ソプラノピーチ



 明るい昼下がり。
 健全なはずの学び舎に滴る、濡れきって甘く艶やかなソプラノ。


「んっ…、ぁあン、倉貫…ソコ…ッ」
「ココか?」
「ああッ、ンああァ…ソコ…ッ、もっと…突いて…!」
「そう焦るなって…ココを…こうだろ?」
「アッ!!………もっ…と…!」


 教科準備室の前で固まってる後輩の背後に忍び寄る。手には何冊かのファイル。恐らくはあれをしまいにココまでやってきたんだろう。まさかこんな所であんな声を聞かされることになろうとは夢にも思わず。
「紺川」
 肩を叩くと同時、振り返った顔が真っ赤になってたのは云うまでもなく。扉の中では相変わらず南がカワイイ声をあげ続けている。どうせなら防音仕様の部屋でやりゃいーのにな。少しは周りにも配慮しろよ。
「たぶん誤解してるだろうから云っとくけど、アレ違うから」
「え、な…何がですか、観月先輩…」
「三限が合同体育でさー、疲れたって騒ぐ南チャンに倉貫がマッサージしてやってるという、超ベタオチなわけよ。だから、な? 期待に副えなくて悪いな」
「な…そんな、期待なんて…」
「ま、こんな声聞いちゃったら無理もないけどねー」
 気持ち前屈み気味な紺川に右目を瞑ってみせる。血気盛んなこのお年頃に南の嬌声は刺激が強すぎるだろう。可哀想にな、中坊。
「もうすぐ予鈴鳴るぜ? なんならそれ、俺が返しといてやるからさ」
 固まったままの腕の間から器用にファイルだけを抜き取ると、観月はニッコリと笑いながら紺川の肩を再び叩いた。成長途上の体がビクンと揺れる。
「抜くんならサッサと抜いてこい」
 あからさまな台詞に耳まで真っ赤にすると、紺川は「失礼します…」蚊の鳴くような声でそれだけ告げると、全力ダッシュで廊下を駆け抜けていった。おお、よくあの状態で走れたもんだ。頑張れ中坊、負けんな中坊。感心しながらその背を見送ると、柱の影からヒョコリと笑顔の小悪魔が現れた。

「ずいぶん苦しい云いわけだったねー」
「ま、ね。我ながらそー思うよ」

 室内ではそろそろ佳境なんだろう。南の声が一際高く、甘くなっていく。それを追い詰める倉貫の声にもいつもの余裕が感じられない。
「あ…ダメッ、もぅ…!」
「待てよ、もう少し…………っク」
「やっ…ん……ぁああ…!」
「ホラ…抱いててやるから、…今度は自分で動いてみろよ?」
「んっ…んっ…ン…ッ」
「イイコだな、サクラ……ん…ココは? コッチはいいのか?」
「ハン! ソコ…、も…!」
「ワガママだな、オマエは……なら俺も動くぜ?」
「あっ…あっ、ンん…アアッ!」
 もはや泣き声に近い南の悲鳴に倉貫の囁きがボソボソとかぶる。そのたびに「イヤ…」とか「イジワル…ッ」とか聞こえる、あたり碌なことは云ってないんだろうな。
「多感な中学生にはホント、毒にしかならないよねー」
「毒は毒を以って制す、とはよく云ったもんだ」
「制してないでしょ。むしろ二乗?」
「あ、そっか」
 ギャハハハッと廊下に観月の笑い声がこだまする。クスリ、とそれに被せた笑みを瀬戸内が口元に添えた右手で隠した。派手な悶着を繰り広げた末、ようやく大団円を迎えた帝王と王子の恋。でもそれはまだ始まったばかりだ。ま、友人としては応援してるけどね。でもクラスメイトとしてはちょっと迷惑カナ? 南の悲鳴が急に掻き消えた。


       コンコン


 ノックをしてしばらく待つ。ややして開いた扉の中は、すっかり真っピンク一色に染めあげられてて「ワーオ」と観月の感嘆符が部屋の入り口にポロリと落っこちた。
「何の用だ」
「担任が進路について聞きたいことがあるって、昼休みに階段部屋」
「あいつ、どうしても俺を東大に行かせたいらしいな…」
「行けばいいじゃん、東大」
「そろそろ地元帰んねーと親がウルセーんだよ」
「意外に孝行息子だよね」
「ま、アイツが土下座して頼むってんなら受けてやらなくもないが?」
「サカイちゃん、まじでやりそう!」
 またギャハハハッっと観月が腹を抱える。確かにあの担任ならやりかねないかもね。ローテーブルに腰掛けたまま倉貫が取り出した一本を咥える。カチッ。ライターの音。放り投げたソレがソファーから床へと転がり落ちる音。けたたましく鳴った本鈴。入り口付近では相変わらず、観月のバカ声が響いてて。けれど。


 王子サマの眠りを覚ますにはドレも完全に役不足で。


 しどけない姿のまま倉貫の横に意識を失った南が横たわっていた。剥き出しの下半身には倉貫の上着が掛けられている。時折、ピクン…ッと揺れる細い足先。それが寸前まで行われてた情事の名残りを見せ付けてるようで妙に生々しい。
「じゃ、伝えたからね」
「ウゼェ…。だいたいンなの、メールで充分じゃねえか」
「すでに何通、送ったと思ってるの?」
「…あー、電源切ったワ」
「でしょ?」
「ん…」
 南が小さく身じろいで爪先を震わせる。一瞬、宙を彷徨った手が程なくして倉貫の左手に収まった。ごく自然に動いた体が南の開いた唇に軽いキスを落とす。その仕草に目を奪われたのは自分ばかりではないだろう。
 なんて自然で穏やかな光景。数秒後、パチリと円らな瞳が開いた。
「あれ、観月と瀬戸内がいる」
「お邪魔してるよ」
「もう昼休み?」
「まだ四限が始まったばかり」
「なんだ、オナカすいちゃった…」
「運動の後はゴハン?」
「そりゃモチロン!」
 一時期、驚くほど痩せていた美貌も最近はずいぶんと健康的になった。「その秘訣は?」って一度ふざけて聞いたら「適度なウンドウ!!」と南には返されたっけ。この二人の場合、運動って書いてセックスって読むんだと思うけどね。
「食前にもう一運動しとけば?」
 とりあえずイヤミをこめて笑みを投げたら「どうする?」と南がくいっと倉貫の左手を引いた。この後の展開なんて解り切ってるから。
「じゃ、また後でね南チャン」
 観月と共にそのまま背を向けて廊下に歩み出す。背後では案の定。
「ん…また疼いてきちゃった…」
「ったく、堪え性のない体だな」
「だって倉貫のって…クセになんだもん」
「オイオイ、んなカワイイこと云ってっと容赦しねーぜ?」

 閉まる扉の隙間から一瞬、垣間見えた光景。帝王の上に馬乗りになった王子の腰から被さってた上着がバサリと落っこちた。白い裸身に手を添えた倉貫が早く行けよと顎先を反らす。指先があらぬ処を弄っていたのは云うまでもない。ピーチ好きの南に煽られてか、いまではすっかり倉貫の方が中毒だ。


「あ、ファイル返し忘れた」
「返す気なんか最初からなかったくせに」
「…ま、ね」
 再び廊下の空気がピンク色に濡れて滴り始める。思わず「やれやれ…」と二人で肩を竦めながら廊下の角を曲がった。


 あの部屋にはもうしばらくピーチ色のソプラノが響き渡ることだろう。


end


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