キューティーハニー
「ああ、解ってるって。終電には乗って帰るからさ」
扉越しとはいえ各部屋から漏れ聞こえてくる絶え間ない騒音を避けヤバイかなとは思いつつも匡平は「立ち入り禁止」と書かれた非常扉の向こう側にいた。
古びた鉄階段に背を預けて携帯に耳を傾ける。
さすがに室内ほどではないがココも一応は繁華街のど真ん中だ。母親の声にかぶさるように夜の喧騒が耳元に滑り込んでくる。
だが、夜風が運ぶソレは暖房で火照った体にはとても心地いいものだった。
学年納めの会を終え、明日からは春休みがはじまる。
だいたい休み前にはこうして打ち上げをやるのが常識になっていた。
いつからの習慣かは知らないが。
そういった風習はどこの学年も似たものらしく、今日このビルはうちの学校連中で貸し切ってるといっても過言ではなかった。
「詔? 知んねーけど。…え、いんのココに?」
オイオイ。中坊がこんな時間まで遊び歩いてんじゃねーよ。
自分の中学時代はすっかり棚に上げて、匡平はやれやれと肩をすくめた。
「解った、一緒に連れて帰るから。…解ってるって」
詔に関しては過保護の気がある母親をひとまずは安心させるために、匡平はハイと解ったを繰り返すと手早く通話を終わらせた。
それから詔平に自分の部屋番号と母親の伝言をメールしてから、重い鉄扉を引く。そろそろ早乙女のあの宣言が出てる頃ではないだろうか。
そんな予感を胸に戻ってみると案の定、早乙女が情感たっぷりに「ひと夏の経験」を熱唱しているところだった。
「だ、れ、でーも、い、ちーどだーけ、経験す、るーのよー」
佳境らしく、マイク片手にかなり遠い世界までいっちゃってるのが傍目にもよく解る没頭振りだ。毎度毎度、ご苦労なことで…。
早乙女の「懐メロ宣言」が出てからしばらくは、それに該当しない曲はエントリーを許されない。とはいえ、早乙女が懐メロレパートリーを披露し終えた時点で、この規制が自動的に解除されるのも皆目承知なので、いまさら文句を云うようなヤツもいなかった。云ったところで聞きゃしないしな…。
解除まで適当に話に花でも咲かせてりゃいいし、長い夜のための睡眠時間という解釈もアリだ。
ま、たまには今日のように諸手を上げてノッてみたりということもあるわけで。
早乙女に続いて関が「仮面舞踏会」を披露する。その後、若菜が「狙いうち」を歌い終えたところで、いきなり自分に白羽の矢が立った。
「春日、春日! 次、個人授業!!」
「は? ヤダよ、俺」
素知らぬ顔で残ってた烏龍茶を喉に流し込んでると、早乙女がダダをこねる幼稚園児のようにその場で足を踏み鳴らしはじめた。
「ダメ〜! 春日の声が聞きたいの〜!」
「だーから知らねーって」
「イヤ! 歌って!」
だが、早乙女が勝手に入れていたらしく急にイントロが流れはじめる。
「ほらよ」
蓮科の投げてきたマイクを思わず受け取り、匡平は苦い表情を浮かべた。
「…ったく、しゃーねーな」
第一声のために、仕方なく大きく息を吸う。
久しぶりに歌うと高音がキツイな…。
つーか、フィンガー5ならおまえも十八番だろうよ?
歌ってる最中に蓮科と目が合った。
…オイオイ、なんだよそのスケベったらしい笑顔は。
歌い終えてマイクを投げ返した時も、蓮科はそのニヤニヤ笑いを顔に貼り付けたままだった。だからなんだってんだよ? 若菜と早乙女が「ペッパー警部」を歌いはじめたところで、急に蓮科が俺の隣りに移ってきた。
「なんだよ…」
耳を貸せ、のジェスチャーに眉を顰めつつも素直に顔を寄せる。
するといきなり。
「春日の高音、エロ過ぎ。思わずベッドの上思い出しちまった」
「な…ッ」
目の前がいきなり真っピンクになった気がした。しかも追い討ちをかけるかのように。
「追い詰められてイク時の声にすげー似てる」
低音で耳元に吹き込まれて、匡平の中で一気に羞恥心が爆発した。
「な…なっ、ななな、何云って…」
動揺のあまり思わず言語障害に陥っていると、なんともタイミングの悪いことに級友たちと別の部屋にいたらしい詔平がひょっこりと顔を覗かせた。
「あのー、匡平いますか」
「あら、詔平チャン!」
曲の最中にも関わらず、早乙女はマイク片手に満面笑顔で詔平を関の隣りに座らせると「そこでちょっと待っててね」と盛大なウィンクを送った。
「詔平チャンにもぜひ参加してって欲しいのよ!」
いや、参加しなくていーから!
心中ではそう突っ込みを入れつつも、だが匡平の動揺は深かった。
頭の隅では弟を連れ帰らねば…という正常な意識が確かに働いているのだが、それを遥かに上回る羞恥心が匡平の意識を派手に混乱させていた。
…畜生、もう二度と「個人授業」なんて歌わねーからな!
おかげで「じゃあ僕、コレ歌いますね」なんて云って、詔平が意味ありげに「年下の男の子」を歌っていたことにも、その隣りで関が困惑気に目を白黒させていたことにも、その光景を早乙女が実に楽しげに観察していたことにも。
匡平はまるで気がつかなかった。
「う、げっ」
匡平がようやく時間の概念を取り戻した時には、終電はとっくに終わっていた。母親の怒りに歪んだ顔が目に浮かぶ。
うーわ、やっちったよ…。吐き出した溜め息が重い。
カラオケは相変わらず早乙女の独壇場だった。なんでそんな曲を知ってる? と思わず突っ込みを入れたくなるような曲のオンパレードだ。
ヤバイよ、こいつ確実にレパートリー増やしてやがるよ…。
早乙女の「恋の山手線」に続いて設楽が「自動車ショー歌」を歌う。
だからなんで知ってんだよ、そんな曲。
もしかして知らぬ間に「小林旭制限」でもかかったのか?
つーことである意味、これは不可抗力だと思うわけよ。
だいたい、いままでに打ち上げが終電前に終わったことがあったか?
皆無だよ、皆無。しょーがねーじゃん!
強気な内心とは裏腹に「スミマセン、終電に乗り遅れました」という謙虚なメールを母親に送ると匡平は携帯の電源をオフにした。
それもこれも蓮科のヤロウがあんなこと云いやがるから…。
だいぶ治まったとはいえ、いまだくすぶり続ける羞恥の原因を作ったオトコは、匡平の横で早々に熟睡体勢に入っていた。
早乙女のあの調子じゃオールは決定だろう。たぶんこのまま早朝ファミレスで3次会といういつものコースに流れ着くんだろうな。体力温存は賢明な判断だ。
「ファーぁ…」
何度目かの欠伸を噛み潰す。
英嗣の寝顔を見たからだろうか。急激な眠気が匡平を襲っていた。
今日はノンアルコールだったにも関わらず、酔いが回ったように頭が重い…。
英嗣の肩に頭を預けると、匡平はすぐに意識を手放した。
「心臓に悪いな、オイ…」
鉄階段に肘をつき、項垂れていた関の背中にピタリと詔平の体が寄せられる。
「そんなに匡平には知られたくない?」
「バカ、違ェーよ。ただ時と場所を選びたいだけだよ」
少なくともあのオネエのいる場所ではバレたくない。それが本音だった。
ごく普通の事柄でさえアイツにかかると一気に厄介事になるのだ。あんな場でバレて揉めないわけがない。
「云う時は自分の口から云うよ」
だがきっぱりと云い切った関に、詔平からの返事はなかった。
「…………」
沈黙に滲ませたニュアンスを裏付けるように、詔平が関の体に腕を回す。
それが杞憂であることを教えるために、関は巻きつけられた片腕を手前に引いた。
華奢な体を腕の中に閉じ込めて白い頬に手を添える。
「俺ってそんなに信用ないの?」
「だって、そういう実績つんでるじゃないですか」
「実績?」
「ええ。ベッドで違う人の名前を呼んだりとか」
「…だから、あれは誤解なんだって何度も云ってるだろ」
「本当に?」
「うっわ。マジで信用ねーんだ、俺」
情けなさそうに苦笑した関の顔がとても年上には見えなくて、詔平は背伸びをすると冷たい唇に自らの唇を押し当てた。
先輩の家で初めて抱かれた時、この口から漏れた言葉がどれだけ自分を傷つけたか。でも身代わりでもいいって思うほどこの人が好きなんだ、ってあの時はじめて実感したんだよ。
身を焦がすような思いと、病むほどの悲しみと涙を教えてくれた人。
そしていまは泣きたくなるほどの幸福感で何もかもを優しく包んでくれる。
自分を変える必要はない、ありのままでいればいいんだって。
そう教えてくれたのがあなただから。
「嘘。信じてますよ」
「ホントかー?」
「本当に。…いつのまにか立場、逆転じゃないですか」
重なる視線、注がれる真摯な眼差し。
この視線が自分の上にある、本当はそれだけで満足なのだ。
自分たちの関係を誰が知ろうと知るまいと関係ない。
「世界中の誰が知らなくってもいい」
あなたが変わらずここにいてくれるだけで。
言葉の続きを丸い瞳の中に見つけて、関は腕の中の痩身にそっと口付けた。
「この頃はやりの女の子ー、おしりの小さな女の子ー」
匡平が目を覚ますと、ちょうど早乙女の「ハニーフラッシュ」が問答無用で炸裂しているところだった。
「何曲目だよ、コレ」
「さあな。ついさっき、橋幸夫大会が終わったところだぜ」
「あ、そ…」
もはや突っ込む気力もない。
周りの連中もはほとんどが熟睡体勢に入っていた。
「…もっかい寝るわ、俺」
「ああ、オヤスミ」
その何秒後かにはもうレム睡眠に入っているのだから、大した寝つきのよさだよな。
いつもながら感心してしまう。
身動ぎした拍子にずり落ちかけた恋人の体を、そっと自分の方へと抱き寄せる。無邪気な寝顔が間近になった。
意識がある時は他人に近寄りがたさを与える整った美貌だが、寝ている時はこれが驚くほどあどけなくなる。カワイイ無防備とでも云おうか。
「やれやれ…」
だが、ふとした瞬間に滲み出るこの強烈な色香。
一瞬で理性も何もかも攫われそうになる。
反則過ぎだろう、この寝顔は。
「ハニー、フラッシュ!」
無意識ながらも、自分が最強の必殺技を持っていることを匡平は知らない。
頼むから自分以外のヤツにこの顔を見せてくれるなよな。
そう切に願わずにはいられない英嗣の心中もまた、匡平の知るところではないのだろう。思わず溜め息が零れてしまう。あーあ…。
「まだまだ次、ピンクレディーでメドレーいくわよ!」
つーか、まだ歌うのかよ…。
高校一年最後の夜は、こうして賑やかに更けていった。
end
back #