スクールバスと銃弾



 恐怖のロシアンルーレット_
 凶弾が狙うのは、果たして俺か_
 それともおまえか?


 最近、早乙女が恐ろしいことを公言しはじめた。
 趣味は「料理」だとかなんとか…。
「有永っ」
 駅ビルを出て三歩進んだところで、世にも有り難くない声が後ろから追いかけてきて、俺は思わず眠気でフラついてた足を早足に切り替えた。意に反して逆方向へと向かいながら、この先の対策を慌てて講じる。
「ちょっと待ってよ、何も逃げなくったっていいじゃなーい?」
「イヤ、そうゆーわけにもいかなくってサ…」
 明るいタイルの歩道を降りてロータリーの花壇を次々に飛び越える。スニーカーの底で幾つもの霜柱が音を立てて潰れた。目前の景色が吐く息で煙る。
「何でそうゆーわけにいかないのよー」
「えーと、だからァ…」
 背中でガサゴソと音を立てるバックパック。今日に限って選択美術の課題を持ってきてたりするんだよな。こんなクソ重いモン背負ってたんじゃ、意外に足の速いあのオネエを振り切ることはできないだろう。あーあ、今日は二バスに乗ってくると踏んでたんだけどな…。完全に予測を誤った。有永初志、朝っぱらから恐ろしく手痛い失敗である。
「ちなみにたらふく食ってきたんで、もうメシは入りません」
「あら、甘いものは別腹って云うじゃない?」
「少なくとも俺は違うんで、他あたってクダサイ」
 むしろ三バスを狙った方が安全なのかもしんねーな。明日はぜひともそうしよう。堅い決意を胸に反対側の歩道に飛び乗ると、間髪入れずに白いファーに包まれたオネエが並んだ敷石をグイっと踏みつけた。
「だから、ついてこないでクダサイってば」
「だって今日はすっごくイイ出来なのよォー。いまならまだ暖かいしー、自信作だしー」
 なんですって、自信作? そんなこと聞いたら余計に手が出ないっちゅーの。
 早乙女の手作り弁当がヤバいのは体育祭と学園祭ですでに実証済みである。これ以上、被害者を増やしてどうするつもりよキミ? イヤーマフの所為で聞こえない振りをしつつ、不本意ながらロータリーを半周したところで緑色の車体が視界の端をスルリと擦り抜けた。
 オイオイ、きちゃったじゃんかよスクールバス…。せっかく美術室に忍び込んで総仕上げやろうと思ってたのに、これじゃ何のための早起きだかまるで解らない。
 このままじゃバカみたいに一バスを逃すこと必至だ。
「ほら、バスきてんぜ早乙女っ」
「あーら、そう云う有永こそドコ行くつもり?」
「いやホラ、あんま寒いからサ」
 最初からコレが目的だったんだよね、ぐらいの顔でポケットから出した小銭を自販機に飲み込ませる。
「久しぶりにキャラメルマキアートでも飲もうかなって、…ちょっと早乙女サン?」
「コーヒーなんか駄目、やっぱ紅茶じゃなくっちゃ」
 ほぼ同時にボタンを押したつもりだったのに、零コンマ何秒かの差でジョージアが負けてしまったようだ。早乙女が取り出し口から紅茶花伝のミルクティーを引っ張り出す。
「スコーンにはやっぱ紅茶よねェ、有永」
「ええェー…」
「何よ、じゃあ先月貸した五千円、いますぐキッチリ返してくれるワケ?」
「うわー、スコーン超ー楽しみィ…」
「でっしょー?」
 コレだ。コレがあるからイヤだったのだ。先月あまりにピンチでつい思い余っちゃったんだよな。も、自分バカ過ぎ。救いなさ過ぎ…。
「じゃ、朝ゴハンにしましょ?」
 そのまま早乙女に引き摺られるようにして、俺は一バスのステップをグイグイと上がらされた。



 かくして、恐怖のブレックファーストタイムの幕開けである。
 たまたま一番前の席にいた設楽と途中の席にいた橘と深草、計三名をこれ幸いとばかり強引に巻き込み、おかげさまで地獄の道中は四人で迎えることになった。
「珍しくない? 深草が一バス乗ってるなんて」
「どっかの誰かが目覚ましかけ間違えてね。やけに早起きしちまったよ」
「あーも、うるさいなチクチクと…」
 深草の手が橘のクセのない黒髪をツンと引っ張る。
 引け目があるからか橘はさっきから深草のされるがままだ。それを微笑ましそうに眺めながら、設楽が深く被っていたニット帽を脱いで膝の上に乗せた。暖房で暖められた空気が鼻をくすぐる。
 真冬の一バス利用者は極端に少ない。三人を巻き込めただけでも御の字ってヤツだよな…。一番後ろの座席を早乙女を真ん中に五人で占有する。しかも悪いことに来たのが路線バスの払い下げタイプなもんだから、どの座席からもほぼ丸見え状態なんですけどココ…。周囲のもの物珍しそうな視線が突き刺さるようだ。ただでさえ悪目立ちするからな、あのオネエは。
「じゃじゃーん、今日はスコーンを焼きましたー」
 えーと。昨日は確か加藤が被害者だったんだよな。バスの中で巨大なスペアリブを詰め込まれて、思わず三途の川を渡りかけたとかなんとか。その前の金曜は、橋爪が鉄火巻きでメデタク保健室行きになったとかゆう話を聞いた。だいたい鉄火巻きなんてナマモノじゃん。考えるだに恐ろしい…。
 まあ、それに比べればスコーンなんてまだカワイイ方かな。
 そうでも思わなきゃやってられませんって。
「しかも自信作よっ」
 発車を合図に早乙女が抱えてたトランクから籐のカゴを引っ張り出す。中から出てきたのは、見かけだけで云えばどこからどう見ても立派にスコーンの形をしていた。
 しかし油断は禁物である。
「へー、早乙女が作ったんだ?」
「そう。張り切って焼きすぎちゃったのよねェ」
「ふうん。けっこう旨そうじゃん」
「でっしょー。中にジャムが入ってるのよ」
「あ、イイ匂い」
「…………」
 おいおいキミたち、ちょっと反応が呑気過ぎやしません? そんな悠長に構えてられるのもいまのうちだと思うんだけど…。
「あ、僕いちごジャムがいいな」
 うわー、橘なんて可愛らしい顔に期待まで浮かべちゃってる始末だし。
 でも考えてみりゃ、いままで被害に遭ってきたのって3組の連中だけなんだよな? 他のクラスの連中はウワサは耳にしてても、アレがどれほどの威力を持つモノか、実際の恐ろしさまでは知らないってわけだ。むしろ「ネタだ」くらいに思ってるかもな。うーん、幸せな連中め。
「あれ? 有永、なんかカオ強張ってるよ」
「ん、気の所為じゃね…?」
「でもヘンな汗かいてるぞ、有永」
「平気だって気にすんな」
 部活仲間の設楽を巻き込むのは正直心苦しいんだけど。
 ここは一つ道連れになってもらうしかない。
「さあどうぞ、召し上がれ」
 覚悟して広げられたバスケットの中身に手を伸ばす。だがそのうちの一つに手を伸ばしたところで、早乙女が急に思い出したようにポンと手を打った。
「あ、でもね。今日は咲坂さんが生地作ってくれたのよ」
「え、マジで?」
「ウン。なんかね、じゃないとクラスの子たちが可哀想だって」
 どうゆう意味なのかしらね? と首を傾げる早乙女の横で、俺は思わずその見たこともない咲坂サンに心から感謝の念を抱いていた。アナタのおかげで命拾いしましたヨ。でも、どうせなら料理自体禁じてくれた方が世界平和のためになったと思うけど…。
「でもただのスコーンじゃ芸がないから、そのうちのいくつかに特製ジャムを詰めてみたの」
 あら、雲行きが怪しくなってきましたよ? バスの揺れに合わせて早乙女が立てた人差し指を左右に振って見せる。
「ケールジャムよ。体に良さそうでしょっ」
 ……どんなジャムだよ、それ。
「割合は?」
 いくぶん強張った声で設楽が早乙女に確認を入れる。ようやく事態の深刻さに気付いてくれたんだな設楽…。早乙女を挟んだ向こう側で深草も僅かに眉を顰めていた。
「3個に1個くらいの割合かな?」
 なるほど。要するにロシアンルーレットみたいなもんだな?
 毒殺の可能性は三分の一。運がよければ生きてまた太陽が拝めるってワケだ。これは気合いを入れねばならない。とは云え、見た目はどれもほとんど変わらない。手近の一つをつかむと俺は覚悟を決めて目を瞑った。あとは運を天に任せるしかない。
「いただきます…っ」
 思い切ってガブリ、とスコーンに噛み付く。その瞬間、俺は迷わず神に感謝した。
 うまい、まともなスコーン! そのあまりのありがたさに思わず涙が零れそうになった。
 しかし凶弾は確実にその恐るべき衝撃を、誰かの左胸に打ち込んだはずなのだ。すばやくあたりの様子を窺う。だが誰一人として顔を歪めている者はいなかった。
「あ、僕のマーマレードが入ってたよ」
「俺のはブルーベリージャムが入ってたけど…」
「あらヤダ、あたしがケール?」
 そう云って早乙女が割ったスコーンの中は鮮やかな真緑色に塗れていた。



「要するに味覚がオカシイってわけか」
「だな」
 朝っぱらから今日一日の運をすべて使い果たした気分だ。
 真っ白に曇った窓ガラスの向こうに見慣れた勾配がうっすら見えはじめる。あー、また生きて太陽が拝めるってわけね。それだけでも心底ありがたいと思うよ。
 とりあえず一つずつ食わせたことで満足したのか、早乙女は一つ前の席でさきほどからファーに埋もれて爆睡している。
「三組って、ほんっと大変なんだな」
「…実感こめて云わないでくれる、ソレ」
 設楽の手から帰ってきたミルクティーを一気にあおり空にする。
 坂を上がり、ビオトープ前の定位置でバスが緑色の車体を止めた。ヒタリと沈んだ静かな空気。まだ学校全体が眠っているようだ。
「ところで今日は部活あるんスかね、部長?」
「やる気なさそーな発言だな、有永」
「だって俺、根っからのインドア派だもん。それに哲はもうじき2daysだろ?」
「ま、気が向いたら召集かけるさ」
 通路に踏み出した途端、バックパックが背中に重く圧し掛かる。今日でいい加減、これとオサラバできるといいんだけど…。
「でも俺、放課後空かねー確率高すぎ。美術ダメ出しされらアウトだしサ」
「選択美術の単位はデケーよな」
「だろ?」
 まあなるようになるってもんか…。橘に揺り起こされた早乙女がぼんやり目を開ける。
 その腕にしっかりと抱き締められた籐製のカゴ。熱しやすく冷めやすい早乙女の料理ブームが一日も早く去ることを願いつつ、降車側のステップを下る。途端に冷たい朝の空気が肺をいっぱいにした。雲間から顔を出した太陽がまぶしく校舎の窓ガラスを照らし出している。


 あの凶弾が次に狙うのは、果たして誰の胸だろうか?
 それが自分でないことを心から祈りながら、俺は設楽と共に昇降口へと向かった。


end


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