スターマイン



「火、つけるよ」


 そう云った統和の声が妙に近くて。
 雪乃は急に顔をあげることができなくなってしまった。
 髪の生え際に、まるで細かい静電気が走ってるみたいだ…。ピリピリする。
 ただとなりにいる、それだけなのに。息が詰まりそうになる。
 なんでだろう。この暗闇がいけないのかな。
 舌先が小さな心臓になったみたいだ。
「ウン」
 水を張ったバケツがすぐそばでタプンと水面を揺らす。
 街灯の明かりがユラユラと伸びたり縮んだりしてた。
 消え入りそうだった雪乃の声をきちんと拾いあげて、統和は持っていたマッチに火をつけた。
 シュボっ、と点った新たな熱源が雪乃の顔を火照らせる。
 ただでさえ顔が熱いというのに…。
 線香花火にオレンジ色の丸い火が点るのをじっと見つめる。
 さっきまであんなに騒いでたのがウソみたいだ。


 打ち上げたパラシュートを競って取りに走ったり。
 ネズミ花火に追いかけられたり。
 ドラゴンの炎のしょぼさに思わず顔を見合わせて爆笑したり。
 腹筋がおかしくなるんじゃないかってくらい、ずっと笑ってた。
 走り回ってはしゃいでた。


 それなのにいまは。
 二人しゃがみこんで小さな炎を静かに見つめてる。
 さっきまでの喧騒がほんとうにウソみたい。
 ジジジ…と小さな音をたてて、雷の赤ん坊みたいな火花が時折走る。
 この公園ってホントはこんなに静かなんだね。
 静か過ぎて。自分の心臓の音までがそっちに聞こえてしまいそうだよ。
 ねえ、何か云ってよ。
 統和ってば。

「…線香花火ってさ」

 どうにかして場の雰囲気を変えたくて、雪乃はとにかく思いついた言葉を口から滑らせた。
 とうぜんその先のセリフなんて何も考えてない。だから。
「線香花火って、何?」
 そんなふうに訊き返されたらすごく困るんだよね。
「んーとサ、…なんでこんなシンミリするのかなって思って」
 云いながらバカっぽいこと云ってるなぁと思った。
 こんなのまるで小学生みたいじゃん…。
 統和がこっちを見てる気配がして、ますます顔が熱くなってくのが解った。
 さすがに統和も呆れたろうか。
 統和の視線には気づかないフリで、ひたすら小さな炎を見つめる。
 注がれてた視線がふっと下に落ちた。
「そうだね。すごく静かな気持ちになるよね」
「…なんだか寂しい気がしてこない?」
「夏の終わりにやったら、手の施しようもないだろうね」
 確かにね。思わずクスリと口元を綻ばせる。
「でもなんて云うか、夏を噛み締めるにはこれ以上ないっていう気がしない?」


 夏を、噛み締める。
 肌に触れる夜気の温かさ。
 しゃがんだ脚の重なる部分にしっとりとかく汗。
 街灯にぼんやりと照らされた園内。
 青々と繁った草の匂いが噎せかえるほどに辺りを取り巻いてて。
 心許ない炎はいまにも落ちそうで。
 すぐとなりにいるはずなのに、暗闇に融けてしまいそうな輪郭。
 思わず手を伸ばして。
 その確かな実体に指を触れさせる…。


 どちらからともなく、気づいたら唇を合わせていた。


 ポトン…。
 寿命に達するよりも早く、丸い炎は地面に散ってしまった。
「あーあ、統和が揺らすからだよ」
「雪乃がちゃんと持ってないからだろ」
 互いに照れ隠しで下らない云い合いを続けていると。
 ふいに夜空が明るくなった。
 派手に散る火花。ドンと腹の底に響く重低音。
 丘向こうの水族館が、年に一度あげるスターマインだよ。
 統和が耳元でそう教えてくれた。


 この夏のスターマインは二度と戻らない。
 でもきっと、来年もこうして二人で手をつないでるだろうから。



 また一緒にあのスターマインを見にこよう。



end


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