In the night



 散々っぱら雪に降られて帰ってみたら、なんてことはない。
 東京も白い雪にまみれていた。


「さみィ…」
 口に出したからといってどうなるものでもないが、思わずそう零さずにはいられない。
 かじかんだ指で袖口をめくる。ちぇ、もう二十分も経ってんじゃん。溜め息で腕時計のガラスが曇る。こんなことなら一度家に帰ればよかったなーといまさらながらに思う。夕方の便で着いて直できたから、足元には無粋なトランクが転がっている。
 いちおうさっきメールは打っといたけど、勤務中だからまだ見てねーだろうな。
 吐いた息が煙のように真っ白になる。昨日までいたトコに比べりゃまだ暖かいんだろうけど、それでもやっぱり寒いものは寒い。
 タートルネックに鼻先まで埋めて暖を取る。
 降り募る雪が、次第に色濃くなる空をバックにちらちらと羽のように宙を舞っていた。同じ都会に降る雪でも、どこか趣が変わって見えるのはココが東京だからだろうか。
 ホワイトクリスマスになんて慣れてない街並みが、にわかに浮き足立って見える。
 けれど同時に、どこか途方に暮れたようなこの空虚感は何なんだろう。街のどこかにポッカリと穴が開いてしまったかのように、周囲の喧騒の何もかもが遠かった。
 確かなのは自分の息遣いだけ…。

 カチャっ、と扉の開く音に顔を上げる。
 重たそうな鉄扉の向こうから私服に着替えた英嗣が出てくるところだった。
「んなトコいねーで中で待ってりゃいいのに」
「…いんだよ、別に」
 おまえが中で女の子に囲まれてるのなんか見たくねーし。下らないナンパをいちいちあしらうのも面倒くせーしな。
「で? どうだった、冬のNYは」
「寒かった」
「それだけかよ」
「いやでも、こっちまで雪降ってるとは思わなかったからさ、すげービックリした」
「だろ? 東京でホワイトクリスマスなんてそうねーもんな」
 英嗣が持っていたマフラーを匡平の首に一巡させる。そのついでのように軽いキスを頬に落とされて、匡平は思わず顔を赤らめた。
「おまえな…」
 唇の熱がいつまでもソコにだけ点っているようだ。いくら裏口とはいえ、こんな誰が見てるかわからない場所で…。だが抗議しようと口を開いたところで匡平は長い指先に顎を捕らわれた。それをさらに上向きに固定される。
「蓮、科…」
 待ちきれないように降りてきた唇が匡平の唇を優しく割り開く。
「ん…ッ」
 熱い咥内に取り込まれて舐られて、すっかり痺れた舌をさらに甘噛みされて…条件反射的に腰が砕けそうになる。ビールケースに腰かけたまま覆いかぶさるようなキスを受けて、匡平は気がつくと英嗣のコートにしがみついていた。
 英嗣の空いた手がジャンパーの隙間から中へと忍び込む。
 体のラインを両手でなぞられて思わず背筋を反らすと、それを追いかけるように英嗣の体重が匡平の上へと乗せられた。匡平がこれ以上後ろへ逃げられないのを確認したうえで胸の尖りを直に弄られる。
「うっ…く…」
 唇をはずされた途端、零れそうになった声を慌てて噛み殺す。
 発火するんじゃないかってくらい体中が熱くてしょうがなかった。こんなにも簡単に火のつく体を、正直持て余さなかったわけではない。でも、だからって何もこんな…。
「バカ、こんなトコで…っ」
「こんなトコで?」
 意地の悪い指が楽しそうに素肌を弄る。
 慣れた手付き。心得たリズム。
 この体のドコをどんな風にすれば匡平が感じてしまうか、知り尽くした凄味が英嗣の口元を歪ませる。見下ろす視線と目が合った瞬間。

「アぁ…っ」

 匡平の脳裏で、真っ白い陶酔がストロボのように弾けた。
 張り詰めていた糸が引きちぎれたように、匡平の腰から一気に力が抜ける。
「ん、…っくゥ…」
「そーゆう春日の方こそ、こんなトコで感じ過ぎじゃねー?」
 だが、コートにつかまってるだけで精一杯の匡平に英嗣の呟きまでは聞こえない。
 何日も恋焦がれた恋人の体温、そして息遣いが英嗣を狂わせる。
「キョウ…」
 首筋に顔を埋め、そっと歯を立てる。
 英嗣の耳元に匡平の甘い息が吹き込まれた。少しずつ、少しずつ犬歯に力を加えていきながら、英嗣は久しぶりの匡平の甘さに溺れた。


「てめェ…ふざけんなよ…」
 キスだなんだと散々弄くられた体が熱い。雪や風の冷たさがむしろ有り難いくらいだ。何もこんな場所で盛らなくたっていいだろうがよ…。だがすっかり紅潮した顔では、いくら悪態を吐いたところで悲しいぐらい説得力がない。
「…この万年欲求不満オトコ」
 差し出された手に片手を預けてその場に立ち上がる。
 空はいつのまにやら濃紺に染まっていた。雪が降り止む気配もない。綿のような雪が景色の何もかもを白く塗りつぶす。
「よく云うぜ。そうさせてんのはそっちの方じゃねーか」
「ああ?」
「俺がどれだけお預け食わされたと思ってるんだよ」
「な…っ」
 耳元にサラリと吹き込まれた台詞に、匡平はまた一気に顔を赤くした。
「今夜は泣いても逃がさねーよ」
「ア…アホかっ、この万年発情オトコッ!」
「何とでも云えよ。どんなにイヤがっても今夜は絶対やめてやんねー。恥ずかしい体位で何度もイカせて、一晩中よがらせてやる」
「だっ、黙れよ!」
「後ろから前からいくらでもハメてやるよ。風呂場と云わず、台所と云わず…なんならベランダでヤってやろうか?」
「お、おまえ徹夜したなっ!」
 わざとらしい卑猥な言葉の羅列に、それでも鼓動を早めてしまう自分が悔しい。
 だが言葉とは裏腹に穏やかな手つきで匡平のマフラーを結びなおすと、英嗣は匡平の手を握り込み自分の上着のポケットにしまった。
「ま、とりあえずいこーぜ」
 ブーツの底で舗道の雪がサクっと音を立てる。


    なんか…なんでだろう。


 ほんの一週間離れてただけなのに、こんなにも英嗣の温もりが懐かしいなんて。
 鼻先をくすぐるマフラーの匂い。指先に感じる大きな掌の熱さ。重ねた唇の甘さとその温度。全てが懐かしく、そして愛おしい…。たった一週間だけなのにな。
 街外れの静かな舗道。
 聞こえるのは二人分の足音と、そして二人分の静かな呼吸音。
「…ただいま」
 それに紛れてしまうくらい小さな匡平の呟きを拾って、英嗣が繋いだ手をそっと握り締めた。
「おかえり」
 付き合ってもう何年も経つというのに。
 こういうコトはいまだに照れ臭くてしょうがない…。


 照れ隠しに「ホワイトクリスマス」を口ずさむと、柔らかいバリトンがそれに重なった。


end


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