CUBE



 いつでもどこかに閉じ込めておきたい。
 この世界でただひとり、自分だけのものにしてしまいたい。
 欲望という名のエゴにまみれて。


 日曜はなんとなく蓮科の家に入り浸るクセがついてる。
 蓮科の家ってのは変わってて、一つの家の中に家族分のエリアが区分されて存在している。玄関を入って左右にそれぞれバスとトイレを備えた棟があり、いまは両親と兄弟とで棟を別けて暮らしているらしい。両方の棟を繋ぐ部分に玄関と共同の広いダイニング、そして中庭とがあるという不思議な構造をしている。新進気鋭の建築家を父親に持つとこういう家に住むことになるのかもしれない。更に不思議なのはいつ訪ねても他の家族に会ったことがないということだ。同じ棟に住んでいるという、蓮科の兄貴にさえまだ一度も会ったことがない。広いだけにいつもガランとした印象がある。空っぽの箱みたいな。住宅街の真ん中にある所為かそれとも構造上、建築の上でなにか工夫があるのか。とても静かで落ちつく家だ。
 おかげで日曜ごとに、すっかり入り浸るクセがついてしまっている。


「蓮科の兄貴っていくつ?」 
 まるで自分ちにいるかのように、ソファーにだらしなく身を投げ出してペットボトルに手を伸ばす。いわゆる何様状態ってやつだ。
「二十四。社会人やってるよ」
「へえ。けっこう離れてんだ」
 前に一度だけ、間違えて蓮科の兄貴の部屋に入ってしまったことがある。モノクロームで統一された落ちついた雰囲気の部屋だった。最小限の調度品。壁にはオールドムービーのポスターが張ってあって、見たことはあるけど名前は知らない女優が物憂げな顔でこちらを見ていた。室内に漂う控えめな香り。大人のオトコの匂いだ。
 部屋というのはその部屋の主の性格や嗜好を鏡のように映し出すものだ。会ってみたい、とその時思った。この部屋の主に。蓮科の兄という人に。そう云ったら蓮科はしばし言葉を選ぶように黙って「面白みのない人間だよ」とだけ云って笑った。
 今日もいつものように、近くのレンタルショップで借りてきたビデオを無為に消化しながら時間を過ごす。昼食は蓮科が作った。俺のお抱えシェフはなかなか芸が細かくレパートリーも広い。が、最近は手間がかからないからという理由で、パスタを作ってくれることが多かった。面白いことに左右の棟にはそれぞれ小規模なキッチンがついていて、こちらの棟のキッチンは蓮科が定期的に食材などを補充し、管理しているらしい。聞いてみると両親も互いに仕事を持ってるせいか活動時間がバラバラだという。家族それぞれが自分のライフスタイルに合わせて生活している、という感じがする。同じ家の中で。
 蓮科の子供時代ってどんなだったんだろう。いつか聞いてみたい気がする。
「しかし低予算でもアイディア次第で、すげー映画が作れるもんだな」
 延々と続くキューブの中を、閉じ込められた人々は仕掛けられた罠をいくつも潜りぬけ、決死の脱出を志そうとする。果たして出口があるかどうかも解らない迷路の中。上へ下へと彷徨い歩き試行錯誤する。恐ろしい罠で死に至る者。誰もが心身ともに満身創痍だ。暴かれるエゴと本能。揺らぐ正義の定義。人間の定義。生きるってなに?
「俺はあんなトコ、閉じ込められたくねーなぁ」
 エンドロールが始まったところで、俺は二時間ずっと寝転ばせてた体をソファーの上で思いきり伸ばした。すぐそばで、ギシ…という音がして目を開ける。と、ソファーに手をついて蓮科が真上から俺を覗き込んでいた。
「そうか? 俺は春日を閉じ込めときたいけどな」
 真顔でサラリとそんなことを云われ、俺が思わず言葉に詰まるとアイツは楽しそうに笑ってこう付け加えた。それもわざとに違いない、反則技低音を耳元に吹き込まれる。
「春日は思わない? 俺をどこかに閉じ込めて自分だけのモノにしちまいたいって」
「…………」
 そんなコト、思わないワケないだろう。
 こんな軽いオトコ。野放しにしてたら俺の心臓一年も保ちゃしねーよ。この半年で身に沁みてそれを実感させられてた。こないだもコイツ廊下で上級生を口説いてやがって、しかもそれをご丁寧に早乙女が俺んとこまで教えにきてくれた、迷惑なことにも。今回は現場見なかっただけまだマシかもしんねー。
 蓮科、オマエ知ってる? オマエが誰かに手を触れるたび、その唇を重ねるごとに。心から、体から、俺はナニかを失ってくんだ。痛みを誘い、切なさを伴い。オマエにとってはそんなのどうでもいいコミュニケーションの一つかもしんないけど、俺にとってはそうじゃない。心が血だらけになるんだ。そーゆうのオマエ知ってる? なあ。
 どこかに閉じ込めて、俺だけのものにしてしまいたい。オマエなんか俺のことだけ考えてりゃいーんだ。他のこと何にもいらない。オマエがいて俺がいて。それだけでいーじゃん。他に何がいんだよ。
 俺のことだけ見てて。恥ずかしげもなく、そんなこと口に出来たらいい。頼むからさ、俺にだけ微笑んで。誰とも話さないで。心を開かないで。そんなの絶対、無理だと思うけど。でも俺、オマエにならそうされたい。蓮科にならそうされてもいいんだ。むしろそうして欲しい。どこかに閉じ込めて、オマエのことで頭いっぱいにして欲しい。不安なんか突け込む隙もないくらい。夜も昼もなく俺を支配して。俺だけのものでいて。他の誰の名も口にしないで。
 なんて云えるわけもなく。
「思わねーよ、そんな変態じみたこと」
 つい憎まれ口を叩くと、急に蓮科が真顔のままで俺の口を塞いできた。大きな掌が俺の口を覆う。
「悪いな。俺は変態だからサ、おまえのコトどっかに閉じ込めたいって思ってる」
「なに云って…」
「ぜんぶ俺のもんにしたいんだ。指先から髪の毛一本までぜんぶ。なにもかも春日のすべて」
「ふざけんな」
 てめーが云うか、それを? 憤りのまま振り解こうとした手をつかまれて、グイっとソファーに強く押しつけられる。その思いがけない力強さに俺はめいっぱい入れてた体の力を抜いた。なんだよ、それ。本気で云ってるとでも云うのかよ。俺が信じるとでも? あんな好き勝手してるくせに。口先だけで生きてるようなヤツの云うこと、いまさらどうやって信じられんだよ? 自分の中の信じたい気持ちを無理やりねじ伏せて、俺はアイツの真っ直ぐな視線から目を逸らした。
「信じられない?」
「当たり前だろ、ボケ」
「じゃあ信じさせてやるよ」
「な…ッ」
 云うなりいきなり抱きかかえられて、蓮科の肩に「くの字」にして乗せられる。もがく俺をものともせずに、アイツはダイニングから廊下を隔てた自室へと移動した。荷物のようにベッドの上へと放られる。体勢を整える間もなく、カシャンという音がして右手首に堅く冷たい感触を感じた。続いてすぐそばでまたカシャンという音を立てて、サイドテーブルのパイプに手錠が固定される。突然の事態に声もなくしていると、蓮科が無表情に扉を閉ざした。
「解らせてやるよ、いまから」


「やっ、ヤメ…んンぅっ」
 泣いて嫌がっても、懇願しても許してもらえない。 
 いつもなら余裕の顔で俺を翻弄するアイツが、今日は汗ばんだ黒髪を乱しながら服も脱ぎかけのまま眉間にシワを寄せて俺を責め続ける。右手を拘束されて、空いた左手もアイツにつかまれて自由が利かない。
 気が遠くなるような快感のスパークに、もう何度追い上げられていることだろう。


 いつだったか、早乙女が云っていたことを思い出す。
「アタシはね、蓮科の気持ちも解るのよ。相手が自分の中で百パーセントになってしまう不安。歯止めの利かなくなる自分が怖くなるのよ。それでもアタシは欲望のままに突き進んじゃうんだけど、蓮科は自分でストッパーかけてるのね。ある意味、理性的だけど。イコール、相手を信じてないのよ結局」


 気がつくと俺の隣りで眠り込んでるアイツの横顔があった。このバカ。俺なら平気なのに。いつでもオマエを受け止める覚悟はしてるのに。俺でもオマエを不安にさせられんの? そう思うとなんだか可笑しかった。かけられたままの手錠の重みが嬉しいなんて、俺もう終わってんのかも…。しかし、こんなもん用意してるとは思わなかった。俺はとっくにオマエのもんなのに。もうちょっと俺を信用しろよ。カシャン、とパイプから外れた片方を俺は蓮科の左手にかけた。だって、今度は俺の番だろう?
 オマエなんか、俺のコトだけ考えてりゃいーんだ。


 数日後。
「そういやあん時、隣りに兄貴いたんだった」
 蓮科が口にした爆弾に、俺は胸の決心を新たにした。
 蓮科の兄貴には絶対会うまい。…もとい会えるワケねーだろがボケ!
 あまりの羞恥で真っ赤になった俺を、蓮科はしてやったりな笑みを浮かべて楽しそうに眺めていた。


end


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