ファーストフード ↑



 「永遠」ってこういう瞬間をいうのかなって
 あの時、ぼんやり考えてた
 おまえにキスされながら


「お願いします。ツーパティ・フィッシュ・Sポ、イートで入ります」
「はい、通りました」

( →PM 22:50)

 この「通りました」って云う時の、松下の声がすごく好きだ。
 低いのによく通る声。なぜか背筋にゾクっとくる。
「なァ、今日って忙しくねェ?」
「平日の割には、ナ」
「さっきの時間帯別見た? 22時台、すでにイチマンゴセンいってんの。も、マジ勘弁してって感じ」
「無駄口はいいからさっさとパッキングしろよ。ほら、ファーストアップ」
「はァーい、っと」
 松下はとにかく素っ気無いオトコだ。
 それはバイト中に限らず、いつものことなんだけど。差し出されたオーダー表を受け取り、俺は上がったバーガー類を手早く紙袋に入れた。
「42番でお待ちのお客サマ。お待たせいたしましたァ」
 ビニール袋を片手にフロアに踏み出すと、カウンターの一番向こうに座ってた女が手を上げた。うっわ、ブサイクな女。この化粧、自分に合ってると思ってンのかな。いや、化粧以前に顔の造りの問題か?
 つーか、その不気味なアイメイクは何。ギャグじゃないよね?
「こちらフレッシュバーガーとポテトLサイズ、コーラMサイズとホットティーになります」
「はーい」
 俺が営業スマイルを浮かべると、その女もニコっと笑った。
 これがまた、かっわいくねー笑顔でさ。まあ、予想通りなんだけど。
「どうもアリガトウ」
「ア、はいっ。ありがとうございましたァー」
 でも、きちんと俺の目を見て礼を云うと、会釈までして店を出て行った。
 あれあれ? 案外キチンとした子だったりするのカナ。
 なーんだ。あの化粧さえどうにかすれば、実はイイコなんじゃん?
 彼氏があーゆう化粧好みだとか。好きな人好みになりたい、ゆー乙女ココロやね。解る、解る。…とか云って、ヒネクレ者の俺は常にその反対の行動に出ちゃうんだけど。アイツが100%嫌がるって解ってて。
「セカンドとサードもアップしてんだけど?」
「あ、ワリ」
 こうしてわざとモタついてみたりする。
 アイツが俺に煩わされてる姿。見てるのって、スゴイ好き。
 悪趣味? だったら松下の方がよっぽど悪趣味だぜ。解ってるクセに、自分からは何にも云ってこないトコとか。
 傍観のスタンスを絶対に崩さない。そーゆうトコ、すごいムカつく。
 なのに、そーゆう意地悪なトコもスキだなんて思っちゃったりする自分も、どっかにいたりして。なんてバカな矛盾。
「いらっしゃいませェ」
 声と同時に、すでに条件反射的に顔の筋肉が瞬時に笑顔を作る。
 自慢じゃないが笑顔には自信があるのだ。昔からこの顔でチヤホヤされてたおかげで、自然と身についた処世術といおうか。
 このスマイルで深夜帯に常連つくった実績もある。なのに。
「やたらと愛想ふりまくなよ、和泉」
「なんで?」
「ウザいから」
 これだよ…。コイツ、俺の性格知ってて云ってんだろーか。
 そんなコト云われたら、さらに五割増しでふりまくに決まってんじゃん。
「えーと、お願いします。サンド・パティ・ナゲ、イートで入りまーす」
「はい通りました」
 すれ違いざまに云われて一瞬、ゾクッとした。
 やっぱり松下のこの声、すごく好きだ俺。
 低いけどよく通る声が淡々と返してくる相槌。その妙なヨソヨソしさも好き。
 好きだから。たぶんそう、好きだから。
 こんな気持ちになるんだ。
 矛盾した気持ち。
 もっといじめて欲しいだとか、もっと冷たいコト云って欲しいとか、もっと素っ気無くして欲しいとか。たまらなくそう思う。
 その半面、もっと優しくして欲しいとか、たまには俺にも笑いかけてよとか。
 思ったりもする自分がいて。
 ほんとにバカ。
 でも、どっちも本当にそう思うんだよね。
 まさに、致命傷。

( →PM 23:20)

「いまのうちにシェイクメンテ入るワ、俺」
「あー、よろしく」
 深夜勤は二人しかいないから、一人がメンテにかかり出すとその間はもう一人が「一人営業」をするハメになる。だから混むと、まじでシャレんないコトになるんだけど。
 でもどんなに混んだ時でも、松下はそれを一人で切り回してしまう。俺が調理に回ってる時は、何度もメンテ中の松下の手を借りた覚えがあるのに。
 働いてる時の松下って実は一番カッコイイと思う。テキパキしててよく気もついて。そんな松下をメンテしながら横で見てるのが俺は好きだった。
「二十分で終わらせろよ」
「ハン。楽勝」
「ばーか。十五分切れなきゃ一人前じゃねーんだよ」
 松下が眉をよせて苦笑する。
 ひとまず手は空いたのか、ドリンク棚に背を預けてシェイクマシンの傍らに立つ。客席からは死角になるが、松下の位置からはフロアの様子がよく見えるポジショニングだ。
 さて、シェイクメンテを始めるか。まずはシンク内の洗浄から始まる。次にシェイクマシンの中で空回ししておいた水を抜き、同時に湯を満たしておいた消毒用のバケツにキャップニ杯分の消毒液を垂らす。
「なァ」
「んあ?」
 客足が途切れたのか、シェイクマシンの解体に入った所でめずらしく松下の方から話をふってきた。
「こないだの、飲み会でさァ」
「先週の?」
「そ。なんか最後の方とか全然キオクねーんだけど。俺、ヤバイコトとかしなかった?」
「ヤバイことー?」


 寝てる俺にキスした。
 それから俺の服に手をかけて、思い直したようにやめた。


「いつから記憶ねーの?」
「三次会行ったあたりから、かな」
「マジで全然覚えてない?」
「ああ、もうまるっきり」
 この大ウソつきヤロー。三次会の後、酔いつぶれた俺を自分家に連れ込みやがったのは何処のどいつだよ?
 自分が介抱するからどーのって、店長に云ってたのしっかり聞いてたぞ。
「んー、悪りィな。俺も潰れてたから全然、覚えてねーや」
「そうか?」
 タヌキ寝入りは俺の十八番だ。
 でもたぶん、それを知ってた上で連れ込んだんだ。コイツは。
 これがホントに、松下の油断ならない理由。
 知ってた上でキスしたんだ、コイツ。
 しかもその上でこうして確認を入れてくるし。
 サイテー男。
「あれ? じゃあ俺、なんでオマエん家にいたの?」
「さあなァ。勝手についてきたんじゃねェの?」
 これだよ。ほんとサイアク。
 おまえがその気なら、俺だって意地でも表てに出せない。
 先に素振りを見せた方が負け。
 恋は後攻有利なゲームだ。
 おまえなんかに負けてたまるか。
 俺は、おまえの思い通りにはならない。絶対。

(→ PM 23:30)

「松下って、松下佑輔ー?」
 素っ頓狂な声が上がって、レジカウンターの前で短髪の女が急に笑い出した。
「あ? 白木じゃん。何だよ、どこ帰りだよ、オマエ」
 松下が愛想のイイ笑顔でカウンターへと移動する。
 オイオイ。めちゃめちゃニコヤカだよ、あの松下が。いったい何者だ、あのねーちゃん? やけに親しげだ。
 これ以上ないくらいに色を抜いたベリーショートに、耳には数え切れないほどのピアスがぶら下がっている。それが本人の雰囲気にマッチしているのだが。
 ミニスカートから伸びたスラリとした足にゴッツイ皮のブーツ。
 上品そうなジャケットとのアンバランスが絶妙で、端的に見てもカッコイイ。
 しかもさっきから大口開けてガハガハ笑ってるが、きっちり化粧の施された顔はかなりの美人だ。
 その横では松下が爆笑している。コイツが爆笑してるのなんて初めて見たぜ。クールで落ち着いてて、冷笑や苦笑以外では滅多なコトじゃ笑わないヤツだと思ってたのに。
 初めてここで会った時もそうだ。Tシャツまくった直後に驚きはしたものの、すぐに元のポーカーフェイスに戻ってその後ニコリともしなかった。こーゆうヤツのスタンス崩すのが大好きな俺としては、それだけでも気になる存在だったんだけど、またコイツがなぜか妙に絡んでくるのだ。しかも絡んだかと思えばすぐに冷たく突き放してくる。
 19年間の人生の中で、俺に振り回されなかったヤツなんて今まで一人もいなかったのに。
 プライドにかけてもコイツを振り回してやろうと思った。
「あーあ」
 気がついたら、ハマってた。
 すっかり抜け出せなくなってた。
 三日でやめようと思ってたバイトを、おかげで半年経った今でも続けてる。
 ヒョロリと長い身体。それほど身長は高くないのにデカい手足。適度に日焼けした肌になぜかいつも薄着で。
 飄々とした、という表現がこれほど似合うヤツを俺は知らない。
 何よりもたまに見せる、柔らかい微笑み。
 まだ二回しか見たことないけど、心臓が本当にキュッてするんだ。
 少女マンガみたいに。自分でも笑ってしまう。
「ねェ、ボウヤが超かわいい子?」
急に呼びかけられて、俺は思わず固まってしまった。
いくらなんでもボウヤはねーだろ。松下のガッコ友達なら一つ二つも違わねー筈だ。
不機嫌そのままに振りかえると。
「うっわ。まじでカワイイ。でも、性格悪そう」
「ハハッ」
 と楽しげに松下が笑う。なんだ。コイツこんな笑い方も出来るんだ、とか思って。
 それから短髪オンナの台詞を反芻して、俺は思わず吹き出した。
「スゲェ。云わねーよ、普通」
「そう?」
「でも大当たり。俺性格、チョー悪いもん」
「アタシもかなりヨ?」
「んなの、一目瞭然じゃん」
 そう云うと、短髪オンナがまた爆笑する。
「いいキャラしてるわー。気に入った。今度ねーさんが奢っちゃる」
「まじ? ラッキー」
 はしゃいだ声を上げつつ、俺は手早く蛇口にホースを繋いだ。マシン全体に泡をつけたところで、それを丁寧に水で洗い流していく。
 水音が大きくなってねーさんの声が聞こえなくなった。
 ねーさんが何か云って、松下が笑う。アイツが何か云って。
 いつもの、あの意地の悪い笑み。
 笑いながら流した視線が俺に向けられて、まともに正面から目が合った。
 ゾクッとした。
 なんでアイツはこう悪魔的なんだ。
 仕返しに、三秒間。
 必殺の流し目で見つめかえして、それを逸らしてやった。
「あーらら」
 ねーさんの楽しげな声が聞こえてくる。
 ヤられるばっかじゃねーんだヨ。
 そう、宣戦布告になってるとイイと思った。
「じゃあネ」
 ねーさんの投げキスをありがたく受け止めながら、俺は消毒液につけてあった器具を元通り組み立てた。最後にアルコールを吹きつけてラップを被せればメンテ終了だ。
「終わったぜ」
 フロアの時計を見ると23:47を指していた。
「ちぇー」
「残念だったナ。半人前」
 サラリと云って松下が奥のガス台に向かう。
 その後ろ姿を見ながら、蹴ってやればよかったと散々後悔した。
 舌打ちした瞬間、自動ドアが開いてカップルが入ってくる。
「いらっしゃいませェ」
 半ば条件反射的に、愛想のイイ声が喉を滑った。

(→AM 0:55)  

「もう店、閉める?」
 店の営業自体は午前一時までとなっている。
 しかし駅前店と違い、この間際に客がくるコトなどこの店では皆無に等しい。
「ああ。おまえの判断に任せる」
 うわ、汚ねー。いざって時の責任を俺に被せる気だ。
 十秒ほど考えてから、結局俺は用具室に向かった。あとで何か聞かれたとしても、松下の指示だったと云えばいい。
 自動ドアのスイッチを切って、隣りのビルとの間に放置してある支柱を立てる。重い灰色のシャッターを引いて。
「い…って」
 見るとどこで切ったのか、右手の親指の腹にプックリと赤い血が盛り上がっていた。周りを押すと赤い山がクク、っと大きくなる。
 さらに強く押すとツーッと一筋、赤い流れが指先から伝い落ちた。
 思わずそれを舌ですくい取る。
 ジワっとしみて、口中に広がっていく鉄分の味。
 右手をポケットに隠し、店に入るとカウンターの前で松下に右腕をつかまれた。
「なに隠してんだよ」
「別に」
「何? 恐くて見せられない?」
 ムッとして右手を突き出すと、意外に力強く手首をつかまれた。
「血ィ、出てんじゃん」
「舐めときゃ治るよ」
「ホントに?」
「放っとけって、俺の傷だぜ」
「悪いけど、人の傷いじるの俺の趣味」
「な…っ」
 あわてて取り返そうと思った時には、それを口元に持って行かれてた。
 アイツの息が軽く指先に当たる。
「スッパリ切れてるな。痛そー」
「…………」
 目を細めて俺の傷を見つめる。
 云いながら顔を近づけてくると、いきなり親指を口に含まれた。反射的に身体が跳ね上がる。熱い口内の感触。思わず目を眇めてしまう。
 アイツが俺を見ている。
 舌先で傷をなぞられ、無意識の内に指が震えていた。カチカチ、と自分の歯の音が聞こえる。視線は合わせたまま、ゆっくりと舌先で指をなぶられる。
 目を逸らそうとしないアイツ。
 俺も目を逸らさない。
 舐る舌の感触。甘噛みする歯、吸い出される血。
 じわじわと身体中の血が指先に集まっていくような気がする。
「イタ…っ」
 最後に強く傷口を吸われて、声を堪えきれなかった。
「舐めときゃ治んだろ?」
「だから、なんでおまえが舐めんだよ」
「さあね」
 お互い目は合わせたまま。どちらかが逸らすまで、きっとこのままだ。
 間違っても自分からは視線をはずせない。
 さっき舐めた自分の血の味が、舌先にじんわりとまだ残っている。
 じっと俺を見つめる目。
 松下の唇の端にほんの少し血がついてる。
 気づいた途端、心臓が鳴った気がした。
 その血が松下の視線をより淫靡に、より獣めかせたモノへと変えていく。
 そんな錯覚。
 一瞬、気が遠くなった。

(→ AM 1:25) 

 鳴り出した電話を最初に取ったのは松下だった。
 受話器を取り上げ、対応する。
「ハイ解りました。明日そう伝えておきますんで…。ハイ、失礼します」
 フロアのモップがけを終え、あとはテーブルを並べてナプキンホルダーを各テーブル・カウンターに並べればフロアは終了だ。
 レジさえ閉めてしまえば、あとは帰るだけ。
 あの時。
 何があったのかよく解らなかった。
 あの日と同じ。
 永遠だと思った一瞬も、つかんだと思った瞬間からサラサラと指先から零れ落ちて。
 ただ唇が重なっていた。
 視線は合わせたまま。


 ハマった。
 完全にハマった。
 これはヤバイかもしんない。
 ズタズタにされそうな気がする。
 でも、アイツをズタズタにできそうな気もする。
 怖いけど、逃げ出したくない。
 やめられたとしても。
 いまさらやめる気なんて、さらさらない。
 アイツを捕まえてみたい。
 全力で。


 まだ、ゲームは始まったばかりだ。


end


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