御法度



 恋は魔物。理性なんてコトバだけで、利己的な本能がすべてを支配する。
 痛くても切なくても、そこから抜け出すことなんて誰にもできないんだ。
 恋は麻薬のように。


「そりゃ、なんでもいいとは云ったけどさー…」
「いまさら文句つけないでくださいよ」
 だからってこれかよ、と先輩が一人ごちる。
 なんだかんだと理由をつけて関に会いにくるようになって一ヶ月。まだあれから一ヶ月しか経ってない。
 あの目眩を起こしそうな夜から。
 学校で声をかけるのは極力、控えてる。匡平もいるし。その代わり携帯の着信履歴は、自分の番号で埋め尽くしてる自信がある。弱みでもなんでもいい。付け込めるものは一つでも逃したくない。そうしないと抱えたハンデはいつになっても縮まりそうにないから。とはいえ、実際年下にこれだけ付け込まれる先輩もかなり甘いといえる。
 自分が年下だから? それとも匡平の弟だから?
 僕は僕なのに――。それをあなたに気付いて欲しいだけ。

(ねえ、僕を見て)

「ビデオ観るのやだったら、ベッドへ行きます?」
「おまえな…」
 呆れたように関が溜め息をついた。なにか云おうとして、結局また溜め息をつく。
 いいのに。先輩にだったらこのカラダすべてあげるのに。好きにしちゃってよ。悪戯してほしい、いくらでもたくさん。そんな悪いことばかり考えてる僕にお仕置きして欲しい。
「観ようぜ、ビデオ」
 カーペットにごろんと転がって先輩がリモコンを構える。僕はその隣りで脚を折り畳んだ。きちんと体育座りする。今日はわざと短かめのショートパンツを穿いてきた。少しでも先輩の気が引けたらいいと思って。子供じみた発想。我ながら笑ってしまう。でも、それくらい必死なんだ…。



 そこはかとない床の間の場面。それだけで反応しちゃってる自分がバカみたいで、思わずもじもじと脚を動かした。脚の付け根がキュンとしてる。動いたらよけい切なくなってしまった。
 あの夜の出来事を思って、毎晩ソコに手を伸ばしてしまう。いくら出してもきりがなくて、もっと強烈な刺激が欲しくて身悶える。寝苦しい夜。
スキな人とするセックスがあんなに感じるものだとは思わなかった。
 クラスメイトや、他の年上では味わえない快感。特別なことなんだって知って、いままで築いてきた怠惰な関係を少し悔いた。ううん、少しじゃない。ものすごく。僕のヴァージン、先輩に捧げられたらよかったのに。大事に取っておけばよかった。特別をあなたにあげたかった。いまさら遅いけどね。僕はもう、キズ物だから。
 先輩の中で僕はどんな存在なんだろう。好きな人の弟、それだけ? 鬱陶しい年下? だったらこんなに構ってはくれないよね。単に弱みを握られてるから? 匡平にバラされるのが怖い? ホントはどんな理由でもいいんだ。あなたの中にほんの少しでも僕が存在していれば。
 諦めろって毎日のようにクラスメイトには云われる。見込みなんかないって。でも簡単に諦められるくらいならはじめから好きになんかなってない。
 例えフラれてもなかなか諦めつかないだろうなって思う、いまの先輩と同じように。
 ねえ、先輩。いつまで匡平を思い続けるの? 僕に見込みはない? 可能性はゼロなの?


 あの時。心臓が張り裂けるかと思った。
 匡平が先輩を拉致して体育館の小部屋に二人でこもった時。僕は一もニもなく、蓮科サンの所にすっ飛んでいった。あの蓮科サンの顔色が目に見えてはっきりと変わった。
 匡平なんかこんなにも思われてるくせに。なんでみんな匡平が好きなんだろう。僕と匡平じゃ何が違うの? 僕って魅力ない? いつもそうだ。

 
(僕が好きになる人は、みんな匡平を好きになるんだ)


「なに泣いてんだよ」
 体育座りしたまま声もなく泣き始めた僕に、すぐさま先輩が気づいた。
「別に…」
 頬を滑った涙が一滴、カーペットに落ちて吸収されていく。それを追うように滑り落ちた涙を、今度は大きな掌が受け止めてくれた。優しくなんかして欲しくない。よけい辛くなるだけだから。
「なんでもないよ…」
 ぼやけた視界で画面を捉えながら、僕は涙を堪えた。
 TVの中で桜の木がバサリと切り倒される。涙の霞みがよけいにそれを幻想的に見せてくれた。
 煮詰まった意識を無理やり別のことにすり換えようとする。なかなか面白い映画だったよね、先輩。借りてきてよかったでしょ? ねえ、僕もあんな存在になれたらいいのに。
 人を魅了して止まない、魔性のような存在。そうしたらこんな思い、しなくても済んだかな。
「跡がつく」
 噛み締めてた唇を優しく指で抉じ開けられる。そんなふうにしないで欲しい。ココロがそれ以上を求めてしまうから。カラダがこれ以上、我慢しきれなくなる。お願いだから僕に触れないで。
「おまえってサ」
 唇を指でなぞられながら顎を上向かされる。先輩の顔がゆっくり焦点を結ぶ。
 どうして? どうして先輩、そんな辛そうな顔してるの?
 いまにも泣きそうな顔してるよ。
「おまえってホント、小悪魔なのな…」
 掠れた呟きと共に落ちてきた唇が、僕の唇を静かに塞いだ。



 あの時とぜんぜん違う。先輩の手が優しく僕のカラダに触れてくる。
 まるで壊れ物を扱うように、大事な何かを慈しむように優しく、柔らかく、抱いてくれる。やめてよ。僕なんか、そんな扱い受けるほどキレイなものじゃないのに。いままで何人のオトコに浅ましく抱かれてきたのか、自分でも解んない。なのに、そんなに優しくしないで。自己嫌悪にやり切れなくなる。僕にそんな資格ないよ。汚いんだ、僕。
「詔、目ェ開けてみな」
 顎をとらわれて瞼を開く。
 すごく近くにある先輩の目の中に、驚いたような顔の僕がいた。
「キレイだよ、詔は。どこもかしこも、触るのに躊躇うくらい」
「うそばっかり…」 
「本当だよ。信じられない?」
 また瞼が熱くなる。ちょっと先輩、そんなこと云うからにはきちんと責任取ってくれるんでしょうね。怪訝そうな僕に先輩は笑うと軽く触れるだけのキスを頬にくれた。
「降参した」
 僕の髪をふわふわと先輩が撫でる。
「また子供扱いする…」
「バーカ。子供にこんなことできるわけないだろ」
「あっ、ちょっ……んンッ」
 先輩が僕の腰をつかんで、入れたままだった欲望を深く突き合わせてきた。途端にわき上がる充足感に思わず声が出てしまう。気持ちいいだけなら、いくらでも手に入れられる。快感なんてた易いものだから。
 でもこんな、涙が出るくらいの安心感とか、心のどこにも隙間を感じない瞬間なんてそう経験できるもんじゃない。このまま死んでしまいたい。ぬるま湯のような幸福に浸かって。そう、先輩の気が変わらない内に早く。
「……っ」
 うわごとのように呟いた先輩の一言に僕は凍りついた。


(な、んだ……やっぱり先輩…)


 僕は先輩が好きだよ。でも先輩は僕を好きなんじゃない。
 それに気がついた途端、急に先輩を遠く感じた。先輩、勘違いしてるんだよ。できることなら気がついて欲しくないけど。一生気づかないで欲しいくらいだけど。先輩のソレはね、同情っていうんだ。まだ気がついてないだけ。
 涙が溢れた。好きだなんて云わないで。僕と先輩、似てるんだ。その同じ匂いに惹かれて、思わず差し出しただけの手なんだよコレ。僕がつかんだとしてもいつか振り解かれてしまう手。
 同情じゃない? 身代わりだって云うんならもっと酷いよ、先輩。…ううん、身代わりでもいい。僕の中に誰を見ててもいい。その代わりもう目を逸らさないで。僕の中の匡平から目を逸らさないで。涙が止まらなかった。それでもいい。アナタを繋ぎとめておけるんなら。
 先輩の腕の中にいるのに、ひとりぼっちだね…僕。それでもいいから。


 うそでもまやかしでもいい。
 辛い現実より幸せな幻覚を選んでしまう自分を、いったい誰が責められるというの。


 先輩なんか好きにならなければヨカッタ。でも、もう遅い。
 細胞の一つ一つにあなたが刻み込まれてしまったから。あなたナシでは生きてもいけない。この胸の痛みもやり切れなさも、いつかは融けて一つにしてくれるのかな。恋の麻薬が何もかも。


end


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