晴れた日には



騎士は、姫を守るため。


午前10:30。
朝の最終バスを窓越しに見送り、すでに一時間以上が経過している。
駅ビルのカフェ。水曜の朝恒例の朝食を摂りながら、英嗣は二杯目のコーヒーに口をつけた。隣りでは盛大なアクビをかましながら、まだ眠気の覚めやらない匡平がぼんやりとトルティーヤを眺めている。
「食わねーの?」
「…食う。もうちょいしたら」
恐ろしく朝の弱い匡平を、飲み会の翌朝などきちんとココまで連れ出してくるのは英嗣の役割だった。
「今日オレ、金欠」
「俺も。徒歩か、路バスか? …路バスだろうなァ」 
「乗合タクシーって手もあるぜ」
外を通りかかる顔見知りがヒラヒラと手を振るのに応えながら、英嗣が顎でロータリーの端を示す。
「誰いる?」
タクシー乗り場にたむろする人影を眠い目で確認しながら、匡平が気乗りしない声で訊いた。
「葉山と桜沢。あと越智と山代に…ああ、設楽たちがきた」
「じゃあこれで一台、行ったな」
「いや二台」
気のいい運チャンに当たると恐ろしいことに7人相乗りなどという暴挙に出てくれるコトもあるのだが、今日は堅実に4:3で分乗することに落ち着いたらしい。賑やかな面々が速やかに運び出されて、ロータリー前にどことなく空虚な雰囲気が漂う。
「…路バスだな」
客待ちのタクシーもしばし打ち止めか、やってくる気配をまるで見せない。
「俺、ダイヤ覚えてねー」
「どうせ始発だから、バスきたところで店出りゃいいだろ」
「だな」
カウンターに片頬を預け、眠そうに匡平が瞬きを繰り返す。
懐かない猫のように。
特定の人の前でしか見せない表情。
ふだんスキのないヤツだからこそ、特権の優越感が英嗣を酔わせる。横目で盗み見るように無防備な横顔に見入っていると、匡平の唇が小さく「あ…」と呟いた。
「若菜だ」



「…待ち伏せですか?」
「ハハ。待ち伏せするほど、キミに傾倒してるつもりはないんだけど」
「…………」
押し黙った若菜を楽しげに眺めながら、早足になった若菜の後ろに長いコンパスで歩調を合わせる。
「ウソだよ。本屋にいるのを見かけた」
同じ書店の紙袋を持って、聡明な笑顔が若菜の隣りに並んだ。
「先輩が遅刻だなんて、珍しいコトもあるんですね」
「そう? 今度、人間の多面性について語り合おうか」
クスリと笑ってから、日向は長い腕を曲げ左手の時計に目をやった。
「路線バスならあと十分だね」
「ダイヤ暗記してるんですか?」
「しょっちゅう改正してるけど、三年も通えばだいたい把握できる」
閑散としたロータリーに古びた車体が滑り込んでくる。降車場で全ての客を吐き出してから、正面の行き先別のプレートをくるくると回転させる。
「片道270円。値上がったんだよ、知らなかった?」
掌の硬貨を見透かした日向がハイ、と若菜に右手を差し出した。
広げた掌に十円玉が三枚ジャラリと落とされる。
「…アリガトございます」
計270円の小銭。
プレートの目的地が定まったところで、緩やかに走り出したバスがロータリーを一周する。ゆっくりと、銀色の車体が三番の停留所に入ってきた。
プシューと音をたてて開いた扉に、数人の乗客が吸い込まれていく。
その中に見知った制服は含まれていなかった。
木枯らしが運んできた木葉をくるくると巻き上げる。その欠片が若菜のクセのないショートヘアにふわりと絡まった。
「……」
背後から伸ばしかけた手を。
何もなかったように、日向はコートのポケットに戻した。



「葉っぱついてるぜ、若菜」
灰色の葉っぱを片手で摘み、宙に散らすと匡平はフワァーと猫のようなアクビを披露した。
「ああ、春日」
「ねみィ…。今日の体育って六組と合同だっけか?」
先に乗り込んだ英嗣に続いて、匡平がステップを上がる。カシャンカシャンと硬貨を落としながら、差し出した片手で華奢な体を車内に引き上げる。
「剣舞かー。アタシ、前回休んだからその分知らないのよね」
「冬休み前に補習やるって、各田さん息巻いてた」
「うわ、ありがた迷惑…」
ケラケラと笑い合いながら中間の二人掛けに仲良く腰掛けるのを、英嗣は一番後ろの席で眺めていた。
「ここ、いいかな?」
穏やかな声で了承を挟み、その一つ前の席に長身の年上が座る。
ブザーと共に扉が閉まり、バスは定時に駅を出発した。寡黙な先輩を横目に見やる。と、その視線に気づいたのか、日向は柔らかく笑って云った。
「騎士が現れるとは思ってなかったよ」
「俺も春日も、ナイトはとっくに降格されてますよ」
「そうかな」 
至極眠たそうに、若菜の話にハイハイと匡平が相槌を打つ。
その気のない様に若菜の鉄拳が脳天に炸裂する。
「い…ってェ」
今日はじめて匡平の目がしっかり見開かれたのを横顔で確認し、思わず英嗣は笑みを零した。
「俺の王子はあそこにいますから」
進行方向を変えた車内に明るい日が差し込む。日向の目がわずかに細められた。
「…ああ」
日だまりに包まれて、ふらふらと眠そうに匡平の首が傾ぐ。
「そっか」
「先輩こそ、ヒメが二人もいるじゃないですか」
「ハハ、どうなんだろう」
楽しげに目を細めて、日向は流れる景色に視線を流した。
「彼女は彼女の騎士だからね」 
「もう一人の彼女は?」
「彼女は参謀」
そう云って、日向はまた柔和な笑顔を見せた。


田舎道をバスが進む。
途中の停留所で日向の知り合いが乗ってきてその隣りに座った。卒業製作のテーマ論に耳を傾けながら、英嗣はふいに浮かんだフレーズを口ずさんだ。
山の向こうに澄んだ青空と薄い雲が見える。
「ちょっと寝かして」
揺れる車内をふらふらと移動してきて、匡平は英嗣の隣りに腰を下ろすとすぐさま目を閉じた。肩に慣れた重みがかかる。

よく晴れた日。
よくある日常の風景。
晴れた日に永遠が見えるなんて誰が云ったのだろう。

オールドムービーのメインテーマを口ずさみながら。
無防備に投げ出された手を取り、指を絡める。


騎士は、王子を守るため。


end


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