picnic



 時々ワケもなく泣きたくなったりする。その眼差しに見つめられると。


 三月の初め、明るい昼下がり、学校から川辺まで続く緩やかな下り坂。
 学校にくるのもあと数日かと思うと、見慣れた風景も時間さえも、なんだか違う色合いを含んでいるように見えた。昇降口を出た時から繋いだままになってる手はそのまま、僕らはバスケットを片手、学校の裏手に位置する小高い丘を目指していた。午後も午前と同じく卒業発表会のリハーサルが入ってたけど、昼休みに顔を合わせた時点で二人ともそれに出る気はなかったから。
「ピクニック、行かね?」
 昇降口でバッタリ会った途端、おあつらえ向きのバスケットと共に差し出された提案を僕が断る理由なんか一つもなくて。僕は繋いだ手でそれを了承した。
「ここでよく授業サボってた」
「へーえ」
 切敷的絶景ポイントはそれを六年間知らなかったのが悔やまれるくらい景色も良くて、空が近くて。渡る風は薄荷色。耳元をくすぐるそれが一瞬、切敷の言葉を背後に押し流した。
「子守に疲れるとよくココに一人できてた」
 思わず吹き出すと「なんで笑うかな、そこで」ポンと軽く頭を小突かれた。なんかまだ気を遣わせてるのかな。だったらもう大丈夫だよって云いたい。でもまだうまく言葉には出来ないから。
「セーフティベースだったんだ」
「そ。俺だけのね」
 丘の頂上の、繁みを二つ潜り抜けないと辿り着けない秘密基地。切敷はココで六年間、どんなことを考えどんな気持ちをココに置いていったんだろう。その片鱗を僕に見せようとしてくれてるの?
「とりあえずメシ食おうぜ」
 律儀に敷かれたハンカチの上に促されて腰を下ろす。切敷はその横で直に芝生に胡坐かいてて。そういう扱いがくすぐったくてしょうがないんだけど。しかもそーいうの全部真顔でやるから見てておかしくて仕方ないんだけど。それから嬉しくて少しだけ泣きそうになる。そんなに大事にしてもらっていいのかな。僕にそれだけの価値があるんだろうか。
「紅茶は二種類用意した。ストロベリーフレーバーとメランコリー」
「メランコリー?」
「ジャスミンティーをダージリンで引き締めた、甘く高貴でやるせない香りです」
 切敷が頭の中にある説明書を棒読みで説明してくれる。
「アハハ、そうなんですか」
「そうなんです」
バスケットの中には小さめの魔法瓶が二つ入っててそのうちの一つを切敷が持参した紙コップにあける。
「ん」
「アリガト」
 無造作に渡されたそれを両手でそっと包み込む。風が少し冷たいなって思ってたんだよ。暦の上ではすっかり春だけど、山の空気はまだまだ冷たい。
「紙コップでなんだけどな」
「ピクニックらしくていいんじゃない?」
「あー、じゃオプションってことで」
 続いて渡されたアルミホイルの包みを開くと、ホットサンドの綺麗な切り口が見えた。ホント、驚くくらいマメだよねこーいうの。
「魚のフライをバジルソースで」
「美味しそう」
「BLTもある。トマト抜いたBLもあるけど?」
「切敷はイイお嫁さんになるね」
「イイ旦那って云って?」
 冷えても味が損なわれないよう、味付けが調整されてるのが解る。見ると切敷は赤い切り口のBLTに齧り付いてて、その豪快な食べっぷりを見てたら急にそれが一口欲しくなった。
「チョーダイ?」
「入ってるぞ、トマト」
「いいから頂戴」
 差し出された手をそのまま掴んで一口齧る。別にトマトの味が嫌いなわけじゃないんだ。赤みが少し苦手なだけで。
「美味しい」
「やろうか、それ?」
「ううん、もういらない」
「あっそ」
 一口で充分。返したそれを切敷がバクっと一口で食べ終わる。切敷の一口は僕の一口の三倍分はあると思う。倉貫も観月も量は食べてもこんなふうに豪快な食べ方はしなかったから。なんか見てると未だに新鮮でオモシロイよ。
「ほらよ」
 メインが終わったらちゃんとデザートも用意されてて、その用意周到振りがオカシイ。透明なタッパウェアに入った苺、洗った時の水滴がそのままついてて日に翳すと表面張力の向こう、薄荷色の風景が広がって見えた。
 苺だけは赤くても平気な理由を知ってる? 切敷に会わなかったら、僕は苺の良さを知らずに人生を終えていたかもしれないね。きっかけはストロベリー風味のリップクリーム。
「至れり尽くせりだね」
「ピクニックだからな」
 デザートの合間、ノンシュガーのフレーバーティーを一口含む。本当は切敷が一番イチゴ好きなんだって知ってるよ。でも切敷が僕みたいな人間にこそ、イチゴのイメージは似合うんだなんて豪語するから。なんか感化されちゃったんだろうね。笑えるほど根拠のない話なのに。思わず口元を綻ばせると、切敷がメガネの視線をひょいとこちらに投げかけてきた。
「何?」
「ううん、ピクニックってこんな楽しいもんなんだなーって」
「そりゃ楽しいだろ、フツウ」
「ホント? 知らなかったなァ」
 ピクニックって辛くて悲しいもんなんだって、ずっとそう思ってたから。冷えた風が耳元をすり抜けていく。握り締めたコップが少しだけ楕円になって琥珀色の液体がユラユラと揺れた。
「エイジと僕の家ってさ、昔から家族ぐるみの付き合いなんだけど。小六ん時だったかな? 二家族合同でピクニックに行ったのね」
「…………」
 うわー、そこでそんなに黙らないで欲しいんだけど。
 話してる僕が辛くなるじゃない?
「…ああ、うん」
 遅れて入った相槌に僕が笑うと、切敷は穏やかに視線で話の続きを促した。
「途中二人きりになった時にね、エイジに目障りだから消えろって云われてさ。それで僕、一人でどんどん森の奥に入ってったんだけど迷っちゃって。日も沈んで寒くなってきて…あれはケッコウ怖かったなぁ」
「…その後は?」
「妹が僕を見つけにきてくれたよ。そーいうトコ勘鋭くて助かってる。他の家族は誰も気付いてなくて、皆で仲良く家路についたよ」
「アイツいっぺん殺してきていい?」
「だめ」
「……ちぇ」
 その言い草があまりにもコドモっぽかったから笑うと切敷も少しだけ目元に笑みを乗せた。一度カワイイって云ったからソウトウ気にしてるよね、エクボ出ないよう頑張ってるでしょ。そーいうところがカワイイなって思うんだってば。でも気にしてるんだったら見ないでおいてあげるから。
 すぐそばにあった肩に頭を預けて目を瞑る。ありとあらゆる意味において、僕は切敷にいくら感謝してもしきれないだろう。こんなにも近い空の青さを、吹く風が帯びる透き通るような緑を、言葉にしなくても伝わる気持ちの泣きたくなるぐらいの優しさだとか。そういうの全部知らなかったから。
「…アリガト」
「どう致しまして」


 木立を抜けた風が僕らの間をすり抜けようとする。吹き過ぎる風の冷たさを理由に、僕は切敷の腕に縋ると温かいそれにギュッとしがみついた。出来ればこのままいつまでも離さないで。声にならない祈りを込めて。


end


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