Silent



 今宵、誰の元にも
 こんな穏やかな沈黙が満ちればいい
 そう願って止まないから…


「持とうか」
 そう云って差し出された手に「ハイ」遠慮のエの字もなく持ってたビニール袋を二つとも差し出すと、さすがに苦笑しながらも切敷はその両方をアッサリと受け取ってくれた。その手には既にもう二つの紙袋が掲げられていたというのに。
「冗談だよ?」
 あまりの普通さに思わずそう付け足しながら小走りにその背を追うと、瀬戸内は並んだカシミアの手からビニールを奪おうとした。けれど。
「たまには姫待遇ってのもアリかと思ってね」
「…へーえ」
 切敷は冗談もそうでない台詞も真顔で云うから本当に困る。ジョークだと思ってタカを括ってるとアッサリ本気を見せられたりとか。たぶんいまもそう。荷物を受け渡す意志はまるでないようで、瀬戸内の手をヒラリとかわすと切敷はニヤリと薄い口元を笑わせた。
「いーから、従者に任せとけって」
「……従者ねぇ」
 確かにショーウィンドウに映る自分たちの姿は主人と従者の図に見えなくもない。山ほど荷物を抱えた切敷と、その傍らを手ぶらで歩く自分と。
「一日天下じゃ興味ないよ」
 内心を悟られたくなくて。ニッコリ笑顔でそう告げると、瀬戸内は切敷の半歩前に進み出た。前を行く見知らぬハイヒールの音がやけにカツカツと耳障りに聞こえる。
 いまさらそんなコト云ってもしょうがないし、過去をリセットできない以上それは仕方のないことだと思ってる。なのに切敷の言動のそこかしこに感じる気配が不意をついて瀬戸内の胸に錆びた釘を刺す。切敷の目はいま自分を見ていると、それすらも解ってるのに…。
 慣れた役柄を見せ付けられればられるほどに、意識せざるを得ないあのカワイイ王子の存在。身代わりになんてされてない。それも知ってるけど、でもイヤなんだ。二人でいる時に南のことなんて思い出させないでよ。容易くクチにできたらいいのに。嘘をつくことに慣れた唇は真実を語ることにひどく臆病で、心はその百倍傷つきやすい。
「俺は一日で終わらす気ねーぞ」
 背後からかけられた声。表情は窺えないけれど、たぶんまた真顔でそんなコト云ってるんだろう。嘘か本当か、俄かには解りづらいポーカーフェイス。
「じゃあ三日?」
 軽い口調で乗ったソレを一撃でアッサリと打ち崩したのは。
「オマエが望むだけ、その足元に跪いててやるよ」
 紛いようのない、切敷の本気。
 欲しい答えを遠回しにしか求められない自分を誰よりも知ってくれているヒト。
 切敷が南をどう思ってるかも知ってる。南が切敷に恋愛感情を抱いていないことも。それでも、どうしても。そう思ってしまうのは自分の我侭、そのエゴすらも許容してくれる温かい胸と、優しく包み込んでくれる掌。
「…………」
 切敷の手から無言で荷物を奪うと、瀬戸内は空いたその左手に腕を絡めた。この舗道がどこまでも続けばいいのに。そう思いながら少しだけ濡れた頬をカシミアに押し付けた。





「ドウシヨウ、指突っ込んじゃった」
 いただけない台詞に思わず視線を投げると、いただけない状況になった南がキョトンとした顔でこちらを見ていた。
 いくつか用意してあったうちの中でも最も大きなケーキのど真ん中に、驚くほどの理不尽さで突き立てられた指。いったいどんな理由が沸き起こるとそんな光景が展開されてしまうというのか、いくつか予想を立てつつ訊ねてみると。
「んー、なんとなく?」
 返ってきた台詞はイチオウ予想範囲内のもので…。どちらにしろケーキが一つ台無しになったのは動かし難い事実というヤツだな。
「突っ込んじまったもんはしょーがねえ」
 引き抜いた指を口元に持っていき舌先でクリームを拭ってやると「あっ…ん」と南がカワイイ甘声をあげた。ベッド以外でそんな可愛い声出してんじゃねーよ。そう思いつつ、そういやこないだの誕生日にはキッチンでこの可愛いプレゼントをペロリと平らげたんだっけな…と、思い起こした記憶に内心苦笑する。どっちかってーとベッド以外のが多いかもしんねーな。やれやれ…。ケーキとかキッチンとか、似たような状況から南も思い出したのか「裸エプロンする?」とカワイイ口から飛び出してきた爆弾をとりあえずいまは不発に終わらせる。
「アイツら全員、帰ったらな?」
「解った、我慢する」
 神妙な顔で頷く小顔に思わずキスを一つ落とすと、ニコッと満面に笑みが広がった。やべえ、理性飛ぶ…。なんだこのカワイイ笑顔? とんだ焼きの回りようっつーか。我ながら笑えねえ。不発弾が危うく暴発しそうになったところで「倉貫先輩」リビングから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「んだよ?」
「そんな所でラヴられると超メイワクでーす」
「うるせー、ココは誰の家だ?」
「エート、倉貫先輩の伯父サンのアトリエ?」
「ならココは俺の城だ」
「いつもはでしょ? でも今日はここパーティ会場なんでー」
「誰がそんなこと決めた?」
「他でもないアンタ」
 チクショー、五日前の自分は何を考えていたんだ…。半ば本気でキレながら吐き捨てた舌打ちを、夏目がケラケラと口先で嘲笑う。あのガキは卒業前にゼッテー、一回締める。覚えとけ、コラ。
「あ、また誰かきた」
 今日もう何度目かのブザーに、打ちっ放しのコンクリをカツカツと叩きつける幾つもの足音。ガサガサ派手なビニール音がしてるから、買出しに追い立てた切敷たちが帰ってきたんだろう。素早く察した南が「キリシキっ」と玄関口に向かうのを、首根っこ捕まえて力尽くで引き止める。いい加減オマエも甘えちゃいけない人物を悟れよ? 言葉で云っても解らないなら行動で示すしかない。ジタバタと暴れる細身を両腕で抱きすくめたところで、タイミング良く顔を出した切敷がクラッカーの束を自分目掛けて放り投げてきた。受け取ったソレを「ほらよ」と南の胸にトンと押し付けてやる。旗が出るのがイイ! とか散々騒いでたわりに返ってきたのは「…サンキュ」という淡白な反応で。
「南?」
 俯いた顔を覗き込んでみると、そこには必死に涙を堪えている南の双眸があった。瞬きで溢れた涙が敢えなく丸い頬を伝う。
「もう…いままでみたいでいちゃダメ……なんだ…?」
「ああ、そうだな」
「甘えたりしちゃ…いけないってこと……?」
「何のために俺がココにいると思ってんだよ?」
「ウン……、ウン……っ」
 頷くたびに零れる涙が掌を熱く打つ。視線だけで解した夏目がリビングとの境を閉ざすのを見送ってから、倉貫は回した両腕で南の体を包み込むとそっと目を閉じた。
「…………」
 南の中に深く根差したソレを絶やせるなんて思ってやしない。それだけ濃密な絆が何年もかけて築かれてきたことを知っている。それをどんなに疎ましく、妬ましく思ったことか。南のふとした言動がどれだけ自分の胸を抉り、そして癒してきたか。オマエ、本当は知っているんだろう?
「イイコだ、サクラ…」
 子供のように泣きじゃくりながら、必死にしがみついてくる体を両手で抱き止めてやる。この涙が止んだ時、自分たちはようやく本当の始まりを迎えることが出来るんだろう。





 道案内人として倉貫に送り出されてから数分後、観月はようやく親友の本意に思い当たろうとしていた。青山一丁目・5番出口のガラス張りの下、長い髪をかき上げた視線が自分の上に留まるのを確認してから「よーう」スニーカーの一歩を踏み出す。
「遅いじゃないのよ」
「なんならスキップでくればよかった?」
「で、あのバカはどこで踏ん反り返ってるワケ」
 シカトで打ち落とされたフリをもう一度拾ってやろうかとも思ったが、馬鹿な意地の張り合いを楽しむには些か外気温が低すぎた。身重の女をいつまでもこんな冷気に晒しておくわけにはいかない。そのへんはイチオウ自分でも気をつけているのだろう。キッチリと全身に施した防寒が如月の元来ほっそりとしたシルエットをいつにも増して強力に包み込んでいた。モスクワあたりに似合いそうな帽子だよねソレ。またもシカトで打ち落とされたフリをもはや拾う気力もなく。つーか寒くてそれどころの話じゃないってのが本音なんだけど。ズズズっと鼻を啜りながら「とりあえず、あっちの方」アバウトな方向を指差しながら歩き始めると、意外にも如月は黙ったまま後について歩き始めた。文句の一つや二つや八つ九つ、絶対あると思ってたんだけどな…。大人しいとそれはそれで不気味というか。
「あ、っと」
 渡りかけた信号が点滅し始めたのを見て足を止めると、キャ…とそのまま渡り切るつもりだったらしい体がガクンと舗道から一歩擦り落ちた。バランスを失って揺れた体を慌てて片腕で支える。
「何やってんだよ、危ねーなッ」
 思わず荒くなった語気にイチバン驚いていたのは自分。で、その次がたぶんいま怒られてる張本人だろう。
「オマエ一人の体じゃねンだぞ!」
「知ってるわよ、それくらい!」
「だったらノコノコ、こんなトコまで出てきてんじゃねーよッ」
「アンタには関係ないでしょ!」
 売り言葉に買い言葉。たかがちょっと躓いたくらいでここまでエキサイトするとはお互い、思ってなくて。
「…………」
 痛い台詞が突き刺さった胸を互いに隠しながら青になった横断歩道を渡る。イブの五日前になって突然企画されたこの集まりを、ついさっきまでは倉貫の気紛れと片付けていた自分の浅墓さを心底呪いたい気分だった。こうでもされなければ如月と年内に顔を合わせることは恐らくなかっただろう。そうと知っていてここまで赴いてきた如月と、何も知らずにのほほんと尻馬に乗っただけの気でいた自分と。埋め難いこの意識の差。
「…ヤツアタリだった、悪い」
 渡りきったところで素直に詫びを入れると、観月は後ろを振り返ることなく「えーとね、あの青いビルの角曲がるから」と速度だけはスローペースを保ちつつ如月を先導することに専念した。
「…………」
 学校で、ほんの束の間、間違いのようにして交わす言葉たち。
 その距離を崩さないように前と後ろでそれぞれ気を配りながら、同じ道を歩く。それが自分と如月の選んだ選択肢だったから。けど何もかも100パーセントを納得して取り交わした「契約」ではないから。ただの「口約束」、そんなものいつ反故になってもおかしくないし、仕方のないことだといまでも思ってるよ。けれど信じたいと双方が思っている間は、確実に自分と如月との間に約束は存在するのだと教えてくれるのが、この堅い沈黙。
 信じていれば「いつか」は必ずやってくるはず。自分と如月との元に、ともに等しく訪れるだろうその時を、いまは待つことしか出来ないから。
 沈黙に守らせた秘密を胸に、観月は親友の計らいに「…サンキュ」と胸の内だけで小さく礼を述べた。


 ああ、この沈黙の暖かさが
 どうかアノヒトにも伝わっていますように…


end


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