恋心の行方



「こんなんで年越しかァ…」


 恒例のカウントダウンパーティに顔を出す気にもなれず。
 かといって一人で年越しする気にもなれなくて。
 午後九時過ぎ――。
 関は仕方なく、誘われてたいくつかのパーティのひとつに顔を出した。
 そこに春日がいないコト、は事前に確認してある。
「あーら、こっちに顔出すとは思ってなかったワ」
 もうかなり出来あがった様子で、呂律の回らなくなった早乙女が出迎えてくれた。
「…ったく。なに、もう泥酔してンだよ」
 嬉しい出迎えとはお世辞にも云えない。
「いーの。もう放っといてーェ」
 恋人との間になにかあったのは明白だが、そんなコトに付き合ってられるほどこっちもヒマじゃないのだ。
 知り合いを見つけ同様に絡み始めた早乙女を幸いとばかり、その場を立ち去ると関は中二階に上がり手摺によりかかった。フロアで群れる人の波を見下ろす。
 その中にふと、春日によく似たシルエットを見つけて。
 一瞬、ドキッとする。
 いるわけないのに。
 やり切れない気持ちがジワジワと胸に広がっていく。


 あれ以来、これといって変わったコトはない。
 なにもかもいつも通り。
 春日に会えば、また軽口を叩いて、じゃれあって。
 冗談云っては絡んだりして…。
 が、たまにふっと蘇る春日の感触がたまらなく切なくて、ツライ夜を何度か過ごした。
 思いのほか、自分が春日に本気だったコト。
 それを知るのに、そう時間はかからなかった。参った…。
 正直ホントに参ってた。
 久し振りの泥沼だ、これは。
「そこまでいったらもうダメよォ。諦めちゃいなさーい?」
 早乙女は軽くそう云うが、そんな簡単に諦められたら。
 誰もこんな悩みゃしないのだ。


「こんばんわ」
 急に、横合いから声をかけられて。
 振り向くと小柄な少年がそこに立っていた。
 その服装から、さっき一瞬、春日と見間違えたのが彼だったコトを関は知った。
「何?」
「あ、いえ。つまらなそうだったから…。ちょっと気になって」
はにかむように笑って、彼はそっと手摺に手を乗せた。
「いいですか、ここ?」
「構わないけど」
 薄暗い照明の下で、白くそこだけ浮き上がるように見える首筋。
 そう、まるで誰かさんみたいに。
「一人なんですか?」
 少年が首を傾けて、ぼんやりとしたまま動かない関の様子を窺うように云った。
「一人だよ」
 ぶっきらぼうに云って、少年を見やる。
「………」
 関は思わず声を失った。
 本当に、春日によく似ている。
 クールに整った目元や、その表情。
 そして、黒い前髪がそれを覆うように垂れている風情もよく似ている。
 ただ違うのは、右目の下にある小さな泣きボクロ。
 それがどことなく儚げで、そして少々生意気な雰囲気さえもを彼に与えていた。
 小振りな唇を少し尖らせて、思わず見つめてしまった関の視線を不思議そうに少年が見返す。
「きみの名前は?」
「詔っていいます」
 そう云って笑った表情があどけなくて、少し高い声ともあいまり。
 関は少年の年齢をもしかしたら中学生くらいかもしれない、と訝しんだ。それも二つは下のハズ。いくらなんでも、そんなお子様相手にメイクラブはできない。
 それでなくたって、今夜はひどく狂暴な気持ちを持て余しているのだ。
「安心してください。僕こんなだけど高校生ですから」
 関の心中を察したのか、少年が苦笑してそう付け加えた。
「ホントに?」
 だとしたら同い年か、それ以上ということになる。
 まあ、人は見かけによらないというが…。
「敬語はクセなんです。あ、僕のコトは呼び捨てにしてくださいね」
 関さん、と最後に名前を呼ばれて。それに驚くと、またフフっと詔が笑った。
「月に何回か、関さんココにきてましたよね。その時に僕、チェックしてたんです」
 笑うと細められる目元に、泣きボクロが色気を添えている。
 薄い唇がなまめかしく動く。
 どことなく蘭の花を思わせるソレ。
 少し暑いですね、ココ――…。
 そう云って唇の隙間からのぞいた舌が、チロリと下唇を舐めた。赤い舌。
 蘭の花は性器の象徴だという話を思い出す。その咲き綻ぶ花を、蹴散らしたい衝動に駆られて。
「じゃあ、俺がこーゆうヤツだってコトも?」
 いきなり細い顎を持ち上げると、関は上向いた唇を塞いだ。
 最初からいきなり舌を吸い出し、強引に絡め取ると詔の鼻から小さく息が漏れた。
 だが、思ったよりは場慣れしている。
 関のテンポに合わせ、ゆっくり舌を絡めかえす仕草には余裕さえ感じる。これでは面白くない。下に伸ばした手で、ツツーと下腹部をたどるように指を滑らせて。
「ンンっ」
 詔の息が急に乱れ始めたのを確認して、関は唇をはずした。
 はあっ、と詔が溜めていた息を吐く。
「最初からちょっとトバシすぎですよ…っ」
「ウソつけ。充分ついてこれてたクセに」
 どちらのとも知れない唾液に濡らされて、暗い照明に詔の唇が妖しく光を放つ。
 ディープキスでさっきより開いた赤い唇と。
 そのまわりで蹂躙の証拠を主張してやまない、濡らされて、汚された跡…。
 処女を奪われた少女のそれのように。
 薄い唇があえかな息をつく。
 またそれを塞ぎたくなる衝動を堪えて、関は手摺から離れると壁際に移動した。
 ヒョコヒョコと詔がその後をついてくる。
 そーゆうちょっとした仕草の幼さが、詔の年齢を低く感じさせるのだ。
 これではまるで、インプリンティングされた鳥の雛のようだ。
 むろん、これは春日にはない要素。
 だが黙ってこちらを見つめている時の視線や表情、ふとした時の仕草や笑顔。
 そしてなにより、雰囲気が春日に似ているのだ。
 春日のミニチュア。
 この言葉が一番しっくりくる。
「関さん…」
 背中に、詔の重みを感じた。
 試しにしばらく放っといてみる。すると焦れたように、詔が小さく囁いた。
「ココ、出ません?」
「もうガマンできないのか」
 関自身、男を抱くコト自体そんなに経験はない。女なら自分でも数え切れないくらいの人数をこなしてきた覚えがあるが――。だが詔の雰囲気にはもう、抱かれる側の空気が漂っている。
 それも春日と共通する項目だった。一番はじめに春日にクラリとした時も、この抱かれる側の色気にあてられたのだ。今なら解る。
 あの時は何がなんだか解らなくて、春日に欲情する自分にとにかく動揺したものだ。
 しかし、それはイコール。スタート時点から自分はすでに負けていたコトを示している。蓮科に。あの色気を春日に見出し、それを見事に引き出したのは他でもないアイツなのだから。アレを抜きにして、自分が春日に惚れてたかどうかとなると。
 ちょっと怪しい……かもしれない。
 だからよけいに悔しくて、諦め切れないのだ。
 どうして自分じゃなかったんだろう。
 春日を最初に見出した存在が。
「どうかしたの?」
「……別に」
 最近はこんな所まで思い詰めてたりするのだ。
 煮詰まってる。フラレてるにも関わらず、いまも諦められないなんて。
 こんな恋愛、不健康過ぎる。
「関さん?」
 わざわざ前に回って、関の顔色を確かめにきた小柄な体を。
 抱きすくめて。
「んんっ…ァ」
 有無をいわせず、関はその唇をまた貪った。


 抱いている間、考えていたのはそればかりだった。
 春日もこんな顔をするのだろうか。
 あの時、その片鱗をほんの少しだけ垣間見るコトが出来たが、もっと激しく乱れるのだろうか。
 奥まで突き上げられて、どんな声で鳴くのだろうか。
「あっ、アアッ、んクゥ…んンン」
 関の果てない思考に、詔の泣き声がフェードインした。
 開きっ放しの赤い唇。
 のぞいた舌が関の与える刺激にいちいち跳ねては、泣き声をあげる。
 薄く開かれた目元のホクロがあまりにも色っぽくて、関は思わず腰を引いていた。抜けていくソレを引きとめるように、ざわめく締めつけ。
 果てのない夜を思いながら、関はひたすら甘い熱に溺れた。



「へーえ、それで?」
「それでって…」
「だから、それからどうしたのよ? その仔猫チャンと」
 冬休み明け。移動教室でカラとなった人ンちのクラスで、早々に授業をさぼりながら。
 関はヒーターに腰掛けて、温風口の前に陣取り、さっきから編みかけのマフラーをほどいている早乙女を相手に「性少年お悩み相談室」を繰り広げていた。
「それ、なんでほどいてンの?」
「編み目を間違えたからよ。それでどしたのよ、その後?」
「ああウン。アイツが目ェ覚める前に先に帰ってきた」
「フムフム、それから?」
「それだけ」
「それだけって…、アンタやり逃げしてきたの?」
「イヤ。そーゆうワケじゃないんだけど、サ」

 なんというか、ヤバイ予感がしたのだ。
 春日に似てる表情、仕草、雰囲気。
 その上、あの色気はヤバイ。
 触るな危険。
 一度抱いて、よーく解った。
 やみつきになりそうなカラダ…。

「だってさ、そーゆう観点って失礼じゃねえ?」
「あんたってほんと、バカ」
 体だけの関係。それで割り切れるものなら、ぜひもう一度会いたい。詔に。
 でもそんな関係で、果たして心が満たされるだろうか?
 答えは否だ。
 詔だって悲しませる結果になるだろう。
 そう思ったから。連絡先も書かず、詔が目覚める前に部屋を出たのだ。
 あの店にも行くのもやめよう。
 そう思ってたのに。
 思ってたのだが――…。

「で、そんだけカッコつけといて、結果がソレなわけ?」
「云われなくても解ってるよっ。…うー、クソ」 
 部屋に置き忘れた生徒手帳。
 たぶんベッドの端かなんかに落としたんだろう。
 もしかしたら気づかなかったかもしれないが。
 イヤ、気づいてないコトを願う。手帳の再発行には時間がかかる上、事務局の人にイヤミを云われ、さらに数十人分もの女の子の連絡先が解らなくなったとしても。

「関先輩」
 前の扉口から聞き覚えのある声が関の名を呼んだ。
 ツカツカと室内に足を踏み入れ、少年は関の前までくると胸元から取り出したモノをひょいと、その目の前に突き出した。黒い表紙の手帳。それは紛れもなく関の生徒手帳だった。
「忘れ物。なくしたら後が大変でしょう?」
 そう云って詔が笑った。
 右目の泣きボクロ。薄い唇に、日光の下で見ても浮き立つように白い素肌。
 間違いようもなくそれは詔本人だった。
 しかも、青いタイ。中等部の制服を着ている。
「…詔?」
 そう云ったきり、ただ自分を見つめ返すだけの関に笑って、詔がペコリと頭を下げた。
「というコトでこれからもよろしくね、先輩」
 明るく云って。
 早乙女にも軽く会釈をすると、詔は教室を出ていった。
 ――参った。
 まさか、こういうオチがついているとは。
 年下でしかも、同じ学校に通っているなんて。
 男女間でも学校のコには手を出さないよう気をつけていたのに…。何かと起きがちな面倒のためにも。タラシと云われようと、それだけはポリシーにしてきた関だったが。
「……参ったワ」
 だがさらに。
 衝撃的なオチが関を待っていた。


「アンタ、どーすんのォ?」
 早乙女が妙に落ちついた表情で、編み目を進めながらそう訊いてきた。
「どーするもこーするも…」
「あれ、春日の弟よ。J2−3、春日詔平」
「は?」
 目の前に緞帳がスルスルと下ろされていく。
 ちょっと待て。そのオチはありか? ありなのか?!
 ……夢なら早く覚めてほしい。
 なんて悪質で、酷薄な悪夢。


「あーら残念。もうちょっとで兄弟どんぶりが出来るところだったのにネェ」
 そう云ってケタケタと早乙女が笑って。


 関は気が遠くなるのを感じた…。


end


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