桃とさくらのフルーツティー



 メニューにその文字を見つけた時点ですでに予測済みだったオーダーを南がにこやかに告げる。

「桃とさくらのフルーツティーで!」

 南という人間は桃という字には逆らえない仕様になってるらしい。
 花のような笑顔につられたように店員が爽やかげーな笑顔なんか浮かべやがって、おいテメエざけてんじゃねーよと思う。気に入らねーな。
「あと、エスプレッソな」
 メニューを投げるように突っ返してウザイ店員を追い払うと、俺は懐からライターとマルボロを取り出した。
 氷の妖精が見たいと散々騒いでた割りに「キモ!」の一言で終わった顛末、池袋まで繰り出した意味があるんだかないんだか。クリオネも立場ねーよな。予測できた範囲内の出来事ではあるけれど。
「桃でサクラなんて俺のためにあるようなお茶だよね!」
「ああ、そうだな」
 おかげでいま南の頭を占拠してるのは、クリオネではなく桃一色だ。
 卒業前の休日をわざわざ潰してまで水族館に来る意味があったのかどうか、果たして疑問だがまあそれはそれでいーかとも思える。卒業前に東京をブラついとくのも悪くはないよな。こっちで生まれ育った南はなおさら。
 ココを離れてしまう前に。
 南から一番遠い位置に灰皿を置いてマルボロに火をつける。「ピーチ風味って幸せの象徴だと思うんだよね」などと真顔でプライベートオピニオンを展開し始めた南に、適当に相槌を打ちながら無難に煙草を縮めてると「お待たせいたしました」白い筒芯が二分の一になったところで、件のお茶が運ばれてきた。途端、南のはしゃぎようが最高潮に達する。

「すっごいピンク!!」

 傾けたティーポットから流れ出した液体が、白いティーカップを桃色に染め上げる。桃と桜じゃピンク以外になりようがないとはいえ、それはあまりにも鮮やかなピンク色だった。
「へえ、キレイだな」
「ね!」
 鼻腔をくすぐる芳香は、まさに桃。
 南がウットリと、とろけそうに甘い笑顔を見せながらカップを口元に運んだ。
 南曰く、桃は幸せの象徴らしいからな。安い幸せで羨ましいぐらいだ。だが  

「……ッ!!!」

 僅か一秒でそれが崩れ去るとは、さすがの俺でも予測不可能だった。
 声にならない悲鳴を上げながら、南が小作りの顔をめいっぱい顰めて目じりに涙を溜める。やれやれ、手のかかるやつだよなホント。そういうところがまた俺の気を引いてしょうがないのかもしれないが。
 細い顎を持ち上げて、傾けた唇に自身のそれを重ね合わせる。薄い唇を舌で割って、飲み込めずにいた液体をそのまま引き受けると途端、咥内に桃とサクラの風味が広がった。なるほど。確かにこの風味からここまでの酸味は予想できないよな。一口分のお茶を嚥下して動いた喉を、薄目に眺めてた南がボンヤリと見つめている。
「ん…っ、ン」
 柔らかい舌に残る残滓をも削り取るようにもう一度きつく舌を絡めて、それから唇を離す。

「けっこうな酸味だな」
「ウン…」
 ティーポットの横に添えられていたガムシロの半分をティーカップに注いで糖分を足す。これで少しはマシになったろう。酸味は糖分とバランスを取ることで相殺されるはずだ。
 切敷が甘やかした所為でついた悪癖、すぐに何でも投げ出してしまいがちな姿勢をここ数ヶ月で少しは正せたんじゃないかと思う。少なくとも一度自分が頼んだオーダーを「まずいから」と容易に投げ出すことは最近めったになくなったから。
「でも、すっごくピーチでしょ…?」
 ボンヤリとした面持ちながらも南が呟いた台詞。三つ子の魂、百までって云うからな。思わず笑うと「何?」可愛く首を傾げた南がまたティーカップに手を伸ばした。
 今度は一口含んでも、あの笑顔は崩れないだろう。
「俺はピーチより、サクラのが好きだけどな」
 ややして桜色に染まった頬が正しく意が伝わったことを物語っていた。
 そう、そういうこと。
 近づいてきた唇をまた捕らえて今度は甘い風味を味わう。
 どんな味にしろ、南越しに味わうすべてが俺にとっては甘露に等しいんだと、オマエが解ってればそれでいい。


「俺の隣りで咲いてろよ、いつまでも」


 二度目のキスを終えた唇でそう告げると。
「ウン!」
 と、満面のサクラが華々しく、麗らかに咲き誇った。


end


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