I know



 待っていれば未来は自分を押し流してくれるものだと思っていた。


「渋谷までいくら?」
「210円」
「なんかこうして切符買うの、懐かしい感じするね」
 二人分の硬貨、420円を券売機に落としたところで「そうか?」切敷の指が素早く枚数ボタンと金額ボタンとを連打して引いていく。おかげで宙を彷徨った僕の指を、果たして一体どうしろというのか。
「わざと?」
「何が?」
 しれっとした顔でこのオトコはどんな嘘でもつくということを自分はもう知っているから。ピーピーと耳障りな音を立てて自己主張する切符を間、しばし睨み合う。まさか自分でボタン押したかったナンテそんなこと云わないけどね? そんな子供じみたこと、まさかね。でも自分が案外コドモじみた考えに囚われやすいということも切敷は既に知っているだろう。

 切符を引き抜いて券売機を黙らせてから、二人同時にニコリと笑い合う。

 こういう時だけは、笑顔のスパークリングセール。普段はエクボを気にしてなかなか笑わないくせに。笑顔の応酬と水面下の冷戦。ここに観月でもいれば確実に突込みが入ってるんだろうケド。キミらほんと偽善カップル、とか何とか。なんだかそれも懐かしい感覚だなと思う。向こうにいる時はそれほど感じなかったのに、久しぶりに戻ってきたからだろうか。こんな感覚に囚われるのは。観月がいて倉貫がいて。同じ顔ぶれに囲まれて変わらない日常に挟まれて。いつまでもそんな風にあの箱の中にいるような気がしてたけど。いま自分の隣りにいるのは切敷だ。

「電車、行っちまうぜ」

 手持ち無沙汰気味、宙に投げ出してた手から切符を一枚抜き取ると切敷はスタスタと一人で改札へと向かってしまう。甘やかされたかと思うとたまに突き放されて。切敷にとって自分って何なんだろうってよく思う。下心のない優しさなんてない。そう信じて十八年間生きてきたから。埒もなく甘やかされるくらいなら突き放された方がマシ。底の見えない優しさに甘やかされる快楽なんて知りたくなかったよ。一秒ごとに進んでいく背中を見ながらチクン、と何処かに棘の刺さる痛み。

 一年前までは平気で我が身を杭に突き刺していたのに。
 贄を並べて悦にいって、風雨に晒され、嘲笑に撫ぜられ、怒号に削られ、軽蔑に救われ。
 乾いては湿ってまた血を流す数々の傷を、愛してさえいたのに。

「…………」

 いまはこんな、ほんの少しの傷でもツライ。
 待ってれば否応なく、未来はこの身を押し流してくれるものだと思っていた。緩やかな溺死、それこそが望みなのだと自分自身信じていたから。待っていれば訪れる死に憧憬すら抱いていたんだろうね。波に抗い、その場に立ち止まり、首を巡らす術を教えてくれたのは。生きたい、と足掻いて伸ばした腕を力強く引き上げてくれた存在。

「ほら、行こうぜ」

 三歩先で振り返った切敷の手が「置いてくぞ?」そう云って差し伸べられる。やだな、タイミング完全に読まれてるよ。そんなふうにヒトに依存心を植えつけてドウシヨウというの? それとも僕って案外解りやすい人間なのかな。切敷が三歩で進んだところを五歩で追いついてその手を取る。この手がなかったからどんな場所にだってきっと行き着けやしなかった。そう思ってしまうぐらいにはもうすっかりインプリンティングは完了しているというのに。
 この手に導かれながら自分は何処まで未来に進めたんだろう? 思い描くのも不遜だと信じ込んでいた予想図の中に。きっとそれを各々確かめるために今日という日が仕組まれたのだろう。

「ちょっと早く着き過ぎちゃうかな」
「かもしんねーな。如月はともかく観月が時間通りにくるとは思えないし」
「南たちは?」
「さあ。メールも打ってないからワカンネー」
「みんな元気にしてるかな」
「殺したって死なねーような連中ばっかじゃねーか」

 卒業以来会うことのなかった面々が一堂に介する日。本当はね、みんなに会うのが少し怖いと思ってたんだ。一人だったらなんのかんの理由を作って今日を回避していたかもしれない。でも、僕は一人じゃないから。

「南に会うの楽しみ?」
「そっちこそ。倉貫に会うの久しぶりだろ」

 電車に乗ってもまだ繋いだままになってる掌にはお互い気付いてないフリでドアによりかかりながら、流れていく景色を懐かしいと思う。もうあと一駅。横を向くと同じように自分を見ている柔らかい視線と重なって、どちらからともなく淡い笑みを浮かべる。こんなふうに誰かと笑い合える時間が自分にも訪れるんだということを、一年前の自分に教えてあげたい気分だ。僕でも幸せになれるんだということを。ポケットで震えた携帯を開くと馴染みのある送信先が表示されていた。
「あ、倉貫たちもう着いたみたいだよ」
「…ナニ、そっちはメール交換してるってワケ?」
「うん、倉貫とじゃなく南とね」
 そう云って示した液晶の表示に少なからず驚いたらしい切敷が少しだけ目を丸くする。感情表現が乏しい、と何気に自分でも気にしてるらしい切敷のこれは最大に近い驚きの表情。クスリと笑わせた口元を非難するように繋いでた掌にグッと力がこもった。


 それぞれに描いた五ヶ月間の軌跡が渋谷で交わるまで、後ほんの数分。


end


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