バレンタイン・ラプソディ



「なあ、勇馬」


 放課後の教室。二人きりになった途端、克久はニッコリ不穏な笑みを浮かべると俺の席の真正面に立った。机に手をついて近くなった顔が今度は意地悪気に少し眉を上げる。

「今日、何の日か知ってる?」
「…バレンタインデー?」
「そ。だから勇馬にチョコあげようと思ってね」
「へ?」

 てっきりチョコをねだられるんだと思ってたから…唐突な逆展開に一瞬、思考が置いていかれる。その間に机に乗せられた黒い包装紙。金色の細いリボンが幾重にもかかってて、その表面にはブランド名の入ったシールが貼られていた。コレ知ってる。去年、克久の貰ったヤツ俺が横取りしてウマイウマイ騒いでたヤツだ。確か超ー高いんだよなコレ…。

「まさか、自分で買ったの?」
「アタリマエじゃん?」
「貰いモン、使い回したりとかじゃなく?」
「んなセコイ事するかよ、『本命チョコ』だぜ?」
「……う、わ」

 いまゼッタイ、意識して滑舌よく喋ったろ? 「本命」の単語に頬が熱くなるのを意識して慌てて下を向く。克久の指が楽しそうに前髪をすくい上げてくるのを振り払うと今度はそこに唇を寄せられた。

「バレンタインは愛する人に感謝の心を送る日なんだぜ」

 吐息に揺れた毛先が額をくすぐる。わ、背中ゾクゾクするし…! 油断してた隙に持ち上げられた顎。克久の唇が俺の頬に軽く触れた。内心、なんだほっぺたか…とか思ってる自分がいて余計に頬がカッと熱くなる。

「俺がオマエにあげなかったら筋が通らないだろ?」

 耳元に移動した唇が潜めた息で鼓膜を震わせる。チクショウ…、アイツの計算通りに反応してしまう自分が悔しい。だって見上げたアイツの目は心底楽しそうに愉悦に沈んでたから。

「ホワイトデー、楽しみにしてるぜ」

 そう云ってようやく離れた唇がツカツカと俺の机を離れていく。あ、れ? 克久にしてはやけにいい引き際…って、あ、そーか。そーいや今日は委員会だとか云ってたっけ? その後帰るの遅くなるから待ってなくていいって朝云われたのを思い出す。ってことは…そしたらもういましかチャンスないってコト?

「ホワイトデーにゃ何もやんねーよッ!」

 振り向いた克久の横顔目掛けてカバンから取り出したモノを投げつけてやる。
 克久に渡そうと思って、本当はずっと朝から持ち歩いてたんだ。でもなかなか機会がなくて…そのままズルズル放課後になっちゃって…。投げつけたチョコを難なく受け取った克久がまたニッコリと不穏な笑みを浮かべる。まるでそれすらも計算済みでしたみたいな笑顔。でもそーいう克久が何よりも誰よりも、俺自身が好きなのだから…なんつーか惚れた弱味って感じ?

「サンキュ」
「大事に食えよ!」
「モチロン大事に食わせてもらうよ、勇馬をね」
「アホッ、さっさと委員会行ってこい!」
「今夜行くから。逃げんなよ」
「いまさら逃げるか、バカ!」
「お、いーい返事」

 ゲラゲラ笑いながら教室を出て行く背中を見送る。チョコなんて去年も一昨年も、今年だってたくさん貰ったけど。「本命」ってのがこんな嬉しいもんだとは知らなかったかも。そんなバレンタインデー。


end


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