キスの効能



「統和ってキス、うまいよね」


 唇を離した直後にそんなことを云われて、思わず統和は横を向いた。片手で口元を覆い隠しながら。
「…あのね。恥ずかしいからそういうコト云わないように」
「だってホントのことじゃん。どうして統和はそんなにキスがうまいの?」
 ただでさえ丸い目をさらに丸くして、雪乃の黒めがちな瞳がヒョイとこちらを覗き込んでくる。
「ねえ、なんで?」
 子供みたいな目だ、といつも思う。邪心の見当たらない瞳。
 たまに憎らしくなってしまうほど。


「さあね」
 うまいと云われても、あまり自分ではよく解らない。
 けれど「うまい」と云うからには、誰かのそれと「比べている」ということではないだろうか。知れず頭を擡げる猜疑心。
「誰と比べて云ってるの、それ?」
 気づいた時には思わず口を滑らせていた。
「ううん、比べてんじゃなくてね、俺の実感。統和とキスするとさ、なんでかこう…心がフワァーってすんだよね」
「あ、そう…」
 イヤミなのに。そうも素直に切り返されると、それを云った自分がたまらなく醜く思えてくる。雪乃といるとたまにそういう気分を味あわされる。自分が汚い大人になったようなヘンな実感…。
「あ。もしかしていま、妬いてた?」
 クラス一の鈍さを誇る雪乃だが、最近では少しずつ勘が働くようになってきたようだ。もちろん雪乃にしては、という程度だが。取り繕うのもバカらしい気がして統和は素直に頷いて見せた。
「ちょっとね」
「へへ。なんか嬉しい、そーゆうの」
 そう云ってはにかんだように笑った顔がますます子供みたいだ。

「でも、うまいって云われてもね。自分じゃ解らないから、なんとも云えないよ」
「じゃあさ、統和は俺とキスしてて気持ちいい?」
 また、あからさまな質問が飛び出してきたものだ。
「誰かと比べてもいいよ。どう?」
 無意識に何人かの顔を、頭に思い浮かべる。
 すると。
「ど、どう?」
 雪乃の目ににわかに不安げな色が浮かびはじめたのを見て、統和は思わずほくそえんだ。
 その表情は、どちらかというと結果がどうというよりも…。
「妬いた?」
「……妬いた。統和、ホントに比べてんだもん」
「比べろって云ったのは雪乃だよ」
「あーもう、統和のそーゆうトコ嫌い!」
「でも、さっきの雪乃の気持ちが解ったよ」
 好きなヒトが妬いてくれるのって、こんなに嬉しいもんなんだ…。
 はじめて知った。
 いつもそうだ。雪乃はいつも、自分に「はじめて」を見せてくれる。


「たぶん、気持ちの問題なんだと思うけどね。テクニックがどうだとかいうよりも」
「気持ち?」
「そう。気持ちがなければ、誰と何をしたって同じだよ。…ってのはまあ極論だけど、少なくとも気持ちよくはならないんじゃない?」
「……な、るほど」
 最近は本当に勘がよくなったようで。雪乃の白い頬がパァっと紅潮していく。
「俺も雪乃とするキスが一番好きだよ」
 駄目押しにつけ加えてみると、あっという間に耳まで赤くなってしまった。
「うわ、恥ずかしい!」
「そっちが先にはじめた話題じゃん」
「そうだけど! うっわ、恥ずかし!!」
 真っ赤になった頬を両手で押さえて、パチパチと目を瞬かせる。
 放っとくと床に座り込むか、どこかへ走り出しそうな勢いで激しく動揺している。なんでこうも感情に素直なんだろう。本当に憎らしくなってしまうくらい。
「わっ」
 雪乃の肩をつかむと、統和は強引に胸に引き寄せた。
 行くなよ、どこにも。
 ……なんて口ではとても云えないけど。
 たまには感情のままに行動するのもいいのかもしれない。こんなふうに。
「とう、わ…」
 呟かれた自分の名前を吸い込むように、統和は雪乃の唇を塞いだ。



「やっぱり、統和がキスうまいんだと思う…」
 すっかり腰が抜けたのか、両手で統和に縋りつくようにしながら切れ切れの息で雪乃が囁く。
「そうかな」
 だとしたらそれは下心の所為じゃないだろうか。
 だってホラ、明日からは夏休みがはじまるわけだから。
「…す、る?」
「雪乃はしたくない?」
 体育があるからって気兼ねも当分はいらないわけだしね。
「雪乃がイヤならしないよ、俺は」
「あーも、統和のそーゆうトコ、ほんと嫌い…」
「ゴメンね。でも負担がかかるのはけっきょく雪乃にだからさ」
「……でも、したい」
 消え入りそうな声が耳元で囁かれる。
 それだけでもう、理性なんて吹き飛んでしまう。
 キスの効能は驚くほど強力。
 そこに夏休みなんて効能が加わってしまったら…。


 夏はまだまだ、はじまったばかり。


end


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