Deep Throat



 約束の時間よりも少し早く着いた食堂。授業中にも関わらず数人の生徒が思い思いの場所で早売りのパンを食べたり雑誌を広げたりしている。今日はシッカリ朝メシ食ってきたからな、ブランチの気分でもないし。ポケットの中の小銭をチャラチャラ云わせながら、とりあえず待ち合わせ場所のテラスを目指すと、ふいに鼻先をかすめた匂い。桃に混じって甘いミルクの匂い。

「チース」
 声をかけた途端、ビー玉みたいなキラキラした目が真っ直ぐに匡平を見返してくる。ああ、ミルクの匂いの正体はソレですか。食堂の片隅で売ってるアイスミルクバーを口いっぱいに頬張った南が不明瞭な声で「あ、はふはは」と云った。あー…なんかそこはスルーでいいや…。
「何やってんですか?」
「ディープスロートの練習ー」
「……へーえ」
 聞かなきゃよかった。ホント聞かなきゃよかった…。
 匡平が見てる目の前で南の唇からミルクバーが何度か出し入れされる。喉の奥までゆっくり突き入れてはウェッ…と小さくえずきながらも、南がめげる様子はまるでない。唇の端から含み切れなかったミルクがタラリと一筋零れる。ウワー…。自然、働く想像力が恨めしいというか、無理ないというか。それを舐めとる赤い舌の動きや啜り上げる音、唇のカタチ、いまとなっては全ての仕草が桃色のフィルターを通して見えてくる。
「何もこんな所で…」
「やっぱね、練習あるのみだと思うんだよね。だからヒマさえあればなの」
 溶けかかったバーの滴りを音を立てて啜りながら、南は至って真面目に鍛錬を続けている。これはアレかな…ヘンな色眼鏡で見る方がおかしいのかな…。いやそんなコトはないはず…。しかしそもそもの話、コノヒトに常識を求める方が間違ってるのだからして、この場合折れるべきなのは自分の方なのかも知れず…。匡平が数秒の間、自身との対話を試みてるうちに南は急に立ち上がると、食堂の隅へとヒョコヒョコ歩いて行ってしまった。

「ハイ」
 帰ってきた南に差し出されたモノを見て思わず次のリアクションを見失う。
「えーと…」
「先輩が奢っちゃる。ありがたかろ?」
「エート…?」
「早くしないと溶けるし!」
「ア、アリガトウこざいます…」
 反射的受け取ったソレの冷たさがジンと掌を痺れさせる。そういやミルクバーなんて食うのいつぶりだろ? とかボンヤリ考えてたらビー玉の耀きがキッと匡平のことを睨みつけてきた。
「早くしないと溶けるでしょ!」
「え、あ、ハイ」
 半ばキレ気味の声に急かされるように袋を開けると、体温で溶けた部分が袋の内側にミルクのシミをつけていた。ま、フツウに食やいいんだよな。つーかなんでキレられてんだろな…。南のキレ所は匡平にはいま一つ理解できない。先端部にサクっと齧りついたところで今度は非難がましい視線が匡平の全身に降り注がれた。え…? まさか一緒に練習をしろ、と…?
「リピート、アフタミー」
 窄めた唇にミルクバーを抜き差ししながら、南がキラキラとした目をこちらに向けてくる。こりゃダメだ…。南の中で完全に匡平は「練習仲間」にカテゴライズされてしまったようだ。つーか素面じゃとてもソンナコトできません…。カンベンしてください…。
「超キモチイイらしいよ、ディープスロート。喉の奥で吸い込むようにして咥え込むと、奥の方がヒクヒクってして最高なんだって」
 ああ、そーなんですか…。ゲンナリした心持ちでミルクバーを見つめてると、溶けた雫がタラリと白い頭身を滴った。慌ててそれを舌先で拭い、バー自体を唇の奥へとぎゅっと押し込む。南の果敢なチャレンジはまだ隣りで続いてて不定期にウェ…っというえずきが何度も聞こえてくる。
 食堂の片隅、半径20メートル以内に人はいないし、こちらを気にしてる人間もいないし。一回くらいならいいかな…。ほんのちょっとした思い付き。それがあんなことになるとはユメにも思わず。
「ウゥエ…ッ」
 思いきりよく突き入れたのが不味かったのか、匡平は込み上げてきた嘔吐感に慌てて掌で口を塞いだ。あんまり焦ったもんだから咄嗟に呼吸を間違えてさらに噎せ返る。

「ナニやってんの?」

 何もそんなタイミングで、って間合いで現れた英嗣がいまにも落ちそうになってたミルクバーを匡平の手から取り上げる。それから取ってつけたように「チハース」と南にヒョコリと頭を下げる。涙で歪んだ視界の隅、それを捉えながら、あ、マズイって思った瞬間。
「あのね、ディープスロートの練習してたの」
 南の口からあっさりと手榴弾が転げ落ちてきた。
「へーえ、ディープスロート」
「そう。気持ちいいらしいって聞いたから会得しようって思って。ね、春日」
 それはアンタだけ、アンタだけだ!! 反論しようにも自己弁護しようにも、続かない息がそれを尽く阻んでくれる。
「倉貫先輩、喜びますよきっと」
「でっしょ?」
 アイツの声がニヤついてるのが解るから居ても立ってもいられなくなる。けど走り出そうにも逃げ出そうにも息が続かなくて…咳のし過ぎで肺が痛いったらありゃしない…。ゥェ…ッって声が小さく聞こえて、南が隣りでまた鍛錬を再開したことを教えてくれる。
 アンタ…自分がどんだけの火薬ぶちまけてくれたのか解ってんの…?
「…………」
 数秒の沈黙の後、急に走り出そうとした匡平の試みを阻止したのは英嗣の片腕、掴まれたパーカーのフードだった。
「まあ、待てって春日」
 フードを掴まれたまま溶けかかったミルクバーを差し出されて逡巡してると、それを笑うように英嗣の薄い唇が冷たいミルクバーをゆっくりと食んだ。啜り上げる音に、滑らかな舌の動きに、思わず首筋が震えたのも丸見えだったろう。パーカーなんか掴まれてたおかげで。

「だから違うんだからな!」
「ハイハイ」
「そんな練習してたのはアノヒトだけなんだからな!」
「ハイハイハイ」
 それからコトあるごとディープスロートをネタにされたのは云うまでもない。


 ちなみに手榴弾が爆発したのはその晩、英嗣の家でだった。


end


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