愛の才能
愛してるとか、愛されたいだとか
口では簡単に云えるけれど
たぶん恋愛って一種の才能なんじゃないかって思うんだよね
「繰り返します、ゲーセン・二号機前の高階三月くん。玄関先でダーリンがお待ちかねでーす」
さっさと引き取りに来ちゃってー、と放送は続く。
なーにがダーリンだよ。ま、タイミングとしては悪かないけどね。
「つーことで俺、抜けますね」
「オイオイ。勝ち逃げかよ、高階」
「恨むんならご自分の腕を恨んでくださいね、先輩」
コントローラー片手に地団太を踏む山代に営業スマイルを投げかけると、俺は206号室・通称「ゲーセン」の扉を後ろ手に閉めた。廊下を歩きながら今日の成果をパラパラと確認する。漱石が四人。なかなか幸先のいいスタートだ。通りがかったついでに201号室「雀荘」の方にも顔を出してみる。
「ちィース、午後のメンツって決まってます?」
「今日は三時まで空かねーよ。キャンセル待ちするか?」
「ぜひとも」
「じゃリストに足しとくよ。おまえ最近、すげー荒稼ぎしてんのな」
「そういうお年頃なんですよ。それにしても」
今日はやけに室内の視界がクリアだ。スモッグ禁止令でも出ているんだろうか? 部屋の中の空気が白くないなんて、冗談でなく初めて見たかも。
「羽鳥先輩が咥えてるあのパイポに原因が?」
「そ。今回の彼女は嫌煙家らしくてね、スモーカーとはキスしたくないんだと」
「うわー、それは切実」
「ソコ! 下んねえ話してんじゃねーぞっ」
いきなり飛んできたティッシュ箱が俺のラヴリーフェイスのすぐ横をかすめていく。廊下の壁に当たったソレが鈍い音を立てて床に転がった。角の一部が見事にひしゃげて見るも無残に変わり果てたクリネックス。禁煙のストレスに加えてどうやら相当、負けているらしい。
「つーか羽鳥先輩、顔はヤメテね」
「そうだぞ、高階の商品価値がなくなったらどうするつもりだ?」
背後から聞こえた声に振り向くといつのまにか食えない長身が真後ろに立っていた。人差し指一本で持ち上げられた俺の顔に空木先輩の唇が近づいてくる。
「ヒメ先輩にチクりますよ、俺」
「ああ、好きにすれば」
薄く開いた唇の口角が楽しげに引き上がる。
重なる寸前に口元を手で覆うと、手の甲に柔らかい感触が押し当てられた。
「俺、そんな安くないですよ」
「ちぇ。貞操堅いよなー、ミツキって」
「空木先輩は今度、辞書でも引いてみてくださいよ。節操なし、って項目の所」
「おやおや、そんなカワイイ口利いてると本気で泣かすぞ?」
細められた瞳の奥に少なからず剣呑な色合いを見つけて、俺は思わず唇を噛み締めた。
ばーか、ジョーダンだって、と軽い台詞と共にトンと廊下側に押しやられる。背筋にかかってた金縛りがようやくそこでプツンと断ち切れた。――ちぇーっだ。
「可愛いね、三月チャンは」
「それだけが取り柄ですからね」
「ハハ、自分の価値を知ってるってのはイイコトだと思うよ?」
本当に、あらゆる意味で食えないヒトだと思う。この執行部総議事長という人間は。
たぶん最後まで誰もシッポを捕ませてもらえずに終わるんだろうな。もしかしたら彼女の姫城先輩でさえも。
リミットの見えた学校生活というゲーム。そろそろカウントダウンに入ろうかという二月半ばになっても、対戦成績は俺の黒星続きだった。
「……空木先輩のバーカ」
「ああ?」
悔し紛れ、許される範囲の悪口を一つだけ置き去りにすると、俺はダッシュで廊下を駆け抜けた。
「テメェ、次会ったら犯すぞー」
追いかけてきた台詞があまりにもノンビリ然と楽しそうだったから思わず笑ってしまう。
先輩がそこまで食えない人じゃなくて、彼女もいなくてフリーだったら一回くらいは食われててもヨカッタかなって思うんだけどね。でも実際問題、空木先輩がオンナを切らしたことはなかったし、アンタいつまで経っても食えないオトコだったしね。正直、俺の中の寝たい男リストでは常にトップ5に入ってたけど。
そんなのは俺が墓場まで持って行けばいい戯れ言。
「またケンカ売ったんだ?」
総議事長の捨て台詞は玄関口まで聞こえていたらしく、ロッカーに右肩を寄りかからせた姿勢で内塚が呆れたような溜め息を斜め下に一つ落とした。幼馴染み面がウマイよね、俺もオマエも。
「高三にマワされても知らねーぞ」
「そんなユメのような贅沢は許されないっしょー」
「…マワされたいんだ?」
「キングなら4Pもドンとこいでっす☆」
「向こうでお断りだってさ」
「うーわ、失礼」
寝たい男リスト・ナンバーワンの背中に続いて高校男子寮を後にする。
これはもうココ数年間、不動の一位なんですけどね。でも内塚のリストに自分の名前がないことも知ってるから。向こうの不動の一位が誰かも知ってるし。俺と内塚のカラダが重なることはないんだろうって思う。
きっと、この先何年経っても。
「う、わっ…」
食堂へと続く石階段の、最後の一段を踏み外した体がガクンと揺れてバランスを失う。
「イッテェ…」
最終的その場に片膝をついて俺がようやくの安定を得るまで、内塚は「大丈夫か?」の一言だけでパーカーのポケットに入れた両手を引き出す気配も見せなかった。
解ってたけど、解ってるけど。――ちぇって思う。
あの手が俺に差し伸べられることはないんだってイヤってほど前から知ってるけど、でもいざこうやって目の前にソレを提示されるとやっぱチクショーって思うんだよ。腹の底から。
これが俺じゃなくて詔平だったら、バランスを崩した時点ですかさず助け起こしてたクセに。
俺が詔平じゃない限り、この先何度でも思い知らされるだろう事実。
それはつまり永遠にってことで。
俺が好きなのは内塚で、内塚が好きなのは詔平で、詔平が好きなのは内塚じゃないのだ。
そんなふうにして交わらない線が世の中には幾つも引かれてて、そして俺が引く線はいつだって一方通行なんだ。昔からそう。父さんも母さんもいまだに俺が捧げたほどの愛情を返してくれたことがないしね。やれやれ、そういう星の元に生まれちゃったのかな? 小六にしてそんなコトを悟らせるほど子供を放っておくなよ、バカ親! いくら叫んでもどんなに泣き喚いても、何も返ってこないことを学んだのはもっと小さい頃だったかもしれない。
愛される才があるのだとして、俺には決定的にその能力が欠けてるんだろう。だから南先輩とか見てると羨ましいって心から思うよ。掛け値なしに誰かに愛されるのって、どんな感じなんだろう?
「詔平は?」
「高校校舎行ってる」
「フッ切れたの?」
「切んなきゃしょーがねえだろう」
グズグズこうして蹲ってても内塚の手はパーカーのポケットに仕舞われたまま、語られない本音も胸の内に仕舞われたまま。フッ切れやしないくせにエラソーな口叩いて。
「有言不実行って、超ーカッコ悪いよ?」
「一人で起き上がれないヤツよりはマシだろ?」
俺を置いてスタスタと歩き始めた背中をジッと見つめる。
俺が後に続いても続かなくても、あの背中が振り返ることはない。
「待ってよ、ダーリン」
下らないジョークにもほら、微動だにしない背中。
せめて幼馴染みの慈悲ぐらいは見せてくれもいいと思うんだけどねェ。
破けた布地から裂けた皮膚が見える。咄嗟に反射神経も使えないぐらい俺ってば動転してたのかな。柔道じゃ黒帯二段の腕前なんだけどな。夜道で痴漢に襲われかけた時もカッコよく一本背負いとか決めちゃった功績があるのに。
ホント云うと少しだけ期待してたんだよ。詔平が関先輩のモノになって、内塚の失恋が確定したら。
もしかしたら俺の名前が、リストの下の方にでもちょこんって載るんじゃないかって。俺にも順番が回ってくるんじゃないかって。浅墓な希望を持ってたんだ。そんなコトないない、夢見すぎだよ俺ってば。ちゃんとストッパーかけてたつもりなんだけどね。ぜーんぜん効いてなかったみたい。
赤く開いた傷口に細かい砂利とか散りばめられてて、それ間近に見た途端イタイって思った。
俯いてる間に内塚の背中はもう見えなくなってて「ハクジョー者ー…」と小さく呟いてみると、急に涙腺が緩みそうになった。ナシナシ、ここで泣くとかあまりにも惨めだから俺。
頑張ろうよ、泣かないどこうよ俺。
「ちぇ…」
頑張れば報われる努力って目に見えていいよね。内塚の努力もけっきょくは報われないまま空回りして終わったんだって知ってる。あんなに大事にされてやがったくせに気付きもしなかった詔平がムカつく。
でも詔平が振り向かなければいいってずっと思ってたよ。内塚の努力なんて一ミリも報われなければいいって。それに俺が願うまでもなく結果は見えてたから。なるべくして内塚は失恋の痛手を胸に負ったんだ。
だって内塚には愛する才がなかったから。
ヒトを愛する能力がないのに、どうしたって報われるワケがないじゃないか。
愛される才のない俺と愛する才のない内塚。これじゃどうしたって繋がらない線だよね。恋愛能力の検定とかあったら間違いなく俺ら落第点だから。あー笑える。
「アハハ…」
声に出して笑うとよけい可笑しくて今度は腹の底から声を出して笑ってみた。
「アハハハハ!」
笑い上戸みたいにその場に転がって腹を抱える。膝の痛みとかそーいうのいまはどうでもよかった。
ただひたすら笑い転げて、それだけにコンセントレーションしようと思った。
笑い過ぎたら涙とか出るもんでしょ? そんな後ろ盾の一つでもなきゃ報われなかった努力があまりに惨めだから。気を抜くといまにも大声で泣き出してしまいそうで尚も声を張り上げる。
楽しくって仕方アリマセンって聞こえてるでしょ? 頼むからそう聞こえてて。お願いだから…。
「ウルサイ、耳障り」
思ってもない方向から飛んできた台詞が、ジャリっと足元のアスファルトを鳴らした。
「立って」
何度同じ状況に陥ろうとも差し伸べられないものは変わらないのだと、そう云い含めるように内塚の両手はパーカーの中に入ったままだ。さっきと変わらず。
「あ、負け犬が帰ってきた…」
「何度も云わせるなよ」
スニーカーの先が失礼にも俺のカーゴパンツの裾をギュッと踏みつける。しかも思いきり容赦なく。
ガソリンのかけ方は間違ってないよね。だって俺、モーレツにムカついてソッコウ起き上がったもんね。その拍子、思い出したように膝の傷が痛んだ。
「イタ…ッ」
「当たり前。痛覚なかったら誰も思い知らないだろ?」
「ああ、そーゆことなの…?」
「いい機会だからカラダで覚えとくといーよ」
促されて花壇の淵に腰を下ろす。途端、内塚のポケットから出てきた消毒液が何の前触れもなく傷口に吹きかけられた。ギャーーって叫びを心の内だけに留めたのは、俺のなけなしの意地だったと思う。
続いて現れたガーゼが傷口を優しく拭ってくれる。
「……死にそうに痛いです」
「痛けりゃ次からは気をつけるだろ?」
手当てというにはあんまりに乱暴な手つきで内塚が俺の膝に包帯を巻きつける。
愛がない、愛がないよ…内塚…。
「ハイ、おしまい」
乱雑に、けれど丹念に巻き終えたソレをポケットから出した小さなハサミでチョキンと断ち切る。保健室からわざわざそんなモンまで持ち出してきてくれたってコトには愛を感じるけど。
――でも感じていいの、それ?
「詔平がダメだったから俺とかって、安易な選択だったら蹴るよ、俺」
ここまで傷ついててこれ以上傷つくのツライから、何度でも石橋叩くけど。
渡りたいのに渡れない橋の手前。走ってって向こうにオマエいなかったらマジ最悪だし。さすがにそこまでいったら俺も立ち直れませんて。
「そんな器用な選択はしないし、俺にはできないよ」
ちょっと待て。石橋かと思ったらなんだか心許ない吊り橋のようで、ますます俺の足は躊躇してしまう。
二月の風がヒヤリと頬を撫でていった。なんか頬っぺた熱い…。熱くて冷たくて。
その表面に、熱くも冷たくもない内塚の指が触れた。
「ただこんな顔で泣かしてるの俺かと思ったら、責任感じる」
涙でグシャグシャになった頬を内塚の掌がそっと包み込む。濡れて冷えた頬を撫ぜられてまた新たに熱い涙が零れた。泣かないように頑張ったんだけど結果泣きじゃくってた自分の青さが初めてカワイイような気がした。
顔はカワイイのに性格可愛くないってサンザン云われて育ったからさ、ちょっと新鮮な感じするね。
「責任感だけ?」
「いまのところはね」
うーわ、ムカつく。吊り橋のロープ、こっちからぶち切ってやろうかと思った、いま。
「けど、この涙止められるのは俺だけなんじゃないの?」
さらにそんなコト云われて、よっぽどロープに火ィつけてやろうかと思った。
なに解った風なクチ利いちゃってんの、このヒト? 自分の意思で止めてやるよ、コレぐらい。
一念発起したところで急に視界が暗くなった。
「うわ、涙の味がする…」
「アっタリマエだろ、泣いてんだから」
こういうタイミングでキスとかってどうなの、ホント?
でも涙止まってるし。ビックリして止まったし。俺の頬を離れた掌が手持ち無沙汰気味、パーカーのポケットに仕舞われる。また二月の風がヒュウっと俺らの間を通り過ぎていった。
「……やっぱオマエ、愛し方ぜんぜんなってない」
アクションだけでフォローなしって、それこそないだろ。この愛し下手め。
30センチ向こうにあったパーカーを引っ掴んで抱き寄せる。
愛の才能、俺もオマエもないけどさ。だったらこうしようぜ? 俺がオマエに愛し方を教えるからさ、オマエは俺に愛され方を教えてくんないかな?
俺のアクションに遅れること30秒、内塚の両手がようやく俺の首筋に回された。
「ストック何人いんの?」
「内塚が知ってるのの三倍ぐらい」
「全部切れよ」
「えー……全部?」
「切るよな?」
「……切らしていただきます」
こんなコトなら水柳先輩とか野宮先輩ともっとヤッときゃヨカッタ…って思ったのは、とりあえず。
内塚には内緒ってことで。
来るべき恋愛検定に向けて、俺らの勉強はまだまだ始まったばかりだ。
end
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