、どうにか家までの足を確保する。
 とてもじゃないが和泉を抱えて電車で帰るような気力は、俺の中のどこにも、1グラムも存在しなかった。
 和泉を肩に抱えあげ、目印の児童公園まで行くとベンチに座った。病人を抱えて寒空の下で待つと云うのは得策ではないが、このまま和泉を抱えてどこかの店に入れば間違いなくいらぬ注目を掃いて捨てるほど受けることになる。新年早々、見世物になる気はさらさらない。
 コートやマフラーで着膨れているくせに和泉の体は冷たい。
 気絶しているというよりはどちらかというと熟睡といった感じだ。マフラーを口元まで引き上げてやろうとして、その唇の震えに気づく。いつもの色を失い、わずかに紫色を帯びてきている。指で触れる。冷たい唇。
 なんでコイツ、こんなになってまで来てんだよ。
 おかげでこっちは大迷惑だ。
 仕方なく膝の上にあげ抱きすくめるようにして自身のコートで和泉を包んだ。人通りがなくて幸いだった。
 腕にかかえると和泉の質感がより、リアルになる。赤茶けた猫っ毛が顎をくすぐる。柔らかい髪の感触と、和泉の匂い。コートの中で温もり、あたたかくなった体温がジワリジワリと腕にしみてくる。

 ヤバイな、これは…。
 心地よい重みと温もり。手放すのが惜しくなるような。

 早くきやがれ、氷室っ。
 その念が通じたかのように直後に後ろから冷めた声がかかった。
「俺をアシに使うとはいい度胸だな」
 切れ長の双眸に思い切り「迷惑」の二文字を覗かせて眉をひそめた氷室がざかざかと砂を蹴り上げベンチの前に回ってくる。年末よりも髪の色が薄くなったような気がするのは気の所為か。白木に負けず劣らず白い髪。しかも目の色が緑色になっている。たしか、最後に会った時は淡青だったっけか。そういうヤツだ。
「非常事態だ。許せ」
「何を抱えてる?」
 氷室の興味が和泉へと移る。俺の体温でようやく色を取り戻した唇があえかに息を継ぎ、白い頬には赤みが差しかけていた。口を開くと外見とのギャップに気を取られどうしても疎かになる印象が、意識がない分全開で人に訴えかけていく。
「ああ。最近、おまえがトチ狂ってるじゃじゃ馬か…」
「人聞き悪りィな、オイ」
 氷室を選んだのは正解だろう。和泉を腕に、俺はベンチを立ちあがった。
 無闇に高級そうな車の後部座席に乗り込み、横たわらせた和泉の頭を膝に乗せる。
 これは単に寝てるだけだな、コイツ…。
 スースーと寝息をたててる和泉を思わず車から蹴り落としてやりたくなる。
「おまえが俺を選んだ理由、解った気がする」
 ボソリと氷室が呟いた。近所のクルマ持ちなど他にいくらでもいる。だが安西でも近江でもなく、氷室を呼んだ理由。
「俺は女専門だからな」
 そう云って唇の片端をあげる。
 まぁ意志の弱い無節操な輩よりは、いちおうはポリシーのあるタラシの氷室のが場数踏んでる分、免疫あるだろうと予測してのことだ。何か云ってやろうかと思ったが面倒くさいのでヤメた。一時期はこの氷室と張るくらい、年上の女を食い散らかしてた俺がいまさら何を云うってんだ。
「ココでいいのか?」
 和泉の家など知るはずもない。揺り起こしてもまったく起きる気配のない和泉をあきらめ、俺は自分のアパート前に車を止めさせた。
「悪かったな。この借りはいつか返すから」
「相当でかいぞ、この借りは」
 車から和泉を担ぎ出し、肩に抱え上げる。ライターの音。背後で車によりかかり煙草に火をつけていた氷室が思いついたように口を開いた。
「ああ、今度ソレ貸してくんない? 男にも欲情するか、ぜひ試してみたい」
「ふざけんな」
「興味深い事柄なんだがなァ…」
 口元を薄く笑わせたまま氷室が車に乗り込む。その背中を見送った。
「今度の課題、俺がメインでいくから」
「あ?」
「口止め料だよ」
 ハハッと笑い、氷室は車を緩やかに発進させた。
 少し先の角を曲がり、すぐに緑色の車体は見えなくなった。
「……ま、仕方ねーか」
 あきらめるには惜しいポジションだったが、これも致し方ない。
 この借りはデケーぞ、和泉…。俺は溜め息をつくと和泉をかかえ階段を昇った。
 コートを脱がせ、一組しかない布団に和泉を横たわらせる。すっかり顔色は健康的になってたが熱はまだ高い。もしかして看病するのか、この俺が?
 手始めに濡らしたタオルを額に乗せ、家に置いてあった薬箱を引っくり返した。頭痛薬が数錠と胃薬しかない。余分な金なんかねーっつうの。あとでどっかでカゼ薬をもらってくるか…。一通り手を尽くし、ソファーに座る。どっと疲れが押しよせてきた。
 やってらんねー。足元で幸せそうに眠りこけてる和泉をまたも蹴り出したくなる衝動を抑える。この借りをどうやって返してもらおうか。
 本当に、氷室ンとこに里子にでも出してやろーか。あいつ見た目通りヘンタイだからな、何をされることやら…。
「…………」
 氷室の腕の中で泣く和泉を想像し、俺は自分の内の下らない嫉妬に火をつけてしまった。ホント、やってらんねェ…。
 静かな部屋の中に和泉の寝息だけが規則正しく、ひそやかに響いている。
 無防備な顔を間近で眺める。
 伏せられた睫毛。ポヤンと開かれた唇。投げ出された指の細さ。
 オイオイ。なんなんだ、この充足感は…。
 妙に腹立たしくなり、俺は和泉の唇を数秒ふさいでみた。しっとりとした感触。その感触に呑まれそうになり、俺は眉をしかめ唇を外した。
 食らいつきたい欲望。
 このまま無残に花を散らしたい衝動。と同時に、この眠りをゆっくり見守りたいという庇護的感情。
「頭、冷やしてくるか…」
 やや勝る加虐的な心を胸に立ちあがる。だがそれを阻むように、何かがクンっと俺の服を引っ張った。和泉の指が俺のセーターの裾をつかんでいる。
 起きてるのか、コイツ?
 相変わらず規則正しい寝息が続いているが。
 わざともう一度、唇を合わせてみる。
 今度は和泉の体にわずかに反応があった。唇の隙間から意地悪く舌を差し入れ、歯列を割ってやる。
 甘い感触。これも罠か? まあ、別にどっちでもいいか。
 唇を離すとさっきより上気した頬が色づき、薄い胸が軽く上下している。
 きっと今年も、コイツとこうして交戦を続ける日々が続くのだろう。その予感がなかなかに心地よく胸に広がる。
 俺はソファーを背に服をつかむ指を外させると、それを掌で包み込んだ。
 心なしか溜め息も軽いような…。
 いやそれはきっと、俺の思い過ごしというものだろう。


end


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