ファーストフード
↓
「背徳」ってこういうコトをいうのかなって
あの時、ぼんやり考えてた。
おまえにキスしながら。
「お願いします。ツーパティ・フィッシュ・Sポ、イートで入ります」
「はい、通りました」
(→ PM 22:50)
この「お願いします」って云う時の、和泉の声はけっこうヤバい。
なんか違うシチュエーシュンを思い起こさせる気がして。
「なァ、今日って忙しくねェ?」
「平日の割には、ナ」
「さっきの時間帯別見た? 22時台、すでにイチマンゴセンいってんの。も、マジ勘弁してって感じ」
「無駄口はいいからさっさとパッキングしろよ。ほら、ファーストアップ」
「はァーい、っと」
わざと素っ気無く云ってやると、ふて腐れた子供のような返事をかえす。
おまえホントに19か? ってたまに聞きたくなる。…いや、しょっちゅうか。
溜まったオーダー表通り、上がったバーガー類をカゴに入れていく。
「42番でお待ちのお客サマ。お待たせいたしましたァ」
フロアに営業用のカワイコぶった和泉の声が響く。
これはあんましいただけない。やっぱりバイト開始直後あたりの、慣れない感じの「お願いします」が一番ヨカッタ。
和泉はとにかく顔がカワイイ。
その上、それに似合った容姿・雰囲気の持ち主でもある。
ふんわりと甘い砂糖菓子のようなイメージ。
はじめてここで会った時も、誇張じゃなくて本当に女のコがきたんだと思ってた。俺だけじゃなく店中の誰もがそう思ってたコトだろう。
まだ変声期前? ってなあの声じゃ喋ったところで、オトコだなんて誰も思わねーし。
「サードもアップ、っと」
バーガーを手早く包み、カゴに入れる。
これですべてのオーダーがアップしたことになる。
『ちなみに俺、男ですから』
そう云って、いきなりTシャツをまくり上げた時には、さすがの俺もビックリした。
バイト連中の顔に一斉に落胆の色が浮かんだのは、いうまでもない。
手が空いた所で、セッター台下の冷蔵庫の補充具合を確認する。スライスオニオンがあと1バットしかない。まったく、新しく増えたソースやら何やらで冷蔵庫内はひどく乱雑だ。いいかげん、新商品増やすのやめてくんないもんかね。いまだに覚えきれず、調理に回すとパニック起こすヤツがひとりいてさ。結局、尻拭いはこっちの仕事なのだ。いまフロアで愛想ふりまいてるヤツな。
接客向きだとは思うケド、少なくともここのバイトには向いてないと思う。調理・接客どちらもやらされるここの業務には合わないのだ。手際悪いというか要領悪いというか。
「セカンドとサードもアップしてンだけど?」
「あ、ワリ」
こーゆうわざとやってる部分ってのがあるにしても、だ。
それ以前に人にやってもらうコトに慣れ過ぎてンだ、アイツは。あの容姿でかなりチヤホヤされる人生送ってきたんだろーけど。
そーゆうヤツ、ヘコますのって実はかなり得意。
そう、最初はそのつもりだったんだ。
なのに、いつのまにかソレだけじゃなくなってた。まんまとヤられた自分に、なにより腹が立つ。
アイツの無意識の誘惑にいつのまにか引っかかってた。理不尽な憤り。
「いらっしゃいませェ」
まーた愛想ふりまいてやがる。
これも精神衛生上、非常に悪いのだ。結局は調理にしても接客にしても、俺がムカつくことにゃ変わりないってワケ。
早くこんなバイトやめちまえ。
いつも云ってるのに、アイツはやめない。アイツがやめたらアイツと俺との接点は皆無になる。
「やたらと愛想ふりまくなヨ、和泉」
「なんで?」
「ウザいから」
こう云うと、よけいムキになるんだよなコイツ。ガキだから。
ほんとに俺と同い年?
だから目が離せねーんだヨ。
「えーと、お願いします。サンド・パティ・ナゲ、イートで入ります」
「はい通りました」
すれ違いざま、わざと耳元で云ってやった。
元々ポーカーフェイスができるほど器用なヤツじゃない。
筋金入りの意地っ張りだが、直後の反応は素直に顔に出る。
一瞬の、この顔がたまらないんだ。
熱に浮かされたような顔。
もっといじめたくなる。冷たくして、突き放して、貶めてみたくなる。
湧き起こる衝動。
その半面、死ぬほど甘やかしてみたくなったり。
泣くほど優しくしてみたくなったり。
これは何の作用なんだ?
もし、アイツに感染したんだとすれば。
これはもうすでに。
末期症状。
(→ PM 23:20)
「いまのうちにシェイクメンテ入るワ、俺」
「あー、よろしく」
深夜勤は二人しかいないから、一人がメンテにかかり出すとその間はもう一人が「一人営業」をするハメに陥る。当然混めば、シャレになんない事態になる。
とは云え、要は慣れの問題なのだ。要領さえつかんでしまえば、別にどうということはない。半年もやってれば出来るようになる芸当の一つだ。まあ、半年経っても回せないヤツもいるけど。誰か、なんて云わずもがな。
「二十分で終わらせろよ」
「ハン。楽勝」
「ばーか。十五分切んなきゃ一人前じゃねーんだよ」
通常シェイクメンテは、器具の消毒時間を十分取ったとしても二十分以内に終わらせなければ当然その後の営業に支障が出てくる。和泉が二十分を切れるようになったのはつい最近のコトだった。
飽きやすい性格に加えて、俺を煩わせるのが心底楽しいらしいコイツに、これ以上の上達は望めないようだ。
23時台に終わらせておくべき細かいメンテを済ませてしまえば、あとは客がこない限りやることもない。ドリンク棚に凭れると俺は『展望ポイント』についた。
「なァ」
「んあ?」
制服を着ているというより、着られているといった風情の華奢な身体が、せかせかとシンクの前で動いている。同じオトコとは思えないくらいに、細い腰。
少し赤みがかった髪に色白の肌がよく似合っている。
「こないだの、飲み会でサァ」
「先週の?」
「そ。なんか最後の方とか全然キオクねーんだけど。俺、ヤバイコトとかしなかった?」
「ヤバイことー?」
寝てるアイツにキスして。
それから服に手をかけて…。わざとそこでヤメてみた。
「いつから記憶ねーの?」
「三次会行ったあたりから、かな」
「マジで全然覚えてない?」
「ああ、もうまるっきり」
一瞬、不審気な色を目に湛え、唇の片端をくっと上げる。
覚えてるナ。ハメられたと思ってんだろ?
確かに策略は策略だ。でもおまえの為でもあったんだぜ?
「んー、悪りィな。俺も潰れてたから全然、覚えてねーや」
「そうか?」
マネージャーの中澤がオマエ狙いだったの、解ってんのかよ。
アイツ、奇麗なヤツなら男女問わずなんだよ。いままで何人も被害に合ったヤツ見てきたし。かくいう俺も引っ掛けられた。まあ、いい社会勉強になったケド。
恋は先手必勝。
ゲームは先手が命なんだよ。
「あれ? じゃあ俺、なんでオマエん家にいたの?」
「さあなァ。勝手についてきたんじゃねェの?」
ほんとサイアク。と、顔にデカデカと書いてある。素直なヤツ。
それに売られたケンカは律儀に買う主義なんだろ?
計画通りだ。防御線のおかげで、中澤には気づきもせず終わるだろう。
ゲームは始まったばかり。
いまの所、一歩半は俺のリードだ。
(→ PM 23:30)
「松下って、松下佑輔ー?」
素っ頓狂な声が上がって、見るとレジカウンターの前で短髪の女が笑い転げてる所だった。
「あ? 白木じゃん。何だよ、どこ帰りだよ、オマエ?」
白に近い金髪に抜いたベリーショート。
専門の隣りの科の、『たぶん』オンナ友達だ。
「アタシ、この裏のビデオ屋でバイトしてんのよ。したらそのバイト先のコがさ、ここの木曜の深夜バイトの子が超イイから見てこいってウルサいのね。もう超カッコイイ子と超カワイイ子がセットなんだって。熱く語ってくれるのよ、コレが」
「で、来たら俺がいたって?」
「そーゆコト。もーかなりウケたわ。久々の大ヒット!」
白木は酒が入ってなくても笑い上戸だ。カウンターに手をつき、一通り笑い終えるとおもむろにカバンからサイフを取り出した。
「はー悪い悪い、お騒がせしました。お詫びに何か買ってくワ。オススメはなに?」
さっぱりした容姿に見合い、白木は実にこざっぱりとした性格をしている。
オトコ友達に分類できるのではないかと本気で思うくらい、付き合いやすい。
「特にナイ」
「アンタ、店員がそんなコト云っていいの?」
「じゃあこれ。コカ・コーラ」
「アハハ。どこでも買えるって! じゃね、これ。ホイコーロー」
「回鍋肉だな。絶対だな」
「作ってくれんなら買うわよ。コーヒーシェイクにするワ」
「サイズは、SとMとございますが?」
「Mでお願いします」
「それではお会計の方、231円になります」
「はーい」
細かい小銭を俺に渡しながら、ひょいと白木が左手を覗き込んだ。
シェイクメンテ中の和泉の背中が見える。
「ねェ、ボウヤが超かわいい子ー?」
いきなりのボウヤ呼ばわりに案の定、和泉が不機嫌そうな顔で振りかえる。
「うっわ。まじでカワイイ。でも、性格悪そう」
「ハハッ」
まさにその通り。
白木の物云いに和泉は一瞬、ポカンと口を開けてそれから急に吹き出した。
「スゲェ。云わねーよ、普通」
「そう?」
「でも大当たり。俺性格、チョー悪いもん」
「アタシもかなりよ?」
「んなの、一目瞭然じゃん」
白木がまた爆笑する。これは、ツボにハマったかな。元々、白木の好きそうなタイプだ。等身大バービーフェチには打ってつけかもしれない。
「いいキャラしてるわー。気に入った。今度ねーさんが奢っちゃる」
「まじ? ラッキー」
和泉が女装させられる日もそう遠くないだろう。
カウンターに軽く身を乗り出して、白木が出来あがったシェイクを受け取りながら小声で囁いた。
「今度はアレ?」
「何のハナシだ」
「従順タイプにはもう飽きたんでしょ。じゃじゃ馬ならしも、ラクじゃないわよ」
「バーカ。それが醍醐味なんだろ」
思わず笑みが零れる。シンクの方を見ると和泉もこちらの方を向いていた。
目が合う。
そして一度、瞬きしてから三秒間。
俺はアイツに釘付けになっていた。
「あーらら」
「ハハっ」
今のは久し振りに背筋にキた。
白木が口紅を歪ませて笑う。
「調教経過、聞かせてね。楽しみにしてるワ」
「乞うご期待、ってトコロかな」
まったく。白木を、オトコ友達にもただのオンナ友達にも分類できないのは、ある意味自分たちは同志だからだ。
底意地の悪さでは俺にも引けを取らない。
根っこの所で感覚を共有できるのだ。
「じゃーネ」
和泉に軽くキスを投げて、白木は上機嫌に店を出て行った。
「終わったぜ」
云われて振り向くと、ひょいと顔を覗かした和泉がフロアの時計に目をやった。
23:47。和泉にしては及第点か。
「ちぇー」
「残念だったナ。半人前」
シェイクメンテが終わったからには、片付けなければならない後ろメンテが山ほど残っている。営業終了まであと一時間と少しだ。
「いらっしゃいませェ」
背中越しに愛想だけはイイ、和泉の声が響いた。
(→ AM 0:55)
「もう店、閉めるか?」
ドリンク台でカップの蓋を補充しながら和泉がかったるげに口を開いた。
後半三十分、ガラ空きだったおかげで後ろメンテはほとんどが終わっている。
「ああ。オマエの判断に任せる」
途端に和泉が顔をしかめる。なんだ、意図は解ったか。
十秒くらい考えてから、和泉は大人しく用具室に向かった。自動ドアをくぐり外に出る。シャッターを下ろす音に紛れて。
「い…って」
小さく声が聞こえた。
ケガでもしたか。急に静かになって、しばらくしてから和泉がフロアに戻ってきた。
右手をポケットに入れ、そのままカウンターの横を通り過ぎようとする。
「なに隠してんだよ」
「別に」
「何? 恐くて見せられない?」
即座に出された右手をつかむとグッと固定する。
「血ィ、出てんじゃん」
「舐めときゃ治るよ」
「ホントに?」
「放っとけって、俺の傷だぜ」
「悪いけど、人の傷いじるの俺の趣味」
「な…っ」
アイツが取り返そうとするより早く、つかんだそれを口元に持って行く。
間近で、濃い血の匂いがした。
「スッパリ切れてるな。痛そー」
「…………」
云いながら顔を近づけると、血だらけの指を口に含んだ。
アイツの身体がビクンと跳ねる。
伏せてた視線を上げると、アイツの片目がゆっくり眇められていく所だった。
舌先で傷口をなぞるようにする。ジンと舌が痺れる。つかんだ指先が小さく震えた。
目を合わせたまま、ゆっくりと舌先で鉄分を味わう。
アイツは目を逸らそうとしない。
俺も目を逸らさない。
舐る舌。甘噛みする歯、吸い出す唇。
じわじわと歯列にまで血の味がしみていく。
「イタ…っ」
最後に一度だけ声を上げさせて。
俺はヤツの指を解放した。
「何すんだよ」
「舐めときゃ治んだろ?」
「だから、なんでオマエが舐めんだよ」
「さあね」
お互い目は合わせたまま。
どちらかが逸らすまで、きっとこのままだ。
乾いた唇を舐める。和泉の血の味がまだ残っている。
目を逸らそうとはしない。
微かに上気した頬が、和泉のただでさえ赤い唇をさらに赤くさせる。
蹂躙を誘うと同時に、それを躊躇わせるに充分な唇。
色の白い肌にポツンと浮いた赤が、血の印象と重なり。
一瞬、気を遠くさせる。
(→ AM 1:25)
鳴り出した電話に、最初に反応したのは俺の方だった。
受話器を取り上げる。市内の店の店長からだ。
「ハイ解りました。明日そう伝えておきますんで…。ハイ、失礼します」
受話器を下ろし、預かった伝言をそこら辺にテキトーに置いてあった紙に書き込んで張り出す。あとはセッター台下と冷蔵庫・冷凍庫の細かい補充を確認すれば終了だ。床を流して、あとは帰るだけ。
結局。
何があったのかよく解らなかった。
あの日と同じ。背徳に酔いしれたのは一瞬で、恍惚はしょせん次の欲望のエサにしか成り得ない。
ただ唇が重なっていた。
視線は合わせたまま。
溺れてる。
すでに溺死寸前だ。
かなりマズイ事態。
頭ではそう解ってる。
けど、理性の云うコトを本能が聞かない。
捕まえたい。捕まえて無残に陵辱したい。
いや死ぬほど優しくして、むしろ崇めたいのかもしれない。
どちらにしろ。
どんなことをしてでも手に入れたいのだ。
アイツを。
賽はすでに、投げられた後だ。
end
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