fly high
ボールを床に打ちつける音。
まだ遠い、けれど確かなその振動が。
上りかけの階段の手摺りまでもビリビリと電気のように痺れさせてた。
腹ごなしにバスケでもする?
そんな話になったのがついさっき、昼休みももう終わろうかって時間だった。
「五限はー?」
「おっまえ、俺がサイバラと相性悪いの知ってンだろーに」
「ハハっ。でも単位は取る気でいんだろ?」
「あったりまえだろ。つってもまだ後期の初め。余裕ですって」
ヨユウヨユウ、と舌先に乗せた言葉を転がしながら瀬能のアディダスがコンクリの階段を上っていく。その踵にへばりついた緑色のロゴを眺めながら、匡平もコンバースの靴底を持ち上げた。
別に瀬能に付き合ってやる義理も義務もないが、匡平とてこんな明るい木曜の昼下がりをみすみす退屈な古典なんかに献上する気はなかった。
「誰だろな、上使ってんの」
「さあ?」
派手にフロアを打ち続ける音。手摺りの痺れが触れるそばから大きくなっていく。階上にこもった歓声、笑い声。ザワザワとした空気。人の気配。
一段抜かしで最後の段を上り切ると、キュキュ…ッとバッシュの鳴る音が聞こえた。
「あー? 蓮科たちじゃん」
北側階段から上がってきた所為で急に開けた視界が目に痛い。
日溜りの匂い。細めた目をうっすら開くと、舞い散る埃がキラキラと光の粒子を帯びていた。
混ぜちくりーと駆け出す背中を見送りながら、向かってくる視線を片手で遮る。チャイムが鳴った。
入り口に立ち尽くしたまま、突如はじまった変則スリー・オン・スリーを眺めてると匡平の眇めた視線を真っ向から受け止めながら、それでも唇に余裕の笑みなんか浮かべてチョチョイと招いてくる人差し指があった。あの性悪オトコ。どうしてくれよう。
「なんか賭けてんの?」
視線は外さずに壁にもたれて戦況を眺めてる沢木に声をかける。バスケ部ルーキーは物見遊山か?
「いまは何も賭けてないんじゃない? さっきまでは設楽とかいて昼メシ賭けてたけど」
「へえ」
視線を一度天井に逃がしてから、匡平は沢木の隣りに並んだ。バスケットボールを一掴みで握ってみせるバカでかい掌。その中にある食べかけのチョココルネはたぶん戦利品なんだろう。
「いつからいんの?」
「四限から」
バカでかい体に灰色のジャージを鬱蒼と被せて、もくもくと沢木がチョココルネをかたす。
確か六組の時間割って三限、体育じゃなかったっけ? いまの時期どこのクラスもグラウンドで短距離走をやってるはずだから、要するにそれだけじゃ体力発散にゃ足りなかったってわけか。あの体力魔人。もといヘンタイ性欲魔人め、クソったれ!
戻した視線の先、ふわりと舞い上がった体がリングに近づく。サシュ、とネットが揺れた。
「ナイッシュー、蓮科」
瀬能と掌を打ち合わせながら、元のポジションへと戻っていく背中。
ホイッスルを前に振り返った視線が、真っ直ぐ自分を捉えるより早く。
匡平は沢木の肩にもたれかかると両腕を組んだ。またあのイヤな笑みが蓮科の唇を飾る。余裕じゃねーか。
そっちがその気なら知んねーぞ? 視線の脅迫。
ヤれるもんならヤってみろっつーの。視線の挑発。
けたたましいホイッスルが鳴った。
蓮科が奪ったボールをすばやく放る。流れるようなフォーム。呆れるほど奇麗にスリーポイントが決まってワッとギャラリーが沸いた。挑発返し。心底ムカツク。
「タイム」
脱ぎ捨てた上着を壁際に蹴る。キュキュッ、とコンバースの底を鳴らした。
「春日匡平、参戦します」
片手を上げて宣誓すると、すでに息の上がってた皐月がパチンと匡平の掌を叩いた。
「タッチ交替。俺の恨み、晴らしてやってちょ」
「了ー解」
皐月のいたポジションに立って低く構える。据わらせた視線の先、あいつの唇がニヤリと歪んだ。
俺はオマエの南極二号か?
昨夜は昨夜でヤラしさの限りを尽くされた体が、起きたら起きたですっかりアイツの玩具になってた。
少しキツめに扱かれたソコが赤く腫れ上がり、しっかりと立ち上がる。昨夜から何度も弄られて擦られて、いつもの何倍も過敏になった屹立を指先で揉まれて声が引き攣る。
「も、ヤメ…って…」
疲れ切って満足に声も出せないというのに、そのままゾロリと舐め上げられて思わず腹筋に力が入った。シーツの中でビクビクと戦慄く体を止められない。
「感じてるクセに」
「うるせ…っ」
唾液にまみれたそのモノの感触をことさら味わうように、丹念に絡みつかせた舌先で、薄い唇で、歯と歯の間で過敏な尖りを執拗に甚振られて。噛み締めても堪え切れない悲鳴。
「ん…ッ、ンッ」
「春日ってホント弱いよね、乳首」
口に含まれたまま、台詞どおり動いた舌先が屹立の先端を軽く転がす。
クソ、焦らされてる…焦らしてやがる…。
こうすれば堪らなくなって自分から腰を振ると思ってやがんだ。ソコだけじゃなくてコッチもしてくれって、自分から脚開いてソコを広げると思ってやがんだ…。
チクショウ…チクショウ…。見透かされてる。そーゆう自分が何より悔しい。
「も…イイカゲン…ッ」
「どうした? どっかに何かして欲しーのか?」
「ゥ……この、ヘンタイ…ッ」
「口で云ってくれよ。じゃないといつまで経ってもこのまんまだぜ?」
三文エロ小説のスケベジジィみたいな台詞吐きやがって…。でもそれにすら反応してしまうことを知っての煽動だ。シーツの中でさっきから熱い液を垂らしながら、触れてもらえない焦燥にヒクヒクと震えてるソコ。
「いーのか、このまんまで」
駄目押しに耳元で低音を囁かれて、匡平はとうとうこっ恥ずかしい台詞をヤケクソで吐き出した。
この日、匡平が学校に遅刻したこと、そして行為後キレまくったことは云うまでもない。
あれから三日。まだ一回も口を利いてない。
ボールを床に打ちつける音。一瞬で迫ってきたソレにすり抜けざま手を伸ばす。バチっと指先が革に当たった。あっぶねー。伸びてたらいまので爪ヤッてたかもな。少しだけ削れた中指のソレを歯先でちぎってペッと吐き出す。
悠々とディフェンスを振り切った蓮科のパスを受け、水引がオレンジ色のミカサをリングに放った。ネットの揺れる小気味いい音。とりあえずこの不公平ぶりはどうだ? 中等部のバスケ部エースとして名を馳せた瀬能に、春の球技大会でそのバスケ部員らを差し置いてMVPを獲った水引。有り得ねーだろ。
「沢木、入れよ」
チョココルネをペロリと平らげ、指を舐めてた沢木に向かって親指を振る。
「んあ?」
「暇だろ。こっち加勢しろ」
「オレ、食ったばっかなんだけど」
「だから何?」
愚問とばかり首を傾げてみせると、ニヤリと笑った沢木がハイタッチ一回、愛知とポジションを入れ替わった。これでお互いバスケ部エースを従えての対戦だ。笛の音が響きかけたところで。
「ちょっちタイム」
蓮科の制止がフロアに水を差した。
「靴ヒモ直してーんだけど」
「オッケ。ちょうどいいや、三分休憩取ろうぜ」
「おー」
バラけたメンバーが壁際に散っていくのに倣い、沢木の背に続こうとした匡平の腕を。
「よう」
グッと掴んできたゴツイ手の感触。間近で低音が囁いた。
「せっかくだから何か賭けようぜ?」
「あー、せっかくだもんなァ」
前を向いたまま視線は合わせない。
「何がいい?」
「俺が勝ったら、向こう一週間エロなしな」
「いいぜ。一週間くらいお預け食ってやるよ。その代わり俺が勝ったら」
さらに潜めた声が鼓膜をくすぐる。
「今晩、騎乗位な」
「な…ッ」
「その腰抱えて、下からツいてツいて突きまくってやる」
「テメ…っ」
「それとも春日、俺の上で卑猥なダンスを踊ってくれるって?」
「いい加減にしろよッ」
「なーに、そっちが勝ちゃいーだけの話だろ。簡単じゃねえか」
腕の拘束が緩みヘタリと落ちた手が腰に当たった。信じらんねェ、あのオトコ…。いっぺん死ね、死んでこいキサマ!
遠ざかる背中に小声を叩きつけてやる。
「向こう三週間に延長すんぞッ」
「じゃあこっちはオプションで手錠つきな。ヨロシク」
ハラワタ煮えくり返るってこーゆう感じ? 背中で笑ってやがる。
「どーかしたわけ、春日?」
壁際でダカラ飲んでた沢木の首に無理やり腕を巻きつけると、匡平は強引に下げた耳元に「なあ」と吐息ごと台詞を吹き込んだ。
「俺、死んでもあのバカに勝たなきゃなんだけど、協力してくんね?」
「具体的には何を?」
「おまえのその天賦の才で」
ギフトで。叩き潰しちゃってくれよ。完膚なきまでに。
「へえ?」
短めの睫毛が一瞬伏せてまた持ち上がる。自前の鳶色の目が間近で匡平を見つめる。
百九十センチなんていうガタイしてるわりにぜんぜん愚鈍そうに見えないのは、ひとえにこのノーブルな顔立ちによるところが大きいのだろう。けして長すぎず短すぎもしない灰色の髪に、スッキリと覆った品のいい顔立ち。女子たちが北欧系とか呼んじゃってるソレ。
沢木が高等部から入ってきた時、かなりの話題を攫ったのは事実だ。人選に間違いはない。
「痴話ゲンカに巻き込まれんのって趣味じゃねーんだけど」
「悪りィな。たぶんソレ、もう手遅れ」
何のためにこんな接触接近してると思ってんだよ。あのオトコが意外に嫉妬深いのは十月の一件で経験済みだ。沢木には悪いが道連れになってもらおう。
「…ぽいな」
「つーことでヨロシク頼んます」
「ヤリクチ汚ねーな、春日も」
「そういやこないだ、御門先輩がさー」
「何? ミカド先輩が何?」
北欧系のガタイ王子は、なぜか一個上の御門刑介にベタ惚れだ。毎朝くり返される熱いラヴコールっぷりはすでに学園名物の域だ。
「こないだ誕生日にアレが欲しいって云ってたよ」
「何、アレって?」
「勝ったら教えてやるよ」
「キタナッ」
「おー、何とでも云え」
正々堂々やって勝てる自信がないわけじゃない。ただ負けたくないだけだ。
開始の笛が待ち遠しい。ジャージから覗いてる太い首筋。いっそココに噛み付いてやろうかと思ったけど、さすがにそれは沢木に悪いのでやめておいた。すでにもう視線が痛い。
「ようご両人、何イチャついてんのよ」
「おう、いートコにきたな」
ニヤついてる日比野にも死んでも負けられない旨を体で叩き込んでやる。ちょうどコブラツイストでギブを取ったところで、コートの方から再開の声が上がった。
「イテテ…、痛いワ、春日」
「何だよ。いい準備運動になったろ」
「そら、自分がやろ?」
「あ、バレてた?」
露見した目論みはともかく、勝負はこれからが本番。
振り向いた先で沢木の冷たい鳶色がシンと冴えていた。コイツに関してはものすごく自分と似てるなって思うところがある。バカみたいに負けず嫌いなところ。点差は十二点。沢木なら一人で引っくり返してしまうかもしれない。それはまたちょっと本望じゃないんだけど。
「ナイッシュー」
ホイッスルが鳴って、三秒後にはネットが揺れてた。
宙に浮いてた長身がいまようやく床に着地する。まずは二点。
「春日」
飛んできたボールを日比野に放って、うまいことゴール下の沢木まで繋ぐ。またネットが揺れた。
みるみる追いつく点差。水引のパスを素早くカットしたガタイがひらりと宙を舞う。また二点追加。それでもアイツの口元は変わらない。余裕の笑みが消えることはなくて。
ガンッ、とリングにボールが当たる音。
蓮科のシュートはネットを通らずそのまま落下した。
「はいな」
待機してた日比野がそれを沢木に放る。一瞬で送られてきた視線を介して。ゴール下に走りこむと狙い済ましたパスが直で飛んできた。あとはそれをリングに向かって投げるだけ。これで逆転だ。少しは焦ったか? 振り向いた視線を変わらない笑みが出迎える。
「ナイス、春日」
「ああ」
近づいてきた沢木と掌を打ち合わせながら、匡平はどこか釈然としない気持ちを味わっていた。
崩れない笑み。入らないシュート。なんであいつ、スリーポイント狙わないんだ? 取れるパスを取らない。入るシュートを入れない。負ける勝負の捏造。なんで誰も気付かないんだよ?
試合終了のホイッスルが鳴った。
「つーかテメ、本気出してんじゃねーよ!」
駆け寄ってきた瀬能がバカでかいジャージの背中をバンバンと叩きながら笑う。
「ええー、あれが本気とか思われたら俺の名が廃るんですけどぉー」
「フザっケンナ。おまえ放課後、覚えてろ」
バスケ部員同志の軽口を聞きながら視線を泳がせると、水引と何か話してた顔がふいにこちらに向けられた。唇を彩る笑み。なあ、事と次第によっちゃただじゃおかねーぜ?
「よう勝ったじゃん、オメデトさん」
擦れ違いざまかけられた台詞に血が上った。掴んだジャージを引き寄せて睨みつける。
「どういうつもりだよ」
「つもりも何もそっちの勝ちだろ? 潔く引くぜ、俺は」
「手ェ抜きやがったクセに」
「人聞き悪りィなー」
イイカゲン飽き飽きしてたらしいギャラリーとプレイヤーがぞろぞろとコートを立ち去りはじめる。
「蓮科ー?」
「悪りィ、先行ってろよ」
ザワザワとした喧騒が階段を下っていき、すぐに何も聞こえなくなった。ガランとしたフロアに二人きり。向かい合ったまま、視線の駆け引きはまだ続いてる。
「どういうつもりなんだよ」
繰り返した台詞に蓮科がやれやれと肩を竦めた。
「おまえは勝ちたかった。俺は負けたかった。ならこれでいいじゃねーか」
「勝たされて嬉しいワケねーだろ。正々堂々、俺と勝負しろ」
「聞き分けのない王子様だね」
「絶交されてーのかよ」
「なんなら破局ってテもあるぜ?」
ピリっした空気が頬に当たって痛い。
まだ口元は笑ってるくせに。オマエのそーゆうトコ、ほんとムカつく。いつでも高いトコから見下ろしやがって、余裕の態度を崩さない。そう、こんな時でさえ。一度でいいからコイツを見下ろしてみたい。目の前に平伏させてみたい。漲る自信を地に貶めてやりたい。
「取れよ」
転がってたボールを拾い、手加減ナシに思い切り投げつけてやる。バシンと派手な音が鳴った。
「十分一本勝負。負けた方が勝った方の云うことを何でもきく」
「何でも?」
「あー、何でもだ」
負けたら騎乗位でも何でもやってやるよ。なんならおまえがご自慢だとかいってる馬鹿げたコレクション、片っ端から試してみるか? そん代わりこっちが勝った時は覚えとけよ。
そのムカツク頭、フロアに擦りつけてやる!
「後悔しねーな?」
「むしろさせてやるよ」
首にかけてたタオルを壁に投げつける。
それを追うように蓮科のジャージがバサリと壁際に投げ捨てられた。
「カウントよろしく」
蓮科が投げて寄越したタイマーを十分に設定してそれも床に放り捨てる。
一回、二回、三回。
ボールがフロアを叩く音。
Tシャツの中でじわじわと筋肉が張り詰めてくのがわかる。ドリブルの音を数えながら、重ねてた視線がずれた一瞬。右横を擦り抜けようとしたプーマの目前、匡平は素早く立ちはだかった。
「そう簡単にゃ抜かせねーよ」
「元より承知」
「あ、てめッ!」
突如、ゴールに向かって高く高く放られたボール。
着地点に走りこもうとする体に一歩出遅れ、まともに背中のロゴを見送る。
「…クソっ」
すぐに追いかけるも僅か及ばず。伸び上がる体に陽射しが阻まれた。逆光の中でネットが揺れる。
「チキショウ!」
「まずは先制だな」
胸に押しつけられたボールを片手で受け取る。
だーからその余裕の態度はどっからくるんだっつーの!
流し目に滲ませた余裕の二文字が、匡平の闘志にだくだくとガソリンを注いだ。オーケイ。そっちが虚をつくのが得意ってんならこっちもそれに乗るまでだ。自然、唇の片端が引き上がる。
「いくぜ」
ドリブルでゴール下に滑り込む、と見せかけて一歩退く。
踵が床に着くよりも前に。
放ったボールがリングを潜り抜けていた。コントロールにはいまひとつ自信がなかったが、天は匡平に味方してくれたようだ。
「っしゃ!」
「なるほどな」
ネットから落ちたボールが硬い床を打つ。
三度目のバウンドでそれを受け止めた蓮科が、ふいに天井を仰いで動きを止めた。降ってくる轟音。
開け放された天窓から落ちてくるのは飛行機のエンジン音だろう。グラウンドで体育中らしい下級生らのはしゃいだ声も、僅か混じってここまで届く。
「なんか、昼下がりって感じだな」
右から左へ、フロアを鳥の影が横切っていった。
瞼に引っかかる黒い残像。
「確かにな…」
天窓から差し込んだ光がエンドラインを淡く照らし出す。入り口付近では相変わらずキラキラと埃が舞ってて、あまりの眩しさに目を閉じる。そうすると黒い残像がより鮮明になるのはなぜなんだろう?
長閑な午後の風景。
何かに急かされるでなく、追い立てられるでなく。
こんなふうに時間を使えるということは、もしかしたらひどく贅沢なことなのかもしれない。
許された特権。そうか、だからモラトリアムっていうんだよな。
「さてと、閑話休題」
「まだ同点だぜ?」
振り出しに戻った勝負の行方はこれからが本番だから。
タイマーが鳴る気配はまだない。二度、三度と続けてフロアを打つ音。鼓膜から、波打つ靴底から、ぶつけた視線の先から。快い緊張感が戻ってくる。
「どっからでもかかってこいよ」
匡平は低く構えると、詰めてた息を浅く吐き出した。
結局は二ゴール差。
あと三十秒もあれば追いついてた流れだっただけに。
「チクショウ…」
タイマーが鳴った瞬間、匡平はガクリとその場に膝を着いた。張り詰めてた力が一気に抜けてく。あーあ、立ち上がる気力もねーよもう…。近づいてきたバッシュが目の前で止まる。
「タイムオーバーだな」
「…解ってるっつの」
嫌味かコノヤロウ。
無用な念押しにムカついて顔を上げると、そこには予想に反した顔つきの蓮科がいて。匡平は視線を繋いだまま、しばしその顔を見つめていた。なんだ笑ってねーじゃん。
「立てるか」
差し出された手に首を振る。
動けねーってしばらくは…。なんか根こそぎ体力使い切った感じ。
「ま、さすがに俺も疲れたけどな」
そう云って蓮科が浮かべたのはいわゆる苦笑ってやつで、そこには疲弊とともにうっすら別のモノも滲んで見えてた。蓮科の投げたボールがバウンドしながら反対側コートへと転がっていく。
「座れば?」
「ああ」
フリースローライン上。何とはなしに二人、並んで天窓を見上げる。
「…何か、云えよ」
「何かって?」
「おまえが勝ったんだろ。…何でも云えよ」
負けてまで四の五の云う気はねーよ。手加減した覚えもされた覚えもなくて、これが結果なら従うまでだ。腹括ってやるから。云えよ、何でも。
「ホントに何でも?」
「しつこい」
ここで逡巡を挟むようなアザトイこともしねーよ。だから云えって。静かに台詞の続きを待ってると「そうだな…」と溜め息に似た声が小さく呟いた。
「じゃあ、膝枕がいーな」
「いま?」
「すぐ」
つっても、膝枕なんかしたこともされたこともねーからな…。
一瞬どうしたものか迷っていると「キョウ」とめずらしく名前を呼ばれた。
「ヒザ、立たせろよ」
指示通り膝を立てると、やおら膝頭をつかんだ手がそれを左右に割り開いた。
「わッ」
「逃げんなっての」
反射的に後ろに逃げた体を足首つかまれて固定される。さらに開かされた足の隙間に寝そべった体が、匡平の腰に太い腕を回してきた。正面から抱きつかれた恰好だ。下腹に蓮科の頭が乗っている。
「これって膝枕、ちがくねェ…?」
「いーからじっとしてろって」
密着した体から体温が移ってくる。
目を閉じた横顔。揃った睫毛がキレイなカーブを描いて薄い瞼を縁取っていた。
普段は見えない頭の天辺、それがいまは目の前にある。
なんか大型犬に懐かれてるみてェ…。思わずクセのない髪を掻き回すと、ふわりと嗅ぎ慣れたシャンプーの匂いがした。指の間を擦り抜ける感触が心地いい。
「なあ…」
呼びかけても、結ばれた唇が動く様子はない。
匡平もそれきり口を噤むと、そのまま柔らかい髪を撫で続けた。
鳥の声が頭上を過ぎる。振り仰いだ先に白い軌跡が伸びてるのを見つけて、匡平は急に懐かしい感慨を味わった。ヒコーキ雲なんて久しぶりに見たかも。どこまでも続いているような白いラインが、ゆっくりと時間をかけて青に溶けていく。
素直じゃねーのはお互い様か。
口を利かなかった三日間、コイツも実は食らってたらしいダメージがさっき見えたから。余裕の唇が本当はそうでもないんだって解ったから。もういいや。そーゆうことにしといてやる。
じっと物云わぬ横顔を見つめる。
ノラリクラリとつかみどころがなくて、誰にでも八方美人的に優しくて、喋ってても喋らなくても蠱惑的に甘い唇。そして時に、唇より流暢に物を語る瞳。
ムカつくくらい節操ないけど、ヒトをヒトとも思わぬよーなコト、たまにしやがるけど。
でもこれが惚れた弱味ってヤツ?
こんな顔、見せられていつまでも怒ってらんねーよ。
飼い主に叱られた犬みたいに神妙な顔つきで目を瞑ってるオトコマエ。こんな顔が見られるんならケンカもたまには悪くないなと思う。得られるものがあるならそれは無駄じゃない。
いつのまにかヒコーキ雲はすっかり空に溶けてた。五限終了のチャイムが鳴る。
「ああ、鳴ったか…」
「俺、つぎ必修なんだけど」
「解ってるって」
モソモソと起き上がった体が離れていく。
「ほらよ」
先に立ち上がった蓮科が落ちてた匡平の上着を放った。それを受け取りながら身を起こす。やべ、ちょっと膝にきてんな…。どうにか壁際まで歩いてったところで、一度穴あきパネルに背中を預ける。
「やーべ、体力ねーかも俺…」
準備運動が充分でなかった報いだろうか? 油断すると膝が抜けそうになる。俯き加減にコンバースの爪先を見てるといきなり視界が暗くなった。
「んっ」
反射的に上向けた唇を捕らえられる。
軽く触れるだけですぐに離れたソレが、匡平の目と鼻の先でニヤリと笑った。
「あとは何してもらおーかな」
「フザケンナ。やったろ、膝枕」
「一つだけ、とは云わなかったろ?」
「なっ」
言質を捕らえてしてやったりとほくそえむオトコマエ。
「男に二言はねーよな、もちろん?」
「……!」
言葉を失った顎先を捕えて、薄く開いた唇が近づいてくる。
なあ、放課後までに何度キスできると思う? 間近で見つめた瞳の奥の言葉。
カッと頬が熱くなった。ヤバイ。ただでさえ膝が笑ってるってのにあの唇にやられたら…。立ってられる保証がない。つーかさっき煽ったの、いま思い出したし。ぜってえコイツ根に持ってやがるよ。沢木と絡んでたの、追及してくる。マズイ、しくじった…。
だから六限、必修なんだっつの!
逃げようとした体を壁に押し付けられて、その罰とばかり強引に唇を塞がれる。
「んン…っ」
予鈴が鳴っても終わらないキスに匡平が理性を侵食されるまで。
たぶんそう時間はかからないだろう。
end
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